<浄智寺前にて>
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鎌倉:七福神巡り(鎌っこ倉ぶ)
2008年1月13日(日)
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今日は三連休の中日である。「鎌っこ倉ぶ」恒例の散策が行われた。参加者は17名。北鎌倉駅前に10時集合。浄智寺の布袋尊から順次,御霊神社の福禄寿まで,七福神巡りを行った。
■山ノ内から北鎌倉へ
このところ寒い日が続く。
恒例の「鎌っこ倉ぶ」第71回例会の日である。例会では,北鎌倉から御霊神社まで,七福神を拝んで一回りする予定である。私は,このコースの前後に若干のコースを追加して,鎌倉中央公園を起点とする三角ルートで歩こうと思う。
三角ルートの概要はルートマップに示したように,まずは山ノ内の稜線に沿って北鎌倉に出る。ここからは,浄智寺(布袋尊),鶴岡八幡宮(弁財天),宝戒寺(毘沙門天),妙隆寺(寿老人),本覚寺(夷尊人),長谷寺(大黒天),御霊神社(福禄寿)の順に廻る。その後は,徒歩または,江ノ電極楽寺駅から電車で鎌倉駅まで戻る予定である。私は,鎌倉駅への帰路のどこかで一行にお別れして,鎌倉中央公園に戻るつもりである。
9時15分に鎌倉中央公園前を出発する。どんよりとした雲が上空を覆っている。とにかく寒い。こんな日は家に籠もっていたいが,それでは身体がますます萎縮してしまう。こんなときは,やや急ぎ足で歩き続けるに限る。
山の上ロータリーを通過して,住宅地内の尾根沿いの道を辿り,9時27分に日当たり公園を通過する。そして桜並木の道を源氏山公園に向けて登り続ける。途中から左折して山ノ内浄水場の裏手に廻る。途中,展望の良いところで立ち止まって,前方に見える六国見山を眺める。空が厚い雲に覆われているが,相変わらず素晴らしい風景である。
<浄智寺の布袋尊> <浄智寺の境内>
三叉路を右に曲がり,野趣一杯の狭い階段道を下る。この辺りで可愛いネコに会うことが多いが,残念ながら今日は会うことができない。やがて北鎌倉の住宅地に入る。鎌倉街道を横切って,行きつけのコンビニで昼食用の「おにぎり」を二つばかり購入する。レジで精算,女主人が,
「おめでとうございます。先日はご丁寧にご挨拶を頂きましたと主人が申しておりました・・・」
と私に挨拶をする。内心で「あれ~ぇ・・・そんな丁寧なご挨拶をしたかな」と戸惑ったが,
「とんでもございません・・・本年も宜しくお願いします」
と,しどろもどろの挨拶をする。
■浄智寺の布袋尊
9時48分,定刻より10分少々早く集合場所の北鎌倉駅前に到着する。駅前広場は,相変わらず沢山の観光客で賑わっているが,今日は天気が余り良くないためか,いつもほどには混雑していない。
10時過ぎに,本日の案内役,お師匠さんから,コースの概要の説明を受けて,10時13分に北鎌倉駅を出発する。自動車が頻繁に往来する鎌倉街道沿いに南東に向けて歩き出す。そして,踏切手前で鎌倉街道を横切って,10時25分に最初の参拝場所である浄智寺に到着する。山号は金宝山。臨済宗円覚寺派。五代執権北条時宗の三男宗政の子,十代執権師時らが創建したという。私は鎌倉市民で,福寿手帳を持っているので,拝観料は無料になる。有り難いことである。
境内は沢山の参拝客で賑わっている。順路に沿って,境内を一回りする。そして,小さな岩洞を潜り抜けて,最初の巡拝場所の布袋尊を参拝する。大きな布袋尊像のお腹は,沢山の参拝者に撫でられて,黒くピカピカになっている。
浅学のflower-hillが講釈するのは憚られるが,布袋尊は弥勒菩薩の別の姿。パンフレットによると「知恵を授け,福徳円満な人を作る福神」だということである。
■鶴岡八幡宮の旗上弁財天
10時54分に浄智寺を出発する。狭い歩道を観光客と擦れ違いながら,11時04分に円応寺前を通過,まもなく巨福呂坂を越えて,11時18分に鶴岡八幡宮の境内東側の鳥居に到着する。本来ならば鶴岡八幡宮の正面から境内に入るのが正式なのだろうが,沢山の参拝客で混雑している。そこで,東側から石段を登って,脇から本殿の前に出る。
正面の石段から沢山の参拝客が次から次へと登ってくる。赤い派手な服を着た係員が,立ち止まらないで,参拝を済ませて,東側の石段を使って下へ降りるように,観光客を誘導している。隣のおみくじ授与所には沢山の客が群がるように集まっている。
