中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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新緑の鎌倉:源太塚・信夫塚,常磐文庫跡を巡る(2)

2011年04月22日 11時12分15秒 | 鎌倉あれこれ

                                                                         <鎌倉山から材木座方面を望む>
 
           新緑の鎌倉:源太塚・信夫塚,常磐文庫跡を巡る(2)
                           (単独散策)
                   2011年4月19日(火) 
 つづき

<散策地図;三嶋神社から信夫塚まで>


※前回の記事参照.

<散策地図:信夫塚から鎌倉山神社まで>



<迷路のような道を辿って鎌倉山神社へ>

■面白い迷い道
 13時55分,信夫塚を出発する.住宅地の中を南南西にほんの数十メートル進んで,三叉路を左折する.そして,数10メートル進むと,鎌倉山さくら通りに突き当たる.バス停若松付近である.
 さて,ここからどうしようかと迷う.
 今日は風が強い.梢を切る風の音がビュービューと聞こえてくる.
 我が家に戻る近道は,このままバス停笛田を経由して,常磐口に下山するのが一番.でも,何となく歩き足りないし.この道は何回も通っているので面白くない.ここで私は鎌倉市街地図を広げて,どうしようかと思案する.
 「よぉ~しっ!・・今日は一人旅,変なところへ入ったら引き返せばよい・・」
 私は,まだ歩いたことのない道を選ぶ.
 バス停若松の少し北にある三叉路を右折する.100メートルほど先に十字路がある.まずは十字路まで向かう.途中,進行方向左手,つまり北北東側の視界が開ける.谷戸の向こうに常磐緑地の山々が見えている.
 十字路でどちらへ行くか思案する.そして,“ままよ”と左折する.閑静な住宅地が続くが,先へ進むにつれて,道幅がだんだんと狭くなる.そして遂には未舗装の路地になる.道路が突き当たって動けなくなるまで行こうと腹を据える.
 やがて前方に高い石垣が見え始める.どうやらこの石垣に突き当たって道は終わりのようである.でも,突き当たるまで行ってみようと思う.道路のお終いまで行くと,右側に草ボウボウの踏み跡道がある.そのままこの道を辿ると,鎌倉山クリニック安心堂前の舗装道路に飛び出る.
 「なんだ,こんな所に出たのか・・」
 これで,これまで歩いてきた道路の位置関係が明確になる.

<眺望を楽しみながら枝道を進む>

 
<草むした路地道になる>                           <鎌倉山クリニック安心堂の前に出る>

■肉弾三勇士碑から鎌倉山神社へ
 ここからは,このブログでもお馴染みのコースである.まずは,七里ヶ浜への抜け道を進む.ここまで来たら,三叉路付近にある肉弾三勇士碑を挨拶代わりに見学する.そして,鎌倉山三丁目の端っこにある鎌倉山神社を詣でる.
 鎌倉山神社は,鎌倉山を開いたときに,笛田の鎮守である三嶋神社の分霊を移した神社だという(『かまくら子ども風土記』p.282).
 
<肉弾三勇士碑>                      <鎌倉山神社>

■二子山・材木座海岸・逗子の眺望を楽しむ
 鎌倉山神社から道なりに進む,
 進行方向左手の眺望が開ける.二子山,逗子マリーナ,材木座海岸などの眺望が素晴らしい.
 さらに先へ進むと,舗装道路は行き止まりになる.ここから,稲村ヶ崎4丁目付近の断崖上の山道に入る.地元の方々が「お山の道」と呼んでいる散策路である.
 つい先日,この道を真っ直ぐ南へ向かって,月影ヶ谷に抜けたが.今日は,尾根の途中にある十字路を右折して,月影地蔵脇へ下山する.

<鎌倉山から江の島方面を望む>


<遠く二子山が見渡せる>

<月影地蔵から展望の笛田へ>

■月影地蔵
 14時52分,月影地蔵に到着する.お堂の扉が開いているので,地蔵を拝観することができる.この地蔵は,もともと月影ヶ谷にあったが,明治時代に現在地に移されたという.


