中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る日光街道二十一宿(第1回目)(3)

2009年05月08日 17時24分02秒 | 日光街道二十一宿
                      <松尾芭蕉の立像>

        歩いて巡る日光街道二十一宿(第1回目)(3)
              JR東京駅→竹ノ塚駅
              (小田急トラベル)
          2009年5月2日(土)(つづき)

<大橋公園>

■松尾芭蕉を偲ぶ

 私達は,13時21分に千住大橋を渡り終える.橋の袂に大橋公園がある.隅田川の左岸に位置している.ここで,15分ほどの休憩時間がある.
 早速,橋の袂から階段を上り下りして,堤防の内側に降りる.目の前には満々の水を湛えた隅田川がユックリと流れている.見上げると,今,渡ってきた千住大橋が目の前から対岸の右岸に向かって,ドッシリと上空に架かっている.
 高さ3~4メートルのコンクリートの護岸壁が河岸に沿って延々と続いている.大橋公園は,川面と護岸壁の間の僅かな空間を利用して作られた公園である.
 堤防の上から階段を下って,この空間に降りる.すると,護岸壁に書かれた説明文や絵を楽しみながら見て回ることができる.
 階段を降りた所には,
 “おくのほそ道旅立ちの地”
 “千じゅと云所にて船をあがれば,前途三千里のおもひ胸にふさがりて,
    幻のちまたに離別の泪をそゝく”
という『奥の細道』の一節と,芭蕉の旅立ちの様子を画いた絵が描かれている.


■千住大橋と荒川の言い伝え
 階段を降りた所から,公園の空き地をほんの少し上流に向かうと,護岸に,
 “千住大橋と荒川の言い伝え”
と書いた案内板が取り付けられている.この案内板には,古くからの言い伝えが二つほど細かな字で書かれているが,時間がないので省略する.
 案内板の左右には,この辺りの様子を画いた何枚かの浮世絵が護岸壁に描かれている.それに,どうしてここに掲示されているのか,事前に予習してこなかった私には分からないが,古い時代の相撲の番付表が,なぜか張り出されている.


■千住大橋際御上り場
 再び階段口に戻る.ここで私は,“千住大橋際御上り場”と書かれた案内板に吸い寄せられるようにして,橋下を潜って反対側へ行ってみる.
 そこには,千住掃部宿の役人,高尾家の由来を書いた説明板が取り付けられている. 河岸には,克明な説明文が取り付けられている.




<奥の細道出発点>

■足立区を行く
 13時33分,私達は,例の「エイ,エイ,オー」の掛け声勇ましく(恥ずかしく),大橋公園を出発する.相変わらず住宅地と商店が混在している街中を歩く.こんなに歩いても,まだ,切れ目なく市街地が続く.東京って,実に大きな街だなと実感する.
 神奈川に住んでいる私には,同じ東京でも,神奈川と全く反対側の遠い所に来てしまうと,何とも落ち着かない気分になってくる.
 同じ東京でも,港区,中央区,千代田区,文京区辺りまでは,自分の生活圏に近いという印象がある.台東区辺りはまだ上野公園がある関係もあって,まだ身近である.しかし,江戸川区,北区,葛飾区,墨田区辺りになると,どの区が何処にあるのか相互の位置関係も良く分からないし,この辺りまで来ると,交通機関の様子もなかなかピンと来なくなる.
 「私達,今,どこの区に居るんですか・・・?」
と思わず周囲の人に聞いてしまう.私と同様に良く分からない仲間も沢山居るようだが,この辺りに土地勘がある人が,
 「・・隅田川を渡る前が荒川区,渡ってからが足立区ですよ・・・」
と教えてくれる.
 足立区と言われても,随分遠くまで来たなということは分かるが,足立区がどんな所なのか,私は全く理解していないようである.勿論,足立区内を歩くのは,私にとって初めての経験である.

                    <旧日光街道を行く>

■松尾芭蕉の立像
 足立市場入口から,旧日光街道に入る.旧街道に入ると,途端に道幅が狭くなる.相変わらず住宅地と商店が混在する市街地が続く.
 13時37分,小さな公園風の場所に到着する.ここは松尾芭蕉の「奥の細道出発点」である.紙と筆を持った松尾芭蕉の立像が安置されている.その傍らに,奥の細道全行程を示す地図が掲示されている.

