中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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お盆休み特集 昭和を振り返る;第2話;オカッピードジャパンとチャンゲヘレ

2017年08月17日 09時09分06秒 | 戦争の思い出

   お盆休み特集 昭和を振り返る;第2話;オカッピードジャパンとチャンゲヘレ

(2017年8月28日記)

 戦後,私が通っていた旧制中学が新制高校になった.その頃になるとさすがに戦後の混乱も少なくなり,世の中が落ち着いてきた.私たち新制高校生も,まあ,それなりに,よく勉強をしていた.私は相変わらず自宅のある小諸から学校のある上田まで汽車通学をしていたが,もう終戦直後のように機関車の炭水車に這い上がったり,デッキにぶら下がったままだったりということもなくなって,まあまあの客車に乗れるようになっていた.むしろ今の東京の満員通勤電車より,当時の信越線の列車の方が空いていたので,その点から見ると,むしろ快適だったかもしれない.
 列車の中では,教科書やノートを開いて,まあ,まあ,よく勉強をしていたと思う.でも学力は今ひとつさえない.特に低レベルだったのが英語である.なにしろ,戦時中,英語は敵性言語として全く無視されていた.そのあおりで戦後,急に英語を始めるにしても,英語教師不足が特に深刻だったようである.
 そんなある日,私は計算尺を買って貰った.理系の科目が好きだった私にとって,計算尺は正に垂涎の的だったからである.
 新しく購入した計算尺には,小さな字で,”Made in Occupied Japan”と書いてある.”made”や”Japan”ぐらいの単語なら,いくら学力不足の私たちでも分かるが,"occupied"には参った.
 「何々,オカッピード?.オカッピードって一体何だ?」
 英和辞典すら持っていない私たちは首をかしげる.
 私が大学生なる頃まで,日本はアメリカの占領下にあった.独立国ではなかったのだ.
 そういえば,駅の案内板にも英語が併記されるようになった.小諸の駅にも「小海線乗り換え」の案内板の下に,”Change here to Koumi-sen”が書き加えられた.
 「何だ? チャンゲ・ヘレって!」
 やっと,ローマ字が読めるようになった私たちは,チャンゲヘレで,しばらくの間,楽しんだ.
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 母校の名誉のために,ちょっとだけ書き加えたいことがある.
 高校2年生の頃だったかと思う.英語科にBN先生が着任した.BN先生が選んだ英語の教科書は,"Great American Orations"だった.
 最初の授業は,リンカーンの演説だった.
 ”Fourscore and seven years ago・・・・・”
から始まる名演説である.
 これを丸暗記するのが最初の授業だった.BN先生はその頃まずらしかった洋行帰りの先生である.アメリカのナントカ大学出身で,英語はもちろんペラペラ.リンカーンの演説を,格調高く読む.それを私たちは何回も何回も真似をする.ただそれだけのことだったが,私たちの英語力は,田舎の高校生にしては,急速にレベルアップした.
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 あれから幾星霜.
 私は,長い間,製造業に勤務した後,定年間際に横浜にある某大学にトラバーユした.
 大学陣になってから(随分いい年になっていたが),一念発起して海外の学会で何回か研究発表をする機会を得た.もちろん私の英語は,,ブロークンイングリッシュだが…
 海外での発表が比較的多かったことが遠因になって,併設の短大が4年制の学部に改変するときに,定年を越えてこの学部に奉職しつづけることになった.余談だがこのプラスαの奉職期間の給料の一端を貯金した.その貯金を取り崩しながら海外登山を続けている.それもこれも,BN先生のおかげだと思っている.
 その後,この大学も退職して,完全にサンデー毎日になった.その頃から始めた趣味の登山で,海外を旅することも多くなった.
 初めてニュージーランドへトレッキングに行ったとき,現地の美しい女性ガイドと,拙いながら英語で雑談を楽しんだ.そのとき,彼女は.
 「あなたは,どこで英語を覚えたの…(Where your English came from?)」
と私に聞く.
 「中学と高校で習っただけです…」
と答える.
 「あなたは,一般の日本人より随分と英語が上手すね…」
と妙な褒められ方をする.
 さらに雑談をしていると,彼女は英語の教師として,日本に滞在したことがあるという.だから日本語も少し話せる.
 拙いながら,英語でコミュニケーションができると,海外旅行も一段と楽しくなる.海外の山で出会った方と,英語を通じて,少しは意思疎通をはかることができる.それだけ旅行が楽しくなる.そんなとき,私は何時もチャンゲヘレとBN先生のことをを思い出す,
 母校の教育に感謝!
 
              
                                                   (第2話おわり)
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