<北アルプスを眺めながら>
善光寺西街道;第1回;第1日目(2);太田の清水と絶品の蕎麦
(五十三次洛遊会)
2014年4月24日(金)~26日(日)
第1日目;2015年4月24日(金) (つづき)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3ab814baf32bf37ccf33c45266674973
<ルート地図>
■洗馬宿
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■太田の清水拡大図
<リンゴの花を眺めながら…>
■リンゴ畑
中山道との分去れを見学した後,11時18分,いよいよ善光寺西街道(国道294号線)を歩き出す.途中のどかな田園風景を堪能しながら,ゆっくり,のんびりと歩き続ける.気温は幾分暑いが,心地よい.
11時39分,進行方向左手にピンク色の花がたくさん咲いている場所に到着する.リンゴ畑のようである.樹の下で数名の女性がかいがいしく仕事をしている.同行者の一人が,
「この木はリンゴですか…?」
と作業中の女性に伺う.
私の頭の中では,島崎藤村の詩の一節が自然に浮かんでくる(ちょっとあやふやな記憶だが…).
“リンゴ畑の樹の下に 自ずからなる細道は…”
なんだかロマンチックな気分になる.
<リンゴ畑>
■イタリヤ料理店
11時30分を過ぎた頃から,もし沿道に適当な食堂があったら,食事をしようかということで,周辺を見回すが田園が広がるばかりで,これといった食堂はなかなか見つからない.途中で格好のイタリア料理店を見つけたが,混雑していて,すぐには食べられそうもない.したがってここはパス.ちょっと残念!
<イタリア料理店>
■洗馬農協野菜集荷場
11時52分.洗馬農協野菜集荷場の前を通過する.この野菜集荷場を目印にして,地図上の現在地を確かめる.
12時01分,とある建物の日陰で,給水休憩を取る.
<洗馬野菜集荷場> <建物の日陰で給水休憩>
■道祖神
12時丁度に道祖神の前を通過する.大きな石に道祖神と刻字されている.
“そういえば,双体道祖神が余り見当たらないな…”
と思いながら通過する.
“そろそろ,太田の清水が近いな…”
と思いながら,先へ進む.
<大きな石の道祖神>
<太田の清水>
■この交差点…?
そろそろこの近くに太田の清水があるはずである.ここは絶対に見逃すわけにはいかないところである.
12時07分,どうやら太田の清水近くの交差点にある信号中原まで来たようである.もう,12時を過ぎているので,どこかで食事をすることも考えなければいけないが,何をさておいても太田の清水だけは見ておきたい.
「…もう昼時ですが,太田の清水だけは先に見ておきましょう…」
ということで,同行者を促す.
地図を見ながら,この交差点を左折すれば太田の清水へ行けることを,皆で確かめる.
<皆で現在地をチェックする>
■太田の清水
信号中原で左折する.やや急な下り坂になっている.坂道を下り始めて,すぐのところの右側に大きな送電鉄塔がある.この鉄塔の位置を地図で確かめる.鉄塔のすぐ先で道が枝分かれする.どちらへ行くか戸惑う.眼下には鎮守の森が見えている.どうやら太田諏訪神社の守のようである.
「…あの神社へ行きたいんだけど,どこから下りられるんだろう…」
もう少し,坂道を下ってみることにする.この下り坂,一体,どこまで下りれば良いんだろう…と少々不安である.
12時17分,進行方向右手にある太田の清水に到着する.傍らに.
石柱には,
“木曽どのの
馬あらふ里よ
水清し”
と刻字された大きな句碑が立っている.
資料1によると,木曽義仲と今井兼遠がここで会った(おうた)が転化し太田になり,この清水で疲弊した義仲の馬の足を兼遠が洗ったと言われているようである.
ところが今井兼遠という人物をインターネットで調べても,見当たらない.不審に思って資料2(p.438)を調べると,どうやら今井兼平が正解のようである.
資料3によると,「今井 兼平は平安時代末期の武将.正式な名のりは中原兼平.父は名から兼遠.木曽義仲の乳母子で義仲四天王の一人.兄に樋口兼光がいる.信濃国今井の地を領して今井を称した.」とのこと.
<太田の清水>
■太田諏訪神社
太田の清水から往路を戻り始める.先ほど眼下に見えていた太田諏訪神社が目の前に見えている.どうせなら太田諏訪神社にも立ち寄ろうということになる.往路の途中で左折する.そして,12時24分に太田諏訪神社に到着する.