■笛田5丁目に登る
 月影地蔵から谷戸を北上する.
 常磐に抜けるトンネルの手前から右側の路地に入る.路地は登り階段の道である.階段は民家に突き当たる.突き当たり左手に狭い階段道が続く.かなり急勾配で長い階段を登り詰めると笛田5丁目の尾根沿いの住宅地に出る.
 なお,この道は,殆どの地図には掲載されていない.
 イヌが吠える.
 私は犬が嫌いである.なぜならば吠えるからである.もし,「にゃ~ん」と鳴く犬だったら飼育しても良いのだが,そんな犬は居ない.だから犬は飼わない.
 吠える犬を避けるようにして,尾根道を北へ進む.
 途中の三叉路から,谷戸に向かって下り始める.この辺りからの常磐山の眺望が実に素晴らしい.是非,山桜が見頃な時に,もう一度,ここを訪れようと心に決める.
 ここから,九十九折りの坂道を下って,打越付近の住宅地に入る.
 
<極楽寺4丁目の谷間を遡る>                               <トンネル手前から階段道に入る>


<常磐緑地方面の眺望が開ける>
    
■袋小路
 この辺りは,自宅からそれほど遠いところではないので,かなり頻繁に歩き回っている.いわば“日常”の範疇に入るところである.日常に入ると,なんとなく気が抜けて,つまらない感じになる.そんなとき,進行方向左側に,まだ入ったことのない路地を見つける.この路地は,どうも吹き止まりのような感じがするが,ひょっとしたら終点から抜け道があるかもしれない.そんな期待を持って,路地に入る.
 道幅はせいぜい1メートル一寸.でも舗装してある.先へ進むと小さな尾根に突き当たる.ここで終わりかと思うと,尾根沿いに右に曲がって,さらに登り坂が続く.尾根の反対側には民家が続く.尾根側の斜面には,美しい紫色の花が咲きこぼれている.この花,あちこちに咲いているので見覚えもあるし,花の名前も何回も教えて貰っているが,もう忘れている.まあ,いいや.花は,みんな花って呼んでおこう.綺麗ならそれでいいやと,勝手に決め込む.
 路地の道幅はますます狭くなり,遂に突き当たりの民家に衝突してお終いになる.そこから先は,踏み跡どころか民家の庭先と崖だけ.私は往路を引き返す.

<常磐山文庫跡>

■小さな切通
 藤沢鎌倉道路の南側に並行する裏道を梶原方面に向かう.
 途中の電柱に「三貴園」の看板が眼に入る.
 「そうだ! 折角だから常磐山文庫の跡地でも見ていこうか・・」
と急に思い立つ.
 私は,三貴園が,もうとっくに廃業していることは知っているが,もう数10年前,まだサラリーマンだった頃,ここで懇親会を開いたことがある.
 右折して三貴園跡へ向かう道に入る.いきなりかなり急な登り坂になる.
 100メートルほど登ると右折して小さな切通になる.
 途中,進行方向左手に「ハル・・」と書いたプレートが岩に取り付けられている.かなり風化が進んでいて読みづらい.私のようなガチャ目にはすらすら読むのがシンドイので,そのまま通過する.
 
<英国電気技師ハルさんの碑>

■国宝一観音
 切通が終わる頃,進行方向左手に深い木立に囲まれた平地が表れる.入口右手に「国宝一観音」と大きな字で書かれた石碑が立っている.踏み跡を辿って平地の中に入ってみると,突き当たりに門のようなものが見えているが,中には入れない.
 『かまくら子ども風土記』(pp.278-279)によると,この一観音は国重要文化財で,高さ1.54メートルの一本杉を彫ったもので,別名河崎観音というらしい.
 