私達は,東輪の階段を降りて,源平池右池の中にある旗上弁財天を参拝する。ここを訪れる参拝客はやや少ないように思える。弁財天は武運長久,大願成就の福神だとのことである。
おみくじ授与所の建家の中で,次から次へと依頼される朱印帳に炭黒々と流麗な筆で「旗上弁財天」と書いている男性の姿が見える。その筆裁きの余りの見事さに思わず見とれてしまう。実に良いものを見たなという気分になる。
<旗上弁財天> <達筆>
■宝戒寺の毘沙門天
11時48分に鶴岡八幡宮東側の鳥居から横浜国立大学付属小学校前に出る。金沢街道を横切って,今日三番目の宝戒寺を訪れる。ここは天台宗のお寺。山号は金龍山。1335年,後醍醐天皇が北条一族の霊を弔うために足利尊氏に命じて建立されたという。ここでも,鎌倉市民の福寿手帳のお陰で,無料で参拝させて頂く。
ここには毘沙門天さんが居られる。境内には沢山の参拝者がいるが,鶴岡八幡宮に比較すると,ずっと落ち着いてお参りすることができるのが嬉しい。毘沙門天は病魔退散,財宝富貴の福神だという。
境内に通路が狭くなるほど繁茂していたハギの姿が殆どなくなっている。植物のことに疎い私には,どうしてなのか分からないが,何となく寂しい気分になる。境内南側にある大聖天をお参りする。
<宝戒寺の大聖天> <妙隆寺の寿老人>
■妙隆寺の寿老人
12時13分に宝戒寺を出発する。小町大路を南南東に下って,12時20分に妙龍寺に到着する。日蓮宗のお寺。山号は叡昌山。開山は1385年,千葉胤貞が日英を迎えて創建したといわれる。
境内向かって右側,「血の池」の隣に寿老人が安置されている。小さなお堂の中に寿老人が安置されている。その前で,何人かが行列を作って,参拝の順番を待っている。寿老人は安全と健康を守り,長寿を司る祭神だという。
本堂脇に安置されている新劇の団十郎,丸山貞夫の碑を見学する。
<鎌倉江ノ島七福神の説明文> <日蓮辻説法跡>
■蛭子神社
12時28分,妙龍寺を出発する。小町大路を引き続き南南東に下る。
12時29分に「日蓮辻説法の跡」を通過し,12時32分に蛭子神社に到着する。ここは小町の鎮守である。七面大明神,山王大権現が合祀されているという。
境内の大きなイチョウは,すっかり落葉していて,梢の先まで良く見えている。神社の裏手には,滑川が静かに流れている。対岸の河岸には瀬の竹ほどの枯れ草が乱れるように繁茂している。その枯れ草の先に民家が並んでいる。民家の庭先には,枯れ草の上に突き出るように,洗濯物が干してある。民家の向こうには祇園山がうねうねと続いている。
私達は,本殿裏手で身を寄せるようにして,座り込んで,昼食を摂ることにする。今日は,暖かい鎌倉にしては,特別に寒い日である。一同,寒さに震え上がる。鎌倉市内にッ適当な休憩所がないのが観光行政上大きな問題だなと実感する。
<蛭子神社> <本覚寺>
■本覚寺の夷尊神
余りの寒いので,昼食もそこそこにして,蛭子神社を出発することにする。ただ,長く休んでいる間に冷え切ってしまったまま歩き出すと,足が攣ったり,バランスを崩したりで転倒するなどの危険がある。そこで,私が音頭を取って,山旅スクールで習ったウオーミングアップ体操を簡単に行う。
13時21分に蛭子神社を出発する。また,小町大路を南南西に下り続け,夷堂橋の手前で右折。13時25分に本覚寺に到着する。ここは日蓮宗のお寺。山号は妙巌山。1436年,日出によって創建されたという。もともとは天台宗の夷堂があった所のようである。
私は,余り敬虔ではないが臨済宗の宗徒である。でも,この日蓮宗の本覚寺はとても好感を持っている。というのも,参拝料なしに境内に自由に入れるし,何といっても,何となく庶民的な雰囲気がするお寺だからである。
本堂に向かって右側手前にある夷尊人を参拝する。夷尊人は商売繁盛,家運隆盛,縁結び,五穀豊穣の福神だという。
<夷尊神> <長谷寺大黒天>
■長谷寺の大黒天
13時39分に本覚寺を出発する。若宮大路を南下し,下馬四つ角から由比ヶ浜商店街を西へ,西へと歩き続ける。この通りは,バスに乗って通ることは時々あるが,歩く機会は殆どない。したがって,久々に歩いてみると,最近変わったところが目について,とても新鮮な感じを受ける。
相変わらず,大仏や長谷観音を参拝した沢山の観光客とすれ違う。それにしても,最近,この通りの両側に,随分と空き地が増えたような気がするが,私の思い過ごしだろうか。
