中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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奥州街道(白河の道);第4回;2日目(4);弁慶の足踏み石と夫婦石

2017年07月14日 04時42分29秒 | 奥州街道

                                  <畜魂碑>

    奥州街道(白河の道);第4回;2日目(4);弁慶の足踏み石と夫婦石
              (クラブツーリズム)
        2017年5月17日(水)~18日(木)
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<ルート地図>



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<石田坂と弁慶の足踏石>

■余笹川を渡る
 寺子地蔵大菩薩の参拝見物を終えて,9時59分,再び歩き出す.
 9時59分,余笹川を渡る.前方には緑豊かな丘陵が見えている.やや蒸し暑い.メモを取りながら歩く私は,いつも列の後ろの方から,あたふたと歩き続ける.
 川を渡ると,緩やかな上り坂となる.石田坂である.

<余笹川を渡る>

■弁慶の足踏み石(馬頭観世音)
 10時07分,石塔がたくさん祀られている場所に到着する.まず最初に目につくのが,頑丈な台座の上に置かれた畜魂碑である(冒頭の写真).
 さらにその近くに,弁慶の足踏み石(馬頭観世音)がある.
 早速,弁慶の足踏石の写真を撮るが,私の写真の腕前はへたくその極みである.せっかく撮った写真も肝心の石の上の部分が写っていない.
 ”まあ,オレの写真なんてこんなものだな…”
 私は時分の未熟さにあきれるばかりである.
 弁慶の足踏み石の解説板が立っている.この案内板によると,弁慶が源義経と応手平泉に落ち延びる途中で,石を足台にして馬に乗った際に,弁慶の重みで石の表面に草履の型がついてしまったということである.
 ”こういう話は実に良いな…”
と私は心の中で思っている.


<弁慶の足踏み石>

■路傍の石塔群
 10時09分,弁経緯の足踏み石の剣淵を終える.
 10時22分,豊岡交差点を通過する.地図を見ると近くに豊岡ランドという施設があるようである.
 このあたりで,遠足中の子供達と再び会う.子供達がかわいい.
 ”豊岡ランドって何だろうな…?”
などとぼんやり考えながら,グループの最後部についてノソノソと歩き続ける.
 10時28分,石塔群を左手に見ながら通過する.
 ”これらの石塔群,いったい何だろう…?”
 私は石塔群が少々気になるが,ここは何の解説もなしに通過する.

<路傍の石塔群>

<いよいよ那須町>

■峠を越える

 その後も緩やかな上り坂が連続する.
 10時32分,峠を通過する.私たちはいよいよ那須町に入る.
 町境に立っている那須町の標識をデジカメに収めるが,ピンぼけで,標識に何が書いてあるか全く分からない.私は自分の写真術の未熟さが実に歯がゆい.
 この閑静な道も,ときどき自動車が通る.添乗員が,
 「一列にお願いします…」
と何回となく注意を促す.

<那須町に入る>


長閑な散策路
 10時38分,私たちは今の国道から外れて,静かな旧道を歩いている.緑が美しい素晴らしい散策路である.少々蒸し暑いのが難点だが,実に気持ちの良いところである.
 10時40分,右折してさらに枝道に入る.

<長閑な散策路>

<黒川を渡る>

■黒川の堤防道
 本来の奥州街道は,現在の黒川橋より200メートルほど下流を通っていたとのことである.そこで,本来の奥州街道に近いところを通る枝道を抜けて,黒川右岸の堤防に登る.
 講師の説明を伺いながら堤防道を上流に向けて歩きつづける(下の写真に写っている橋が黒川橋).
<黒川の堤防道>

■豪雨の爪痕
 10時42分,黒川に架かる黒川橋に到着する.
 橋の橋脚の部分に,平成10年8月末豪雨のときの水位が記録されている.
 ”こんな所まで,水位が上がったのか!”
 豪雨の恐ろしさが,この記録から直接伝わってくる.