<国宝一観音の碑>

■三貴園跡
 再び坂道を登ると,三貴園前の駐車場に到着する.既に廃業している三貴園の建物はかなり荒廃している.数台の車が駐車場一杯に駐車している.何事だろうか,これ以上近付くと叱られるかなと思いながらも,建物を眺めていると,作業服を着た男性が,私に,
 「随分荒れちゃっているでしょう・・残念ですね」
と声を掛けてくる.
 私は,問われるままに,常磐山文庫跡や三貴園に興味があることや,昔,昔,三貴園で会合開いたことがあったなどと,立ち話をする.
 私は,この男性に,三貴園に縁(ゆかり)の方ですかと伺ってみる.すると,男性は,三貴園の建物を解体する工事責任者だという.そして,親切に色々なことを教えて暮れる.
 私は「(元)○○大学○○」と書いてある商売用の名刺を差し出し,自分の身分を明かす.お礼を言って,立ち去ることにする.するとこの方が,
 「外部に発表するわけではないでしょう・・・それならばどうぞ見て下さい」
と言って,工事用の幕を少しずらして,隙間から中の庭を覗かせて貰う.
 庭は荒れてはいるが,沢山の石塔が立ち並んでいるのが良く見える.広場の左手には一段と高いところに通じる散策路があるようだ.
 ここから内部の写真を数枚撮らせて戴くが,約束にしたがって,ここでの掲載は差し控える.
 私は工事関係の方々に丁寧にお礼を言って,三貴園を立ち去る.
 三貴園は,1928年(昭和3年),偉大なるフィクサーであり実業家であった菅原通齊が横浜市金沢区六浦にあった旧家をここに移築したのがはじまりだという.1954年(昭和29年),ここに常磐山文庫が設立されて,貴重な文化財が展示していたという(前掲書p.278).
 金沢区六浦といえば,私の勤務先であった某大学の所在地でもある.三貴園とこの某大学の敷地との間に何かの因果関係があるのだろうか.物ぐさの私はそこまで調べたことはないが,何となく気になっている.

<哀れ三貴園跡>

<裏道を散策しながら出発点へ戻る>

■細い踏み跡のような裏道
 久々に三貴園跡を訪れて私は満足している.
 三貴園から往路を下り始める.ふと左手を見ると,山際の民家に沿って,人一人やっと通れるほどの踏み跡風の路地がある,他人の家に入ってしまうかなと思いながらも,路地に入りこむ.路地は,山裾に沿って,どこまでもクネクネと続く.自分の家からさほど遠くないところに,こんな路地があったのに,今まで気がつかなかったとはお粗末.一体何処に出るのだろうかと興味津々である.
 路地はやがてバス停梶原口付近の裏道に突き当たる.面白い路地だった.近々,もう一度,この路地を逆さに辿ってみようと思う.

<裏路地を行く>

■大平山経由で出発点へ
 梶原口のスーパーに立ち寄る.とくに買うものはないが,何か面白いものや,新しいものはないかと,キョロキョロしながら店内を一巡する.
 スーパーの隣に,何時の間にか,カット1000円の理髪店が開業している.今度の散髪はこの店にしようかなどと思いながら,大平山を登る.そして,16時19分に出発点のバス停鎌倉中央公園入口に無事帰着.
 水平歩行距離8.4キロメートル,累積登攀下降高度310メートルのプチ・プチ散策を終える.喫茶店での居眠り時間43分を含めての散策時間は4時間51分,水平歩行速度1.73キロメートル/時のノソノソ散策だった.

<大平山にて>

<ラップタイム>

11:28  バス停鎌倉中央公園入口歩き出し
11:45  等覚寺
12:03  喫茶店(モリタ)(12:50まで喫茶)
13:10  仏行寺着(13:23発)
13:29  三嶋神社(13:32発)
13:52  信夫塚(13:55発)
13:57  鎌倉山さくら通り
14:19  七里ヶ浜抜け道
14:25  爆弾三勇士碑
14:29  鎌倉山神社(14:33発)
14:37  お山道に入る
14:47  お山の十字路
14:52  月影地蔵
15:06  西極楽寺10丁目
15:25  枝道突き当たり
15:32  トマさんの記念版
15:33  三貴園跡(15:37発)
15:53  梶原口(16:05発)
16:19  帰着

[散策記録]

■水平歩行距離
  8.4km

■累積登攀高度  310m

■累積下降高度  310m

■所要時間(休憩時間込み)
  鎌倉中央公園入口 発   11:28
       〃       着   16:19
 所要時間            4時間51分(4.85h)
  内:昼食時間43分 
 所要時間(昼食時間を除く) 4時間08分(4.13h)

 水平歩行速度   8.4km/4.85h=1.73km/h
               8.4km/4.13h=2.03km/h
                                            (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/daeb49d3d86d72355bfebecadf3fc04b
「鎌倉あれこれ」の続きの記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/570eaf7f35c9839a91b670a967a56f36


     ***************************

[編集後記]

2011年4月21日(木)
 

 昨日(4/20),塔ノ岳を往復したばかりなので,今日の歩きは,軽く大船までぶらぶら散策に止めた.そして,21時頃,早々と就寝する.
 間もなくして,何だか揺れるハンモックに寝ているような感じがして眼が覚める.千葉で震度4の強い余震があったようである.東日本大震災の余震がまだまだ続いている.
 