私は,案内役のお師匠さんと雑談をしながら,ユックリと先頭を歩く。大分気を付けてユックリ歩いているつもりでも,先頭から末尾までの間隔がどうしても開いてしまう。
「flower-hillさんは若いですね・・・ポシェットを下げて,ジーンズを履いているなんて・・」
と同行の女性から言われてしまう。歩き方が若いと言われれば嬉しいが,ジーンズでは・・
私は平素からジーンズを履いている。仙人も何時もジーンズを履いている。だから,若いと言われると戸惑うが,まあ年寄りと言われるよりは気分がよいので,気にしないことにしよう。
長谷観音に近付くと,観光客の数が一段と増えてくる。長谷寺の前の狭い道に,大きな観光バスが停車している。駐車場に出入りする車の間を縫うようにして,14時15分,長谷寺の受付に到着する。霊によって,鎌倉市民の福寿手帳を提示して,無料で境内に入れてもらう。
ここの山号は海光山。736年,徳道が開山した古寺である。
境内は沢山の参拝客で,大変混雑している。たちまちの内に,沢山の観光客に紛れ込んでしまい,仲間の姿が見えなくなる。順路に沿って,石段を登り詰めると長谷観音の前に出る。まずは観音様をお参りする。ここは撮影禁止なので,写真が撮れないのは止むを得ない。
観音堂を出てから,隣にある大黒天を参拝する。ここも数人が行列を作っている。大黒天は出世,開運,財富招来の福神だという。
久米正雄の胸像の前で立ち休憩を取った後,階段を降りて,岩窟の回廊(正式な名称は知らない)を一回りする。外は寒いが,岩窟の中はローソクの火と,参拝客の熱気で,随分と暖かくなっている。
■御霊神社の福禄寿
14時47分,長谷観音を出発する。駐車場南側の通用門を抜けて,路地に入る。季節になると時計草が咲き乱れるお屋敷の前を通り抜けて,14時50分に御霊神社(ごりょうじんじゃ)に到着する。祭神は鎌倉権五郎。創建が何時かは私には分からない。梶原にも1119年創建の鎌倉権五郎を祀った御霊神社(ごれいじんじゃ)がある。同じ漢字の御霊神社なのに呼び方が,どうして違うのか,私には分からない。そういえば,鎌倉から藤沢に入った直ぐの所にある御霊神社も「ごれいじんじゃ」と呼んでいるようである。その証拠に江ノ電バス路線に,「ごれいじんじゃまえ」というバス停がある。
大きな樹木に囲まれたお社には荘厳な雰囲気がある。ここまで来ると訪れる人数も大分少なくなる。境内にある福禄寿をお参りする。福禄寿は長寿,家禄永遠を司る祭神だとのことである。
境内の直ぐ近くを,時々江ノ電の電車が通り過ぎる。
<福禄寿>
■鎌倉駅へ
15時18分,御霊神社を出発する。江ノ電の極楽寺から電車で鎌倉へ帰る庵もあったが,結局は裏道を通って鎌倉駅まで戻ることになる。
由比ヶ浜通りを,甘縄神社前から左折。鎌倉文学館前,15時35分に吉屋信子邸前を通過する。鎌倉図書館前を通り過ぎて,15時50分に裁許橋跡に到着する。私は,ここで一行と別れて帰途につく。
元々は,鎌倉中央公園まで,歩いて帰るつもりだったが,余りに寒いので,鎌倉市役所前から京急ポニーバスを利用して,16時29分に鎌倉中央公園入口に到着する。
[ラップタイム]
9:12 鎌倉中央公園発
9:22 日当公園
9:27 山ノ内配水場
9:40 北鎌倉コンビニ(9:47まで買い物)
9:48 北鎌倉駅前
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10:13 北鎌倉前歩き出し
10:25 浄智寺(10:54まで)
11:18 鶴岡八幡宮(11:48まで)
11:58 宝戒寺(12:13まで)
12:20 妙隆寺(12:28まで)
12;32 蛭子神社(13:21まで昼食)
13:25 本覚寺(13:39まで)
14:15 長谷寺(14:47まで)
14:50 御霊神社(15:18まで)
15:50 裁許橋跡
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15:52 鎌倉市役所前
[歩行データ]
北鎌倉から一周して裁許橋跡まで(鎌倉中央公園・北鎌倉駅間を除く)
■登攀下降高度 軽微
■水平歩行距離 約7km
■歩行所要時間(休憩時間込み)
北鎌倉駅発 10:13
裁許橋跡着 15:52
(所要時間) 5時間39分(5.65h)
■水平歩行速度 7.0km/5.65h=1.24km/h
(おわり)
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