<正覚寺の境内>
桜が満開の鎌倉:衣張山・材木座・住吉城趾を散策する(2)
(山旅スクール5期有志)
2009年4月6日(月)(つづき)
■かまくら幼稚園前
かまくら幼稚園前を通り過ぎて,鎌倉逗子ハイランドの西端にある公園で,暫く休憩を取った後,急坂をほんの少し登って,パノラマ台に到着する.先客が2人居る.パノラマ台からは,正面に披露山,左手に逗子,右手に材木座,由比ヶ浜の海岸が良く見えている.さらに江ノ島,藤沢,源氏山公園,大船観音などが見通せる.
春霞が掛かっていて,富士山,丹沢,伊豆箱根の山々は殆ど見えないが,近場の風景でも実に素晴らしい.鎌倉を囲む山々の山桜は正に満開である.私達は一年間で最も展望の良い日に,ここを訪れている.
<かまくら幼稚園前からの眺望:霞がなければ富士山が良く見える>
<パノラマ台からの眺望:鎌倉市街地>
<パノラマ台からの眺望:披露山方面>
■野良猫のんびり
パノラマ台の展望を堪能した後,鎌倉と逗子の市境尾根を名越方面へ向かう.大切岸付近には,やせ細った尾根を避ける迂回道路が取り付けられている.「武家の古都かまくら」の世界遺産登録を目指してのことかどうか知らないが,鎌倉のあちらこちらで,散策路の整備が進んでいる.
無縁仏の供養塔が建っている広場に到着する.数匹の野良猫がノンビリ日向ぼっこをしている.私は,猫が居ると無性に写真を撮りたくなる.飼い猫と違って,野良猫は,人間が近付くと,オドオドとした仕草をすることが多いので,写真を撮るのが,なかなか難しい.
13時42分,まんだら堂脇を通過する.折角ここまで来たので,名越切通に向かう.まんだら堂入口を通り過ぎて,火葬場の上の道を,逗子市小坪1丁目の方向に向かう.
<可愛い野良猫>
■名越切通を往復
13時50分,稲妻が切り裂いたように鋭角にジグザグを繰り返す切通に到着する.有名な名越切通である.切通から左右に聳える断崖を見上げると,断崖の上に繁茂する樹木の間に真っ青な空が広がっている.私達は切通を抜け,切通の南側の山を迂回する散策路を辿る.
途中で野良猫にエサを与えている中年女性に会う.野良猫が2匹,女性からエサを貰っている.私達が近付くとネコ達が逃げていく.
「逃げなくても良いよ・・・」
と猫に話しかけるが,通じる訳がない.私達は,この女性に,
「どうも,お邪魔して済みません・・・」
と謝りながら通過する.
こんなことを書くと,私が野良猫へのエサ遣りに賛成派のように受け止められるかもしれないが,実は複雑である.絶対反対派でも,絶対賛成派でもない.
今更言うまでもないが,名越切通は,鎌倉七切通の一つ,国指定史跡である.日本武尊の東征伝説にも登場するという.勿論,七切通の中では最も古い切通だと言われている(小林,1996,p.76).
<名越切通>
■日蓮乞水と銚子ノ井
往路を戻って,そのまま大町5丁目方面に下る.つづいて,横須賀線線路脇の土手を下って,踏切を渡る.14時13分,日蓮乞水に到着する.
日蓮乞水は鎌倉五名水の一つに数えられる.1253年(建長5年)5月,「安房国から鎌倉に出てきた日蓮上人が,ここにさしかかったとき,急に水が飲みたくなり,杖を地面に突き刺した所,たちまちのうちに水が湧き出た」というから不思議である(小林,1996,p.80).
つづいて,住宅地の間の狭い路地を抜けて,銚子ノ井を見学する.この井戸は鎌倉十井の一つ.井戸全体の形が長い柄の付いた銚子に似ているので,この名が付いたといわれているが,私にはどこが似ているのか見当もつかない.
この井戸の蓋,側面が石造りのため「石ノ井」とも言われるそうである(鎌倉市商工会議所,2008,p.48).
■長勝寺
自動車の往来が激しい国道134号線を渡って,14時17分,石井山長勝寺に到着する.境内の桜が正に見頃である.満開の桜の枝の向こうに辻舌鋒姿の日蓮上人の立像が見える.妙本寺にある日蓮上人像に較べると,こちらの日蓮上人像は,少し恰幅が良いように見える.私達は見頃の桜を眺めながら,暫くの間,休憩を取る.
伊豆に流されていた日蓮が鎌倉に戻る.そのとこ,日蓮に帰依した石井藤五郎長勝が,日蓮のために結んだ庵が,この寺の起源だという(鎌倉市商工会議所,2008,p.106).日蓮上人像の後には帝釈堂がある.ここは帝釈天ゆかりの霊場でもある.