                   <奥の細道行程図>

<千住宿>

■往時を追想させる街並み

 13時38分,京成本線千住大橋駅近くのガード下を潜る.すると,辺りの街の様子が,だんだんと宿場町跡を思わせる雰囲気に変わってくる.
 民家の軒先に「佐野屋」,「大喜」というような昔の屋号を書いた表札(と言うか看板)がぶら下げてある.そして,所々に「やっちゃ場追想」「千住宿問屋場・貫目改所」というような説明文が掲示されている.でも,残念ながら,ユックリと読んでいる暇はない.
 13時47分,「千住宿」と書いた石柱の前を通過する.
 小田急トラベルの資料によると,千住宿の「千住」は,1327年,荒川から出土した千手観音に由来するという説と,足利義政の妻千寿姫の生地だったことに由来するという説があるという.千住宿の規模については,調べていないので良く分からない.

                <昔の屋号を記した表札>


                    <千住宿跡>

■名倉医院
 旧日光街道に沿って北上を続けると,辺りがだんだんと閑静な住宅地に変わっていく.やがて,前方に荒川の堤防が見え始める.そのまま路地風の道を進むと,堤防の直ぐ手前,右側に名倉医院に到着する(14時04分).
 堤防に突き当たる一寸手前,道路右手に駐車場がある.この駐車場奥に名倉医院がある.
 名倉医院は,ほねつぎの名医だったという.小田急トラベルの資料によると,その名医振りは関東一円に知れ渡っていたという.多い日には600~700人の患者が訪れたというから大変なものである.この医院の周辺には患者のための宿泊施設が多くあったというから驚きである.

                   <名倉医院>

<ベルモンド公園から竹ノ塚へ>

■千住新橋

 名倉医院から往路を,ほんの数十メートル引き返し,14時12分,千住新橋に到着する.荒川は私が住んでいる鎌倉辺りでは,とてもお目にかかれない大河である.大きな橋に圧倒されながら橋を渡る.結構沢山の人達が自転車や徒歩で橋を渡っている.橋を渡るのは自動車ばかりで,歩いて渡る人など殆ど居ないと思いこんでいた私は,とても驚いてしまう.
 14時18分,千住新橋を渡りきる.結局,この長い橋を渡るのに,6分も掛かったことになる.渡り終えた所で堤防に沿って川上方向(東の方向)に400メートルほど移動する. ガイドの話によると,今渡った荒川は,昔,足の生える平地だったという.その平地の中を日光街道が斜めに横切っていたという.ところが,現在の千住新橋は荒川を賛嘆距離で渡るため,渡った先が旧街道から400メートルほど逸れてしまった.

                   <千住新橋>

■善立寺
 逸れた分だけ歩いて,右折し,再び旧日光街道に入る.この三叉路付近に,威風堂々の近代的な建物が建っている.この建物が善立寺である.鉄筋コンクリート作りの壮大なお寺である.ガイドに伺って,このお寺の曰く因縁は全く不明である.
 「・・・ガイドだったら,事前に調べておけよ・・・」
と私は心の中で悪態をつく.

                    <善立寺>

■ベルモンド公園
 善立寺を過ぎてからは,特に見学する所もなく,市街地を北へ北へと歩き続ける.そして,14時42分,東部伊勢崎線梅島駅前のガードを通過する.
 14時48分,ベルモンド公園に到着する.ここで休憩を取る.
 ここは,足立区とオーストラリアのベルモンド市が,1984年,姉妹都市になり,その友好交流を記念して造られた公園である.
 入口から公園にはいると,中央に池がある.その池に黒い水鳥が優雅に泳いでいる.この黒い水鳥は,西オーストラリア州の州鳥だという.
 公園を一周してみる.片隅に建物がある,近付いてみるとオーストラリアの工芸品や日用品を展示する場所のようである.中に入ってみたかったが,時間がない.

                 <ベルモンド公園>

■東武竹ノ塚駅
 14時58分,ベルモンド公園を出発する.勿論,例の「エイ,エイ,オー」を省略するはずはない.
 15時10分,環状7号線を横断する.そのまま,旧日光街道を北上する.そして,仲通交差点を左折して,東部伊勢崎線竹ノ塚駅前の広い通りに入る.目の前に竹ノ塚駅の大きな建物が見え出す.
 15時44分,私達は,本日の終点,東部伊勢崎線竹ノ塚駅に無事到着する.
 ここで,万歳三唱をして解散.天の邪鬼な私は,何でこんな所で大声出して万歳なんかするのとご機嫌斜めである.もっとも,顔はニコニコしているが・・・

