中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ポーランド訪問記(25);冷や汗のプレゼンテーション

2011年09月05日 04時39分18秒 | ポーランド;クラコフ訪問記

         ポーランド訪問記(25);冷や汗のプレゼンテーション
              (学会参加)
        2001年6月16日(土)~6月25日(月)

2001年6月21日(木).第6日目.クラコフ4日目(3)

 私達はInforming Science Conference第1日目に参加している.
 キーノートスピーチを拝聴した後,3人の発表を聞いてから,学食で昼食を摂る.その後,昼休み時間にキャンパス内のあちこちをスケッチしながら散策を楽しむ.
 14時過ぎに会場へ戻る.午後の部に参加する.

<資料を見ながら英語でメモを取る;結構疲れる>


<学会発表の情景>

 とりあえずは「IT教育と情報科学」をテーマにした会場に入ってみる.会場には50~60人も座れるだろうか.えらく急傾斜の階段教室である.
 14時15分から14時30までは,最初の発表者,テースト大学ウイングハウス氏,テーマは

   ”Models of Information Market; Analysis of
      
Market Identification of Service Design Model.”

である.
 情報の市場のハイアラキーを提示し,そのマーケットサイズを分析するという内容であった.
 2番目の発表は,16時00分から16時35分まで.ガスコングニコス氏(ここだけの)。つまり私)である.発表が許される時間が.いかにも短い.
 テーマは

    ”Using IT to Improve Communication between
                    Boundary of Organization.”

である.
 (注)現在ではどうと言うことのないごく当たり前の話だが,この論文を発表した10年
    前には,結構斬新な内容だった.
    なお,このブログは,報告内容を紹介するには相応しくない場所なので省略.
    私の本名をご存じの方は,この学会のホームページにで,内容の閲覧が可
    能である.

 ガスコングニコス氏は英語が苦手である.だから,かなり細かい説明図や文章をパワーポイントで作成し,発表は英単語羅列に近い状態で四苦八苦しながら行った.
 でも,問題はQ&Aである.
 巻き舌でグニャグニャ言われると全く聞き取れない.そこで英語が得意なわれらのH坂氏に通訳をお願いする.
 「お前のプレゼンテーションはとても興味深い内容だ・・・」
とフロアーの一人が発言する.この発言で救われた気になる.
 …で,画面一杯に私のPCアドレスを映し出して,
 「詳しいQ&Aは,メールでやりましょう・・」
で,この場を切り抜ける.
 「やっと,終わった・・・」
このときの開放感,達成感は何とも言えない.実に良い!
 
 [後譚]
 その後,香港の某大学某先生から,共同研究をしないかというお誘いがあったが,とにかく英語でのやり取りが,私にとって大きな負担になってしまい,とても,とても,続けるのは無理だった.

 3番目の発表者は,16時40分から17時15分まで,コーンフィールド大学のロバート氏.
 テーマは

  ”Modeling Using IS Methodologies; Some Guidelines
    Based on Authenticity and Contemporary Epistemology.”

である.
 やけに難しい英単語が次々に出てくるし,高度に抽象的な内容なので,ぼんくら頭の私の理解を超えている.

 これでコンファレンス第1日目は無事に終えた.
 私はロングテイル夫妻,F先生と一緒に,宿泊中のホテルまでぶらぶらと歩いて帰ることにする.一方,S先生とH坂さんは,歩くのが大変だから,電車に乗って帰るという.

    ************************

 私の発表が初日になったのは幸いだった.発表が済んだ開放感が何ともいえない.往路を辿って,自分のホテルに戻る.
 地下道を過ぎた頃,だれからともなくアイスクリームを食べたいと言い出す.早速,ロングテイルさんが事前にインターネットで調べた資料を取り出す.
 その資料によると,店の名前は分からないが美味しいアイスクリーム屋があるようだ.。
 地図を頼りにツエウスカ(Szwewsa)通りにあるアイスクリーム屋に向かう.
 途中からF先生はどことなく消えてしまった.ロングテイル夫妻と私は中央広場からツエウスカ通りに入る.
 ここで,偶然,電車で帰ったS先生とH坂さんとバッタリ出会う.

  アイスクリーム屋は,すぐに見つかった.ただ,お店の名前は良く分からない.
 1.2ズロチでレーズンアイスとラムアイス2個を注文する.大変美味である.大満足である.そのままホテルへ戻る.

<地図を見ながらアイスクリーム屋を探す.そして,夕食,しっかりメモしなかったのでどんな食事だったかハッキリは思い出せない>
                                                               ↑
                                    ロングテイル夫妻の豪華な部

  18時40分,自室に帰り着く.
 早速,パソコンをカバンに放り込み,荷物編成を「遊びモード」に切り替える.