2月11日は大国擣会成満祭が行われる.例年,この日には,千葉県の法華経寺で,100日間の荒行を終えた僧が,冷水を頭から浴びる水行が行われる.一昨年,拝見したが,見ている方も堪らなく寒くなる.
<長勝寺の桜>
■赤木圭一郎碑
裏山の墓地の階段を登る.急傾斜の階段を10分ほど登る.途中の草花で,女性群は立ち止まるので,なかなか進まないが,まあ,仕方がない.どうせ,どこまで行かなければならないという旅ではない.ユックリノンビリと登り続ける.
14時32分,山頂にある赤木圭一郎碑に到着する.大きな碑が材木座に向いて建っている.碑の向こうには,先ほど通り抜けた浅間山や,遠く天園ハイキングコースの山々が見えている.
山頂付近の墓地を一回りする.眼下に材木座海岸が見下ろせる.太陽の光を反射させて,海が輝いている.山頂の直ぐ下を一回りして,三叉路に突き当たる.ここを左折して,住宅地が迫る路地を南に下り始める.
<長勝寺墓地からの眺望>
<赤木圭一郎碑付近からの眺望>
■光明寺から裏山へ
観音寺山東側の山間の路地を下って,材木座4丁目から6丁目に抜ける.
『ビルマの竪琴』の作家として有名な独文学者,竹山道雄邸脇を通過して,千手院墓地脇を近道して,14時58分,天照山光明寺に到着する.念仏法要でも行われているのだろうか,沢山の人達が集まっている.境内に入る.枝振りの良い桜が正に見頃を迎えている.境内の隅で,数匹の猫が日向ぼっこをしている.野良猫か飼い猫か良く分からないが,ノンビリとして猫の仕草を見ていると,猫好きの私は大いに癒される.
この寺の創建は1243年(寛元元年).開山は然阿良忠,4代執権北条経時が開基.歴代執権が帰依していた大寺院.念仏道場の中心だという(小林,1996,p.114).良忠は法然上人弟子の聖光上人に学んだ.諸国行脚した後,鎌倉に住んで,光明寺を足場にして関東,東北一円に浄土宗を広めたという.
三門の「天照山」の扁額は,後花園天皇の直筆だという.
本堂左手には小堀遠州作の記主庭園があるが,靴を脱いで上がるのが面倒なので,見学は省略する.
<桜が素晴らしい光明寺>
※ブログ1回の掲載容量を超えるため,内藤家墓以降の写真は,
数日中に掲載予定の五十三次洛遊会の記事をご覧下さい.
■内藤家墓
本堂右手の網引地蔵を参拝する.つづいて,幼稚園脇から外に出る.
道順の詳細は省略するが,14時12分,神奈川景勝五十選の一つ「光明寺裏山の展望」を楽しむ.光明寺の大伽藍の向こうに材木座,由比ヶ浜の海岸が見えている.春霞が掛かっていなければ富士山も見えるのだろうが,今日は残念.
路地を少し入ると,開山上人記主禅師良忠上人の墓がある.一同に参拝を勧めるが,どうやら無関心.通過する.
鎌倉市立第一中学校前を通り過ぎ,トンネルを潜って材木座海岸方面に下る.途中,日向延岡藩主内藤家歴代墓を外から見学する.ここには江戸時代の巨大な宝篋印塔数十基,石造墓群200基ほどが立ち並んでいる.内藤家は光明寺の大檀家だったという.
■和賀江島
坂道を下って,15時25分,材木座海岸の和賀江島展望台に出る.海は荒れているように思える.大きな白波がお気から次から次へと押し寄せている.丁度,満潮の時間のようである.若江島は殆ど海の中に沈んでいる.飯島岬から200メートルほどの築港の筈だが,先端の部分が僅かに海面に顔を出しているだけである.
ここは現存する日本最古の築港遺跡である.国史跡指定.「和賀」は材木座の古い地名.
九州筑前で築港経験のある勧進僧,往阿弥陀仏が,1232年(貞永元年),幕府に船着場築港を申請,三代執権北条泰時が,相模川,坂尾側,伊豆から石を運んで築港した(鎌倉商工会議所,2008,p.32).
材木座海岸の付け根に,鎌倉青年団が建てた和賀江島石碑がある.ここへ行きたかったが,満ち潮のために近づけない.行くのを諦める.
■六角ノ井
再び道路に戻り,飯島岬を回り込むようにして,15時34分,六角ノ井に到着する.鎌倉十井の一つである.
その昔,弓の名手,鎮西八郎為朝が,保元の乱(1156年)で,父源為義とともに上皇方に付き敗戦.伊豆大島に流された.為朝が自分の腕力を試すために,伊豆大島から鎌倉に弓を射る.その矢が六角ノ井に突き刺さる.村民がその矢を拾い上げると,矢尻が地面に刺さったままになっている.その矢尻を抜くと,たちまちの内に井戸の水が涸れた.急いで矢尻を元に戻すと,再び水が湧いてきたという伝説がある.