<黒川橋に記録された豪雨の水位>

■黒川橋を渡る
 黒川橋を渡る.
 橋の上から黒川を望む.心が癒される美しい渓流である.思わず立ち止まって川の写真を撮る.
 写真を撮りながら,
 ”こんなに美しい川が,たちまち牙を剥いて洪水を引き起こすなんて…”
とちょっと不思議に感じになる.

<美しい黒川の流れ>

<奥州街道の痕跡>

■概念図

※正確かどうか全く分からない.

■旧道の跡
 10時47分,本来の奥州街道が通っていた痕跡が僅かに見える場所を通過する.進行方向右手の土手の向こうに繁茂する雑草の中に,微かに雑草の丈が低くなっているところがある.
 講師の説明によると,これが元々の奥州街道の痕跡だという.

<奥州街道の痕跡>

■船着場跡
 9時47分,繁茂する夏草の間に苔むした石積の残骸が見える.ここが黒川の渡しがあった場所(かな?)と勝手に連想する.
 ここは先ほど堤防に登った場所と,黒川を境にして丁度反対側の位置に当たる.

<船着場跡>

<夫婦石神社と夫婦石の一里塚>

■夫婦石神社
 10時35分,夫婦石に到着する.
 大きな石の前に,少し古くなった木作りの案内杭が立っている.
 なぜかこの案内板が見事に二つに割れているのを見て,渡しは思わず,
 ”この夫婦,仲が悪いな…”
と連想してしまう.
 旅行社から頂戴した案内文には,「一夜にして二つの石に分かれた」という説と,「夫婦がこの石に逃げ込んで助かった」などいくつかの伝説が残っているようである.帰宅後,インターネットで夫婦石について調べてみたが,今のところ確からしい情報は得られていない.
 なお,同資料によるとこの石の幅は約3メートルあるとのこと.
 ここは神社らしく夫婦石に隣接して鳥居が立っている(下の写真).

<夫婦石>

■地蔵群
 夫婦石の裏手に回ってみる.そこには,さまざまな地蔵がずらりと並んでいる.
 残念ながら,私には仏像の知識が殆どないので,ここに立ち並んでいる地蔵がそれぞれどんな役割をお持ちなのかは全く分からない.

<沢山の地蔵が立ち並ぶ>

■夫婦石の一里塚
 11時05分,夫婦石の一里塚に到着する.江戸日本橋から43番目の一里塚である.
 私には詳しいことは分からないが,なんだかずいぶんと小振りな一里塚のような気がする. 


<夫婦石の一里塚>


■小さな池
 夫婦石の一里塚のすぐ脇に小さな池がある.
 なんだか気になる池なので,写真を撮る.
 ”この池にまつわる薄気味悪い伝説があるかもしれないな…”
と私は妙な期待をしてしまう.

<小さな池>

<旧道と石塔群>

■左折して旧道へ
 11時10分,左折して旧道に入る.道幅が狭い道だが綺麗に舗装されている.
 ちょっと下りの坂道である.例によって,私は列の後ろの方で,チンタラ,チンタラ歩いている.

<左折して旧道を行く>

■石塔群
 11時14分,石塔群に到着する.後ろに大きな竹林がある.
 最初に目が付く石塔には数足のわらじが括り付けてある.石塔には○○(読めない)大神と大きな字が刻字されている.
 この他にも馬頭観音2基が確認できる.
 その他の石塔はどのようなものか良く分からない.



<石塔群>

<芦野宿へ>

■菖蒲川の菖蒲橋
 11時17分,菖蒲川に到着する.
 菖蒲川に架かる菖蒲橋の上で,ちょっと立ち休憩を取る.この橋を渡るといよいよ芦野宿である.

<菖蒲川の菖蒲橋>

■菖蒲川を眺める
 菖蒲橋の上から菖蒲川を覗き込む.川幅は狭く,河川敷を夏草が覆っている.その中央を小川がユックリと流れている.
 湖野橋を渡ると,いよいよ芦野宿である.

<菖蒲川>
                                    (つづく)
つづきの記事
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「奥州街道」の索引
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