<智賀都神社で休憩を終えて,そろそろ出発>
歩いて巡る日光道中二十一宿(第5回)(3):第2日目:並木道と徳次郎宿
(小田急トラベル)
2009年11月7日(土)~9日(月)
第2日目:11月8日(日)
<宇都宮郊外の道を歩く>
■朝食後ホテルを出発
宇都宮駅近くのホテルニューイタヤで2日目の朝を迎える.夜中に何回も目が覚めたが,今日の体調は,まあ,まあ,良さそうである.
今日は,江戸から18番目の徳次郎宿,19番目の大沢宿,20番目の今市宿を経由する27.7キロメートルの長距離歩行の日である.果たして全行程無事に歩けるかどうか,病み上がりの私には心配である.
6時30分から,ホテル1階のレストランで朝食.バイキング形式.和食のメニューを選ぶ.
<ホテル前に集合;少々寒い>
■一号公園で休憩
7時25分,ホテルを出発.7時30分,バス停大工町で路線バスに乗車.7時35分,バス停伝馬町で下車する.ここで「エイ,エイ,オー・・」で,昨日の続きを歩き出す.
歩き出して直ぐの所に,江戸日本橋から27番目の下戸祭一里塚跡があるはずだが,どこが一里塚跡か全く分からない.
一里塚跡らしいところを通過すると,郊外を北北西に進む平凡な道になる.途中,県立体育館,高尾神社を経由して,歩き始めてから,およそ4キロメートル余りのところにある一号公園に到着する.ここで,今日,第1回目休憩を取る.
<一号公園で休憩>
■上戸祭一里塚
休憩を終えた私たちは,8時43分に一号公園から歩き出す.勿論,「エイ,エイ,オー・・」の掛け声付きである.
1キロメートルほど歩いた頃,8時52分,江戸から28番目の上戸祭一里塚跡を通過する.一里塚跡には案内板が立っている.
■弁天橋
のどかな郊外の道が続く.広々とした畑や森の中に,大きな屋敷が建っている.いかにもゆったりとした風景である.湘南地方のチマチマした住宅地に住む私には,この辺りのただ住まいがとても羨ましく感じる.
9時02分,弁天橋を通過する.弁天橋という名前から,どんな橋だろうかと期待していたが,残念ながら,平凡で,小さな橋だった.
■光明寺
9時11分,光明寺を通過する.
旅行社の資料によると,文禄年間(1592~1596年),野沢の石塚に玉塔院が建立されたのが始まりで,1671年(寛文11年),現在の場所に移されたという.徳川将軍家の日光社参のときに休憩所として利用された.また,この付近には,立場があったという(立場は,宿と宿の間にある休憩用の茶屋のこと).
■大晃ドライブインで休憩
9時31分,宇都宮北道路のガード下を潜る.
9時40分,大晃ドライブインに到着する.ものすごく広い駐車場を備えたマーケットプレースである.規模の大きさにビックリ仰天である.
広い駐車場の周辺には,様々な大規模店が軒を連ねている.駐車場には,沢山の自家用車,バス,それにおびただしい数のオートバイが駐車している.多分,暴走族だろう.私たちは駐車場を横切って,「旅の駅うつのみや」の前の広場で休憩を取る.
広場でボンヤリと立っていると,どこかの観光バスが到着,バスの中から,足元が覚束ないお年寄りが数十人下車してくる.これらの方々が列になって「旅の駅うつのみや」へ入っていく.私はあまりの人出にびっくりしてしまい,ついに建物の中には入らなかった.
<徳次郎宿>
■暴走族の爆音
休憩を終えた私たちは,9時59分,大晃ドライブインから歩き出す.勿論,「エイ,エイ,オー・・」付きである.
この辺りから,車道沿いの並木道が始まる.車道より一段高い土手に並木が続く.歩いていても,とても気分がよい道である.私たちは,素晴らしい並木道を堪能しながら,上機嫌で歩き続ける.