■正覚寺
六角ノ井近くの正覚寺を訪れる.道路から幅の狭い階段を数十段登ると正覚寺境内に入る.境内は狭い.私達は遠慮がちに,そっと境内を拝見する.
ここは記主禅師が悟真院という庵を結んだ所である.機種禅師は,この草庵から念仏布教に努めた.1541年(天文10年),光明寺代18世住職により中興開山,寺号を正覚寺とした.ご本尊の阿弥陀仏は,徳川七代将軍家継のとき,尾張中納言宗春の側室が寄進したといわれている(小林,1996,p.113).
■住吉神社
正覚寺本堂の軒下を潜るようにして通り抜ける.そして,狭い石段を数10段登る.そして住吉神社に到着する.ここは,三浦郡の総鎮守であった.祭神は大綿津見命.本尊は運慶作の像高33センチの挫像.
向かって右側に「くらやみヤグラ」が健在である.ただ,残念なことに通り抜けが出来なくなっている. 途中まで入ってみるかと誘うが,ノシイカさん以外は首を横に振る.通過.
■住吉城趾
神社前の石段を途中まで下って右折,舗装された生活道路に出る.とても急な登り坂である.坂道を登りきると,高い所にある住吉隧道に到着する.短い隧道である.この隧道を潜ると,住吉城趾のほぼ中央に出る.馬蹄形に低い尾根が連なっている.この辺り一帯が住吉城趾である.
狭い石段道を姥子谷に向けて下る.直ぐに狭い自動車道に出る.西側にあるトンネルを潜ると,先ほど通った内藤家墓地近くに出る.
■材木座海岸を経て鎌倉駅へ
16時02分,再び光明寺入口に戻る.ここから,材木座海岸に出る.柔らかな春の陽ざしが降り注ぐ.沖からそよ風が吹いてくる.大きな波がうねりながら,海岸にうち寄せている.海が夕日に光っている.海岸を散策する人影がシルエットになって見えている.
砂浜をノンビリと歩く.
16時18分,若宮大路の端に取り付く.
若宮大路を北上する.途中,咳止めの「六郎さま」として,地元の人の信仰を集める畠山重安墓を通過する.
16時43分,鎌倉駅に戻る.解散.
[ラップタイム]
10:00 鎌倉駅歩き出し
10:25 妙本寺(10:30まで参拝)
10:42 上行寺
10:54 大宝寺
11:20 釈迦堂口切通
11:28 田楽辻子
11:50 衣張山山頂(12:42まで昼食)
12:48 浅間山山頂
13:05 子ども自然観察の森(13:11までトイレ休憩)
13:18 パノラマ台(13:22まで休憩)
13:42 まんだら堂脇
13:58 名越切通
14:13 日蓮乞水
14:17 長勝寺
14:32 赤木圭一郎碑
14:58 光明寺
15:17 内藤家墓地
15:32 和賀江島展望台
15:34 六角ノ井
15:36 正覚寺
15:45 住吉神社(15:50まで見学)
16:02 光明寺前から材木座海岸へ出る
16:18 若宮大路
16:43 鎌倉駅
[散策記録]
■水平歩行距離 11.0km
■累積登攀下降高度 385m
■所要時間(休憩時間を含む)
鎌倉駅発 10:00
鎌倉駅着 16:43
(所要時間) 6時間43分(6.72h)
水平歩行速度 11.0km/6.72h=1.64km/h
[参考文献]
小林伸男,1996『神奈川ぶらりーウォーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書
鎌倉商工会議所,2008『神奈川観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7df7fa08d65406e6513296ae352ffabd
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f9061649d637f1ff6908998be436388a
桜が満開の鎌倉:衣張山・材木座・住吉城趾を散策する(2)
(山旅スクール5期有志)
2009年4月6日(月)(つづき)
■かまくら幼稚園前
かまくら幼稚園前を通り過ぎて,鎌倉逗子ハイランドの西端にある公園で,暫く休憩を取った後,急坂をほんの少し登って,パノラマ台に到着する.先客が2人居る.パノラマ台からは,正面に披露山,左手に逗子,右手に材木座,由比ヶ浜の海岸が良く見えている.さらに江ノ島,藤沢,源氏山公園,大船観音などが見通せる.
春霞が掛かっていて,富士山,丹沢,伊豆箱根の山々は殆ど見えないが,近場の風景でも実に素晴らしい.鎌倉を囲む山々の山桜は正に満開である.私達は一年間で最も展望の良い日に,ここを訪れている.
