歩いて巡る東海道五十三次宿場巡り全15回(9)
(小田急トラベル)
第4回:戸塚駅から地が沢駅まで(その1)
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『東海道五十三次の旅』
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2007年6月10日(日)
<まずは東俣野中央公園へ>
■残念ながら悪天候
歩いて巡る東海道五十三次第4回目は,戸塚駅から茅ヶ崎駅まで17.4キロメートルを歩く予定である。
早朝,4時頃起床したときには,晴れ間さえあったのに,Flower-hillが,家を出る頃になると,どんよりとした曇り空に変わってきた。「これは雨に会うな」と確信した。何時もの山行のときは,セパレート型のゴアテックスの雨具を,ちゃんと用意するが,今日は市街地の散策なので,しっかり装備する気にならない。そこで,私は,折り畳み傘と簡単なポンチョ型のビニールカッパだけを小さなナップサックに入れる。
雨になる可能性があるので,軽登山靴はおろか上等な運動靴も履く気にならない。もう数年前から履いているので靴底がチビれたボロ靴を履いて,自宅を9時少し前に出発する。大船駅から横須賀線に乗車,9時30分に戸塚駅に到着する。
<歩行ルート概念図>
■戸塚駅を出発
集合場所の東口ロータリー階段の下へ降りる。既に30人ほどの参加者が集まっている。本日のガイドは,小美野さん,柴さん,それに初めてお会いする樽田さんの3人である。今回は4回目の散策である。何となく顔見知りになった方々も何人か居られる。早速,参加手続きを済ませる。
<戸塚駅前にて受付>
係員から,数名の方々が遅延するので,しばらく待てといわれる。そういえば,私が乗った横須賀線も,5分ばかり遅延していた。待っている間に,雨足が強くなり始める。昨夜の天気予報では,今朝,明け方には雷雲が東海上に去って,天気は持ち直すと言っていたが,どうやら予報よりも天候の回復が遅れているようである。
10時15分頃,係員が参加者に5列に並ぶように指示する。参加人数の確認のためである。本日の参加者は50名余りだとのことである。
10時17分,恒例の
「エィ~ッ,エィ~ッ・・・オー・・!!」
の掛け声を発してから歩き出す。この掛け声だが,flower-hillは,個人的には極めて馬鹿馬鹿しい愚行だと思っている。こんなことをするよりも,一斉に足首のストレッチでもしてから,粛々と出発する方が,私の好みに合っている・・・・・が,これも団体行動。私も小さな声で参加する。
■開かずの踏切
出発して直ぐの10時18分,戸塚駅の東京寄りの国道1号線踏切に到着する。踏切は閉まっている。東海道本線,横須賀線の電車が,いちいちホームに停まってから出ていくので,その間,踏切は「チンチン」言いながら閉まりっぱなしである。普段,電車を利用しているときには,イライラしながら,なかなか来ない電車を待っているが,その時の感覚に較べると,やけに電車が往来しているように思える。
もっとも,普段余り気にしない団体列車,回送電車,貨物列車なども,結構,頻繁に通過していく。かれこれ,10分ほどの間,踏切が開くのを気長に待って,10時26分,漸く踏切が開く。「それ~っ・・」とばかりに踏切を渡り始めると,ものの20秒も経たない内に,また,「カンカン」と鳴り出して,踏切が閉まり始める。慌てて,まだしまり始めていない反対側の車線を通って,逃げるように踏切の外へでる。
「踏切め~っ! 俺様をバカにするな~っ・・・!」
と心の中で怒鳴り散らす。
■戸塚宿澤邊本陣跡
踏切を越えて,国道1号線に沿って歩き出す。雨足が一段と強まってくる。ときどき雷鳴が轟き始める。暫く歩いている内に,ボロ靴の底に水が浸水し始める。靴下の底が濡れて気持ち悪くなってくる。街歩きだとバカにして,ゴアテックス張りの靴を履いてこなかったことを後悔し始める。
10時37分に澤邊本陣跡を通過する。勿論,建物などは全く残っていない。炭黒々と「戸塚宿澤邊本陣跡」と書いてある木柱が建っている。旅行社から頂戴した案内書によれば,この本陣は戸塚宿開設に尽力した澤邊宗三が創設したという。澤邊氏は明治時代になって自宅を開放して寺子屋を開設した偉人のようである。また,ここは明治天皇が東京へ行幸されたときの御在所になったこともある由緒正しい史跡だという。
<明治天皇御在所の碑>
<澤邊本陣跡>
■富塚八幡宮
国道を南下して,10時42分に八坂神社を通過する。お参りしたいと思ったが,広い階段の先にある社殿を眺めただけである。
<八坂神社>
次いで,10時45分に富塚八幡宮を通過する。ここも緑滴る森の中にひっそりと建っている社殿を眺めただけである。
案内書によると,富塚八幡宮は,源頼義,義家父子軍勢が陸奥の乱を平定に赴く際,ここで一夜を明かした。その夜,富属彦命(とつひこのみこと)のお告げを受けて戦功をたてた。そして帰国の途中で,ここに社殿を創建したという。この富塚(とみづか)という呼称が,後に現在の「とづか」になったというから興味深い。
<富塚八幡宮>
■原宿一里塚
さらに国道1号線に沿って南南西に進む。10時50分頃から,1号線が上り勾配になる。勿論,平素flower-hillが歩いている登山道には較べれば,限りなく水平に近い登り坂だが,平素歩き馴れていない人達にとっては,どうやら結構な登り坂に感じるらしい。呼吸を荒げながら,必死に歩いている参加者もかなり沢山居るようである。
11時08分,「日本橋より65キロ」と書いた案内杭を通過する。そして,11時15分に原宿一里塚跡を通過する。この一里塚が,日本橋から数えて11番目の一里塚である。当時を偲ぶものは何もないが,今満開のつつじに囲まれて,大きな案内板が建っている。
<原宿一里塚跡>
11時17分,浅間神社の前を通過する。社殿は私達が歩いている歩道の反対側にある。遠くから写真をデジカメで撮っただけで通過する。残念!