丁度そのとき,暴走族が我が物顔に車道を走っていく.耳が痛くなるほどの,ものすごい爆音を響かせている.思わず両手で耳を覆う.数十台の暴走車が集団になって走っていく.二人乗りの車もかなりある.明らかに改造されている車も多い.せっかくの雰囲気も,暴走族のお陰で台無しである.
■高谷林一里塚
10時08分,江戸日本橋から29番目の高谷林一里塚跡を通過する.塚の跡を偲ばせる大木と案内板が立っている.
■第六号楼合井
10時09分,高速道路のガード下を通過する.
10時10分,文化財「第六号楼合井」を通過する.こんもりとした盛り土の上に,八角形(?)の建物が見えている.
■大谷道の道標
10時18分,大谷道の道標を通過する.
交差点内の植え込みの中に,かくれるように大谷道の道標が立っている.この道標には「大谷道」「下次郎宿」という文字が刻まれている.昔は,ここから大谷観音に向かう道があったというが,今は廃道になっている.
■徳次郎宿
この辺りに,江戸から18番目の徳次郎宿があった.
旅行社の資料によると,徳次郎宿には本陣2軒,脇本陣3軒,旅籠72軒があり,宿内戸数168戸,宿内人口653人の規模であった(調査年代未詳).
■智賀都神社
10時42分,智賀都神社に到着する.
旅行社の資料によると,ここは778年(宝亀9年)に創建されたといわれる由緒のある神社である.徳川将軍家の崇敬社でもあったという.境内には2本の巨大なケヤキが生えている.樹齢約700年,県指定天然記念物になっている.
私たちは,ここで昼食を摂る.旅行社が配る弁当を貰ってから,三々五々集まって,ゆっくりと昼食を楽しむ.
<智賀都神社>
(つづく)
「日光道中二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/173e5b5733926d9eb31d94bc43761586
「日光道中二十一宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/75bdc732d601d2bd39ac5fcd06669394
歩いて巡る日光道中二十一宿(第5回)(3):第2日目:並木道と徳次郎宿
(小田急トラベル)
2009年11月7日(土)~9日(月)
第2日目:11月8日(日)
<宇都宮郊外の道を歩く>
■朝食後ホテルを出発
宇都宮駅近くのホテルニューイタヤで2日目の朝を迎える.夜中に何回も目が覚めたが,今日の体調は,まあ,まあ,良さそうである.
今日は,江戸から18番目の徳次郎宿,19番目の大沢宿,20番目の今市宿を経由する27.7キロメートルの長距離歩行の日である.果たして全行程無事に歩けるかどうか,病み上がりの私には心配である.
6時30分から,ホテル1階のレストランで朝食.バイキング形式.和食のメニューを選ぶ.
<ホテル前に集合;少々寒い>
■一号公園で休憩
7時25分,ホテルを出発.7時30分,バス停大工町で路線バスに乗車.7時35分,バス停伝馬町で下車する.ここで「エイ,エイ,オー・・」で,昨日の続きを歩き出す.
歩き出して直ぐの所に,江戸日本橋から27番目の下戸祭一里塚跡があるはずだが,どこが一里塚跡か全く分からない.
一里塚跡らしいところを通過すると,郊外を北北西に進む平凡な道になる.途中,県立体育館,高尾神社を経由して,歩き始めてから,およそ4キロメートル余りのところにある一号公園に到着する.ここで,今日,第1回目休憩を取る.
<一号公園で休憩>
■上戸祭一里塚
休憩を終えた私たちは,8時43分に一号公園から歩き出す.勿論,「エイ,エイ,オー・・」の掛け声付きである.
1キロメートルほど歩いた頃,8時52分,江戸から28番目の上戸祭一里塚跡を通過する.一里塚跡には案内板が立っている.