森林に覆われた広い境内には全く人気がなくひっそりと静まり返っている.
資料4によると,「太田諏訪神社は,村民の寄付金等で,神社を改築,建立したとも言われ,本社諏訪神社をモデルに天保10年(1839)6月建立を決め,弘化4年(1847)2月,落成したと伝えられる」とのこと.
<太田諏訪神社>
■道路端の観光案内
道路端に「太田区ウォーキングマップ」という観光案内が立っている.この地図を見ると.少し時間を掛けて歩き回ったら,なかなか面白そうな所である.
このまま通り過ぎるのは一寸勿体ない気もするが,私達にはこの先の予定があるので,通過するしかない.
この辺りが一人旅と違って,グループ旅の泣き所である.
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<そば処「味のふる里」>
■ソバ屋があるぞ…
諏訪神社に向かう途中で,道路端の畠で作業中の方に伺うと,ここから少し先に行ったところにソバ屋があるという.
“やっと,昼食にありつけるな…”
ということで元気が出る.
12時29分,ソバ屋「味のふる里」に到着する.
<緑陰の中のソバ屋「味のふる里」>
■シックな建物
店に入る.
初老の女性店主が出てくる.
「…すみません.8名ですが,席,ありますでしょうか…」
と恐る恐る伺う.
もう昼時を少し過ぎているので,店内は意外に空いているようだ.
「はい,どうぞ,どうぞ…」
という店主の返事に誘われるようにして,店に入る.
どうやら古民家を改造した店のようである.天井には大きな梁が横切っている.大小さまざまな柱が縦横に組み合わされている.どうやら釘は使っていないようである.古い日本の建築技術を垣間見た感じがする.
昔は多分土間だったと思われる場所が板張りになっている.ガラス障子の向こうが客室になっている.およそ8畳ほどの和室が2室が客室である.
私達はガラス障子のすぐ先の部屋に並べられた長いテーブルに案内される.奥の部屋には先客が2~3人居るようである.
<シックな建物> <土間を改造したと思われる受付広間>
■絶品の盛り蕎麦
ここは蕎麦の専門店.しかもかけ蕎麦はない.すべて盛り蕎麦である.十割蕎麦もある.ただ,十割蕎麦は少々お値段が高い.
私は,どちらかといえば,天ぷらのかけ蕎麦が食べたかったが,天ぷらのような蕎麦の上に乗せる具は一切ない.
“まあ,仕方がないな…”
と妥協した気分で,盛り蕎麦を注文する.
ところがこの蕎麦の旨いこと,旨いこと…正に絶品である.大げさに言えば傘寿を超えた私が一生の間に食べた蕎麦の中で一番美味しい蕎麦である.なにしろ,ここの蕎麦はツルツルしていて,しかも適当に弾力があり実に歯応えが良い上に,蕎麦独特の香りが口の中に漂う.見た目も,下の写真のように,つややかで良い色をしている.
もう一つ私が感激したものがある.それは善光寺の絵が画いてある器に入った七味唐辛子である.下の写真の左上に写っている黄金色の小さな缶がこの七味唐辛子である.私は信州生まれである.幼少の頃から,この缶に入った七味唐辛子が,何時も家にあったことを思い出す.
“善光寺に着いたら,この七味唐辛子を絶対買うぞ…!”
と,口には出さないが心に決める.
<絶品の蕎麦>
■中原交差点に戻る
13時18分,昼食を終えて蕎麦屋を出る.
蕎麦屋のすぐ先に,先ほど通過した高圧線のすぐ脇に直登するショートカットの道がある.一寸した急坂である.
坂を登るにつれて,見晴がだんだんと開け始める.何の花か,名にし負う花オンチの私には分かるはずもないが,真っ赤な花を咲かせる木が沢山植えてある.その花の先に,残雪で白く輝く北アルプスの山々が見えている.
13時26分,再び信号中原の交差点に戻る.いよいよ午後の部の始まりである.
<赤い花と北アルプス>
(つづく)
続きの記事
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[参考資料]
資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E5%85%BC%E5%B9%B3
資料4;http://www.tokimeguri.jp/reporter/2014/03/122-48.php
「善光寺西街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33d3e4a1fc9831ac17b48baa1b527962
「善光寺西街道」の索引
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