<浅間神社>
雨足はますます強くなる。南の方で盛んに稲妻が光っている。そして,雷鳴が轟き渡る。今日は山歩きでなくて良かった! もし,山の中で,こんな雷雨に会ったら生きた心地がしないだろう。
■東俣野中央公園に到着
11時20分に大運寺の前を通り過ぎる。写真を撮る暇もない。「全く忙しないな・・・」と心の中で愚痴をこぼす。そうこうしている内に,11時23分に原宿交差点を通過する。この辺りは自動車で良く通過するところである。何時も見慣れている風景だが,同じ風景でも,自動車の窓から見る風景と,歩いて見る風景とは,かなり印象が違う。
原宿交差点を過ぎて,暫く歩いたところで,細い路地を右折する。路地をほんの200メートルほど進んで,11時55分,東俣野中央公園に到着する。ここで,20分ほど最初の休憩をとる。
<東俣野中央公園>
(つづく)
(小田急トラベル)
第4回:戸塚駅から地が沢駅まで(その1)
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2007年6月10日(日)
<まずは東俣野中央公園へ>
■残念ながら悪天候
歩いて巡る東海道五十三次第4回目は,戸塚駅から茅ヶ崎駅まで17.4キロメートルを歩く予定である。
早朝,4時頃起床したときには,晴れ間さえあったのに,Flower-hillが,家を出る頃になると,どんよりとした曇り空に変わってきた。「これは雨に会うな」と確信した。何時もの山行のときは,セパレート型のゴアテックスの雨具を,ちゃんと用意するが,今日は市街地の散策なので,しっかり装備する気にならない。そこで,私は,折り畳み傘と簡単なポンチョ型のビニールカッパだけを小さなナップサックに入れる。
雨になる可能性があるので,軽登山靴はおろか上等な運動靴も履く気にならない。もう数年前から履いているので靴底がチビれたボロ靴を履いて,自宅を9時少し前に出発する。大船駅から横須賀線に乗車,9時30分に戸塚駅に到着する。
<歩行ルート概念図>
■戸塚駅を出発
集合場所の東口ロータリー階段の下へ降りる。既に30人ほどの参加者が集まっている。本日のガイドは,小美野さん,柴さん,それに初めてお会いする樽田さんの3人である。今回は4回目の散策である。何となく顔見知りになった方々も何人か居られる。早速,参加手続きを済ませる。
<戸塚駅前にて受付>
係員から,数名の方々が遅延するので,しばらく待てといわれる。そういえば,私が乗った横須賀線も,5分ばかり遅延していた。待っている間に,雨足が強くなり始める。昨夜の天気予報では,今朝,明け方には雷雲が東海上に去って,天気は持ち直すと言っていたが,どうやら予報よりも天候の回復が遅れているようである。
10時15分頃,係員が参加者に5列に並ぶように指示する。参加人数の確認のためである。本日の参加者は50名余りだとのことである。
10時17分,恒例の
「エィ~ッ,エィ~ッ・・・オー・・!!」
の掛け声を発してから歩き出す。この掛け声だが,flower-hillは,個人的には極めて馬鹿馬鹿しい愚行だと思っている。こんなことをするよりも,一斉に足首のストレッチでもしてから,粛々と出発する方が,私の好みに合っている・・・・・が,これも団体行動。私も小さな声で参加する。
■開かずの踏切
出発して直ぐの10時18分,戸塚駅の東京寄りの国道1号線踏切に到着する。踏切は閉まっている。東海道本線,横須賀線の電車が,いちいちホームに停まってから出ていくので,その間,踏切は「チンチン」言いながら閉まりっぱなしである。普段,電車を利用しているときには,イライラしながら,なかなか来ない電車を待っているが,その時の感覚に較べると,やけに電車が往来しているように思える。