■弁天橋
のどかな郊外の道が続く.広々とした畑や森の中に,大きな屋敷が建っている.いかにもゆったりとした風景である.湘南地方のチマチマした住宅地に住む私には,この辺りのただ住まいがとても羨ましく感じる.
9時02分,弁天橋を通過する.弁天橋という名前から,どんな橋だろうかと期待していたが,残念ながら,平凡で,小さな橋だった.
■光明寺
9時11分,光明寺を通過する.
旅行社の資料によると,文禄年間(1592~1596年),野沢の石塚に玉塔院が建立されたのが始まりで,1671年(寛文11年),現在の場所に移されたという.徳川将軍家の日光社参のときに休憩所として利用された.また,この付近には,立場があったという(立場は,宿と宿の間にある休憩用の茶屋のこと).
■大晃ドライブインで休憩
9時31分,宇都宮北道路のガード下を潜る.
9時40分,大晃ドライブインに到着する.ものすごく広い駐車場を備えたマーケットプレースである.規模の大きさにビックリ仰天である.
広い駐車場の周辺には,様々な大規模店が軒を連ねている.駐車場には,沢山の自家用車,バス,それにおびただしい数のオートバイが駐車している.多分,暴走族だろう.私たちは駐車場を横切って,「旅の駅うつのみや」の前の広場で休憩を取る.
広場でボンヤリと立っていると,どこかの観光バスが到着,バスの中から,足元が覚束ないお年寄りが数十人下車してくる.これらの方々が列になって「旅の駅うつのみや」へ入っていく.私はあまりの人出にびっくりしてしまい,ついに建物の中には入らなかった.
<徳次郎宿>
■暴走族の爆音
休憩を終えた私たちは,9時59分,大晃ドライブインから歩き出す.勿論,「エイ,エイ,オー・・」付きである.
この辺りから,車道沿いの並木道が始まる.車道より一段高い土手に並木が続く.歩いていても,とても気分がよい道である.私たちは,素晴らしい並木道を堪能しながら,上機嫌で歩き続ける.
丁度そのとき,暴走族が我が物顔に車道を走っていく.耳が痛くなるほどの,ものすごい爆音を響かせている.思わず両手で耳を覆う.数十台の暴走車が集団になって走っていく.二人乗りの車もかなりある.明らかに改造されている車も多い.せっかくの雰囲気も,暴走族のお陰で台無しである.
■高谷林一里塚
10時08分,江戸日本橋から29番目の高谷林一里塚跡を通過する.塚の跡を偲ばせる大木と案内板が立っている.
■第六号楼合井
10時09分,高速道路のガード下を通過する.
10時10分,文化財「第六号楼合井」を通過する.こんもりとした盛り土の上に,八角形(?)の建物が見えている.
■大谷道の道標
10時18分,大谷道の道標を通過する.
交差点内の植え込みの中に,かくれるように大谷道の道標が立っている.この道標には「大谷道」「下次郎宿」という文字が刻まれている.昔は,ここから大谷観音に向かう道があったというが,今は廃道になっている.
■徳次郎宿
この辺りに,江戸から18番目の徳次郎宿があった.
旅行社の資料によると,徳次郎宿には本陣2軒,脇本陣3軒,旅籠72軒があり,宿内戸数168戸,宿内人口653人の規模であった(調査年代未詳).
■智賀都神社
10時42分,智賀都神社に到着する.
旅行社の資料によると,ここは778年(宝亀9年)に創建されたといわれる由緒のある神社である.徳川将軍家の崇敬社でもあったという.境内には2本の巨大なケヤキが生えている.樹齢約700年,県指定天然記念物になっている.
私たちは,ここで昼食を摂る.旅行社が配る弁当を貰ってから,三々五々集まって,ゆっくりと昼食を楽しむ.
<智賀都神社>
(つづく)
「日光道中二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/173e5b5733926d9eb31d94bc43761586
「日光道中二十一宿」の次回の記事
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