                      <竹ノ塚駅>

<訳の分からない帰り道>

■東武伊勢崎線竹ノ塚駅

 さて,ここからが問題である.東武伊勢崎線の竹ノ塚から,どんな経路で電車を乗り継いだら,JR大船駅に辿り着けるかが,この辺りの土地勘がない私には,全く見当が付かない.ガイドの伺うと,親切に教えてくれるが,説明の中で出てくる沢山の駅名が,これまで聞いたこともない所ばかりなので,具体的なイメージになって頭の中に浮かんでこない.
 幸いなことに仲間の中に,土地勘のある人が居るので,その方の後を付いていくことにする.
 まずは,15時55分発東部伊勢崎線浅草行各駅停車の電車に乗車する.電車は混雑していて座席に座ることができない.
 北千住で,JR常磐線電車に乗り換える.そして,日暮里で,山手線に乗り換えて,16時31分に東京駅にやっと到着する.ここからは,いくら田舎者の私でも大丈夫.東京駅発16時43分の湘南電車に無事乗り換える.ヤレヤレである.

■何とか帰宅・ヤレ,ヤレ
 17時50分頃,無事,自宅に辿り着く.
 今回の散策は,これまで,全く行ったことがなかった所を,初めて訪れた.大変面白かった.もう何年も東京近郊に住んでいるのに,東京駅日本橋口で迷ったり,東部伊勢崎線の沿線で,自宅への帰り方が良く分からなくなったりで,やっぱり私は田舎者だなとつくづく思う.
 「一体全体,何で事前にもっと行き先のことを調べないんだ! 山へばかり登っているのが能ではないぞ・・!」
 私の中に巣くっている天の邪鬼なもう一人の私が,この怠惰な表の私を責め続ける.
 「分かったよ!・・・次回は,もう少し行き先のことを調べてから歩くよ・・」
と,私は「天の邪鬼な私」に弁解する.でも,弁解しながらも,次回もヤッパリ丹沢へ出掛けてばかりいて,何も調べずに,ツアーに参加するんだろうなと情けなくなる.

[ラップタイム]

10:08  東京駅日本橋口歩き出し
10:12  日本橋(10:25まで休憩)
10:51  浅草見付
11:25  浅草雷門(12:25まで昼食)
13:04  小塚原刑場跡
13:20  千住大橋(13:33まで大橋公園見学)
13:37  奥の細道出発点
13:48  千住宿問屋跡
14:04  名倉医院
14:12  千住新大橋
14:26  善立寺
14:42  梅島駅前
14:48  ベルモンド公園(14:58まで休憩)
15:44  東武竹ノ塚駅着

[歩行記録]

■水平歩行距離
      15.0km

■累積登攀下降高度    軽微

■所要時間(休憩時間を含む)
  東京駅日本橋口 発    10:03
  東武竹ノ塚駅 着     15:44
 (所要時間)    5時間41分(5.68h)
 水平歩行速度   15.0km/5.41h=2.64km/h
                          (第1回目おわり)

「日光街道二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3df56c7c853f5220b7c04c2bc2d2320f
「日光街道二十一宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/df6aa7640a043eba573b9e9730071cc4


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2 コメント

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キュウポラのある町 (suzuka)
2009-05-09 11:19:41
足立区は吉永小百合の若い時の映画小さな町工場がたくさんあった。まさに戦後の高度成長を支えた労働者の町。「私の浅草」沢村貞子、「小石川の家」幸田文、関東大震災(この年は母出生)前の江戸は祖母の青春、戦時中は母の青春。震災、戦後が古き良きたたずまいの東京を破壊した。夏目漱石が、子規が住んだ根岸10代のころ雑司ケ谷の夏目金ノ助の墓とかかれた素朴な墓に行き漱石文学を畏敬した。今は立派な墓になっている。くさばの陰で漱石はむくれているだろう。祖母は幸田文の面影が、母は沢村貞子の面影が、このブログはまた、私を多弁にしている。腹の中は不満タラタラでもにこにこして万歳なんて、私はできない。
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足立区は奥が深いですね (FH)
2009-05-09 16:04:51
suzuka様
 たびたびのコメント、ありがとうございます。
 私には文学のことは、ほとんど分かりませんが、コメントを拝見すると、足立区には奥深いものがありそうですね。
 「キュウポラのある町」という題名の映画を、戦後間もない頃、見たような気がしますが、内容は全く覚えていません。
 何区になるのか分かりませんが、学生時代、常磐線沿線で、1本に見えたり、2本、3本にも見える4本お化け煙突を見たことだけは鮮明に覚えています。いつの間にかなくなりましたね。
 ご指摘の万歳ですが、私は雰囲気に迎合する方ですので、いやだなと思っても適当にお付き合いしています。
 これからもよろしくお願いします。
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