もっとも,普段余り気にしない団体列車,回送電車,貨物列車なども,結構,頻繁に通過していく。かれこれ,10分ほどの間,踏切が開くのを気長に待って,10時26分,漸く踏切が開く。「それ~っ・・」とばかりに踏切を渡り始めると,ものの20秒も経たない内に,また,「カンカン」と鳴り出して,踏切が閉まり始める。慌てて,まだしまり始めていない反対側の車線を通って,逃げるように踏切の外へでる。
「踏切め~っ! 俺様をバカにするな~っ・・・!」
と心の中で怒鳴り散らす。
■戸塚宿澤邊本陣跡
踏切を越えて,国道1号線に沿って歩き出す。雨足が一段と強まってくる。ときどき雷鳴が轟き始める。暫く歩いている内に,ボロ靴の底に水が浸水し始める。靴下の底が濡れて気持ち悪くなってくる。街歩きだとバカにして,ゴアテックス張りの靴を履いてこなかったことを後悔し始める。
10時37分に澤邊本陣跡を通過する。勿論,建物などは全く残っていない。炭黒々と「戸塚宿澤邊本陣跡」と書いてある木柱が建っている。旅行社から頂戴した案内書によれば,この本陣は戸塚宿開設に尽力した澤邊宗三が創設したという。澤邊氏は明治時代になって自宅を開放して寺子屋を開設した偉人のようである。また,ここは明治天皇が東京へ行幸されたときの御在所になったこともある由緒正しい史跡だという。
<明治天皇御在所の碑>
<澤邊本陣跡>
■富塚八幡宮
国道を南下して,10時42分に八坂神社を通過する。お参りしたいと思ったが,広い階段の先にある社殿を眺めただけである。
<八坂神社>
次いで,10時45分に富塚八幡宮を通過する。ここも緑滴る森の中にひっそりと建っている社殿を眺めただけである。
案内書によると,富塚八幡宮は,源頼義,義家父子軍勢が陸奥の乱を平定に赴く際,ここで一夜を明かした。その夜,富属彦命(とつひこのみこと)のお告げを受けて戦功をたてた。そして帰国の途中で,ここに社殿を創建したという。この富塚(とみづか)という呼称が,後に現在の「とづか」になったというから興味深い。
<富塚八幡宮>
■原宿一里塚
さらに国道1号線に沿って南南西に進む。10時50分頃から,1号線が上り勾配になる。勿論,平素flower-hillが歩いている登山道には較べれば,限りなく水平に近い登り坂だが,平素歩き馴れていない人達にとっては,どうやら結構な登り坂に感じるらしい。呼吸を荒げながら,必死に歩いている参加者もかなり沢山居るようである。
11時08分,「日本橋より65キロ」と書いた案内杭を通過する。そして,11時15分に原宿一里塚跡を通過する。この一里塚が,日本橋から数えて11番目の一里塚である。当時を偲ぶものは何もないが,今満開のつつじに囲まれて,大きな案内板が建っている。
<原宿一里塚跡>
11時17分,浅間神社の前を通過する。社殿は私達が歩いている歩道の反対側にある。遠くから写真をデジカメで撮っただけで通過する。残念!
<浅間神社>
雨足はますます強くなる。南の方で盛んに稲妻が光っている。そして,雷鳴が轟き渡る。今日は山歩きでなくて良かった! もし,山の中で,こんな雷雨に会ったら生きた心地がしないだろう。
■東俣野中央公園に到着
11時20分に大運寺の前を通り過ぎる。写真を撮る暇もない。「全く忙しないな・・・」と心の中で愚痴をこぼす。そうこうしている内に,11時23分に原宿交差点を通過する。この辺りは自動車で良く通過するところである。何時も見慣れている風景だが,同じ風景でも,自動車の窓から見る風景と,歩いて見る風景とは,かなり印象が違う。
原宿交差点を過ぎて,暫く歩いたところで,細い路地を右折する。路地をほんの200メートルほど進んで,11時55分,東俣野中央公園に到着する。ここで,20分ほど最初の休憩をとる。
<東俣野中央公園>
(つづく)
私も京都から歩き始めたばかりです。
日本橋まで三年計画で歩くつもりです。
どこかですれ違うのかもしれませんが・・・こんな夢を持って歩くのもいいなあ・・・と思っております。
楽しみに、こちらへ寄せていただきます。
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