  夕方,一同揃って近くのレストラン”GULIWER”で夕食を摂る.
 私は「アスパラガス,ハム・・・ナントカ」とピラフを注文する.そろそろベタベタ味に飽きてきている. アスパラガスなんとかが,14ズロチ,ピラフが4ズロチ,合計18ズロチの夕食である.

 21時10分,帰りしなにロングテイル夫妻の部屋を訪問しようという話が出る.
 そして,ロングテイルさんの部屋で,2次会を開こうと誰かが言い出す.私は夜も遅いので失礼しようと思ったが,S先生から,是非,行ってみましょうと強く薦められる.
 そこで,H坂さんを除く全員が,とにかくロングテイルさんの部屋を訪れることにする.

 ホテルロビーから裏庭を通り抜け,中庭を見下ろしながら螺旋階段を3階まで上る.そして中庭を見下ろしながら廊下を通り抜け,再び階段を登ると大きな客間付きの部屋がある.ここがロングテイル夫妻の部屋である.
 客間には立派な応接セットが付いている.
 やや遅れて,H坂さんがオツマミをたくさん抱えて表れる.これから盛大に飲み会をやろうというのである.私は下戸.とてもまともには付き合いできない。

                           ホテルの鍵(レトロな雰囲気が堪らない)
                                      ↓


 私は,21時45分,一足先に引き上げる.
 フロントで鍵を受け取ると,まっすぐ自室へ.
 とにかく眠い.
  シャワーも浴びずに就寝.
 ああ,これで,シンドイ私の出番は終わった.実に晴れ晴れとした清々しい気分である.
                              (つづく)

「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5423ef048375cca333e8920a4f9559d1
「ポーランド訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/597cf87e475a51578cebb2b06ede32b1


    *************************

[編集後記]

2011年9月4日(日) 
晴時々曇時々小雨

 大きな台風12号も漸く峠を越えた.四国,西日本,山陰地方の被害には目を覆いたくなる.私たちが愛着を持っている日本列島は実に天災が多い所だなと改めて実感する.
 夜明けの時間がつるべ落としのように,毎日,毎日遅くなる.一方では夕方暗くなり始めるのも随分と早くなっている.
 もう9月である.書店には,もう2012年の日記帳が並び始めている.
 今更,私ごときが言うまでもないが,歳月の過ぎ去るのは実に早い.
 年齢を積み重ねている内に,こうして元気で過ごせる月日もあと僅かではないかと思うようになる.それで,実は,今,私が焦りに焦っていることがある.それは,自分の人生の“来し方来歴”を考えながら,まずは過去の記録をできるだけ早く整理しておきたいということである.言い換えれば,自分が今日まで生きてきた証を自分なりに整理してしまいたい.
 人,誰しも,老境に達すると,私と同じような気持ちになるらしい.あるとき,こんな気持ちを知人に吐露した所,全く同感と言われた.
 現在,とりまとめているこの「ポーランド訪問記」も,全くのところ,この主旨に沿って,私が大慌てで纏めているものである.
 こんなことを書くと物議を醸し出すかも知れないが,この訪問記の目線は,決してご愛読頂いている読者の目線ではなく,あくまで自分のための忘備録作りである.
 といって,仮にもろもろの記録を纏めた所で,私が旅立ってしまったら,たとえ親族であっても,そんなものに何の愛着もないだろうし,ゴミとして捨てられてしまうだろう.でも,それでもいいやと思っている.
 反面,私は,
 「忘備録をつくろうなんて・・・随分お前も老け込んだな・・」
と冷やかされてしまうのを恐れる.
 ともあれ,このポーランド訪問記は,今から丁度10年前の出来事である.10年一昔と良く言うが,10年という歳月は短いようで,逆に結構長い.
 10年前の私は,まだ,まだ,血気にはやっていて,随分,積極的に海外の学会に出掛けて下手な論文を発表していた.
 10年経った今,あのときのスタミナはもうとっくに失せた.
 今の私は,ただの観光旅行にうつつを抜かしている.
 今.このブログの記事を纏めていると,当時の毎日の細かいことをつい昨日のことのように甘酸っぱく思い出す.同時に,もう一度,あの頃の自分のように,もろもろの出来事に対して,もう少し関心を持って,積極的に関わっていかなければダメだなと思い始めている.
 きざな言葉で言えば,昔の自分から,今の自分が励まされているような気がしている.
                                      (愚痴おわり)



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