まだ,まだ,遠出は無理かな.
 自然が相手なので,苛ついても仕方がないことだが,はっきり先が見えないのが,一番堪える.
                                                   (愚痴終わり)



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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメントありがとうございました。 (FH)
2020-11-07 18:30:30
コメントありがとうございました (FH)
2020-11-07 16:59:06
石井様
 ご丁寧なコメント、ありがとうございました。その後、フィクサーでありコレクターであった菅原通済のの足跡に興味を持ち、暇なときにいろいろ調べております。
 現在、湘南モノレールの沿線に住んでいますので、菅原通済にはとても親近感を持っております。また常磐山文庫が現在中国陶器研究の拠点になっていることを知り大変嬉しく思っております。
 どうもありがとうございました。
返信する
コメントありがとうございました (FH)
2020-11-07 16:59:06
石井様
 ご丁寧なコメント、ありがとうございました。その後、フィクサーでありコレクターであった菅原通済のの足跡に興味を持ち、暇なときにいろいろ調べております。
 現在、湘南モノレールの沿線に住んでいますので、菅原通済にはとても親近感を持っております。また常磐山文庫が現在中国陶器研究の拠点になっていることを知り大変嬉しく思っております。
 どうもありがとうございました。
返信する
三貴園 (harunori ishii)
2020-11-06 09:02:51
初めまして 石井と申します 三貴園の投稿見ました、以前三悪追放協会に勤務し三貴園にも何度か通濟を送り行ってます 数年前三貴園が取り壊されたと聞き笛田から鎌倉山を歩き記憶を頼りに三貴園に辿り着きました、立入禁止と有りましたが以前勤務して居たとの勝手な理由で 入らせてもらいました建物は取り払われ石仏なども無く残念な気持ちに成り 暫く立ちずさみ鶯の声を聴きました。
最近 三貴園が移築されたと知り 11月3日茅ヶ崎の熊澤酒造に行き見てきました 玄関に通濟の書が有り 係の女性に中を見てよいかと許可を貰い拝見させてもらいました。
返信する
コメント有難うございました (FH)
2017-05-13 18:04:00
カリナさま
コメント有難うございました.
皆様から頂戴致しましたコメントは,原則として非公開にさせていただいていますが,公開して宜しければ公開させて頂きます.
いずれにしても,貴重な文化財が失われてしまいとても残念です.
どうも有り難うございました.
返信する
Unknown (坂井)
2011-05-03 22:32:08
こちらこそありがとうございました。
よろしくお願いします。
返信する
コメント,有り難うございました. (FH)
2011-05-03 18:54:34
坂井様

コメント,有り難うございました.

お説の通り,三貴園の解体は本当に残念です.
私も,数十年前に,ここを訪れたときは,ほとんど予備知識もないままでしたので,今考えると,とても残念です.

今頃になって,鎌倉のあちこちを歩き回っていますが,身近にあった古いものが,だんだんと失われていくのが,良く分かります.時代の趨勢とはいえ寂しいです.

とはいえ,観光客が集まる場所以外にも,まだまだ興味ある史跡や,風光明媚なところが,鎌倉には沢山あります.これらの素敵なところを,差し支えない範囲で,このブログでも取り上げていきたいと思っています.

これからもどうぞ宜しくお願いいたします.

有り難うございました.
返信する
常盤山文庫を懐かしく思い出しました。 (坂井)
2011-05-03 13:23:46
はじめまして。
30年以上前、大学の頃の、古美術のクラブ活動の年中行事で鎌倉散策があり、自分が幹事の年に常盤山文庫をコースに入れました。当時、すでに三貴園のお客様のみへの公開になっていましたが、学生の分際では・・・・。下見の際にお願いに行き、当日40人くらいがぞろぞろと見せていただきました。事前に十一面観音があることは知らず、当然言っても無かったのでみんなが驚き、仏像の分科会の人たちがリーダーの前で正座してレクチャーを聞いていたのを懐かしく思いました。
今はどうなってるのかなと思っていましたが、解体なんですね。時代といえば時代。もったいないなあという感じです。
ありがとうございました。
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