<かまくら幼稚園前からの眺望:霞がなければ富士山が良く見える>
<パノラマ台からの眺望:鎌倉市街地>
<パノラマ台からの眺望:披露山方面>
■野良猫のんびり
パノラマ台の展望を堪能した後,鎌倉と逗子の市境尾根を名越方面へ向かう.大切岸付近には,やせ細った尾根を避ける迂回道路が取り付けられている.「武家の古都かまくら」の世界遺産登録を目指してのことかどうか知らないが,鎌倉のあちらこちらで,散策路の整備が進んでいる.
無縁仏の供養塔が建っている広場に到着する.数匹の野良猫がノンビリ日向ぼっこをしている.私は,猫が居ると無性に写真を撮りたくなる.飼い猫と違って,野良猫は,人間が近付くと,オドオドとした仕草をすることが多いので,写真を撮るのが,なかなか難しい.
13時42分,まんだら堂脇を通過する.折角ここまで来たので,名越切通に向かう.まんだら堂入口を通り過ぎて,火葬場の上の道を,逗子市小坪1丁目の方向に向かう.
<可愛い野良猫>
■名越切通を往復
13時50分,稲妻が切り裂いたように鋭角にジグザグを繰り返す切通に到着する.有名な名越切通である.切通から左右に聳える断崖を見上げると,断崖の上に繁茂する樹木の間に真っ青な空が広がっている.私達は切通を抜け,切通の南側の山を迂回する散策路を辿る.
途中で野良猫にエサを与えている中年女性に会う.野良猫が2匹,女性からエサを貰っている.私達が近付くとネコ達が逃げていく.
「逃げなくても良いよ・・・」
と猫に話しかけるが,通じる訳がない.私達は,この女性に,
「どうも,お邪魔して済みません・・・」
と謝りながら通過する.
こんなことを書くと,私が野良猫へのエサ遣りに賛成派のように受け止められるかもしれないが,実は複雑である.絶対反対派でも,絶対賛成派でもない.
今更言うまでもないが,名越切通は,鎌倉七切通の一つ,国指定史跡である.日本武尊の東征伝説にも登場するという.勿論,七切通の中では最も古い切通だと言われている(小林,1996,p.76).
<名越切通>
■日蓮乞水と銚子ノ井
往路を戻って,そのまま大町5丁目方面に下る.つづいて,横須賀線線路脇の土手を下って,踏切を渡る.14時13分,日蓮乞水に到着する.
日蓮乞水は鎌倉五名水の一つに数えられる.1253年(建長5年)5月,「安房国から鎌倉に出てきた日蓮上人が,ここにさしかかったとき,急に水が飲みたくなり,杖を地面に突き刺した所,たちまちのうちに水が湧き出た」というから不思議である(小林,1996,p.80).
つづいて,住宅地の間の狭い路地を抜けて,銚子ノ井を見学する.この井戸は鎌倉十井の一つ.井戸全体の形が長い柄の付いた銚子に似ているので,この名が付いたといわれているが,私にはどこが似ているのか見当もつかない.
この井戸の蓋,側面が石造りのため「石ノ井」とも言われるそうである(鎌倉市商工会議所,2008,p.48).
■長勝寺
自動車の往来が激しい国道134号線を渡って,14時17分,石井山長勝寺に到着する.境内の桜が正に見頃である.満開の桜の枝の向こうに辻舌鋒姿の日蓮上人の立像が見える.妙本寺にある日蓮上人像に較べると,こちらの日蓮上人像は,少し恰幅が良いように見える.私達は見頃の桜を眺めながら,暫くの間,休憩を取る.
伊豆に流されていた日蓮が鎌倉に戻る.そのとこ,日蓮に帰依した石井藤五郎長勝が,日蓮のために結んだ庵が,この寺の起源だという(鎌倉市商工会議所,2008,p.106).日蓮上人像の後には帝釈堂がある.ここは帝釈天ゆかりの霊場でもある.
2月11日は大国擣会成満祭が行われる.例年,この日には,千葉県の法華経寺で,100日間の荒行を終えた僧が,冷水を頭から浴びる水行が行われる.一昨年,拝見したが,見ている方も堪らなく寒くなる.
<長勝寺の桜>
■赤木圭一郎碑
裏山の墓地の階段を登る.急傾斜の階段を10分ほど登る.途中の草花で,女性群は立ち止まるので,なかなか進まないが,まあ,仕方がない.どうせ,どこまで行かなければならないという旅ではない.ユックリノンビリと登り続ける.
14時32分,山頂にある赤木圭一郎碑に到着する.大きな碑が材木座に向いて建っている.碑の向こうには,先ほど通り抜けた浅間山や,遠く天園ハイキングコースの山々が見えている.
山頂付近の墓地を一回りする.眼下に材木座海岸が見下ろせる.太陽の光を反射させて,海が輝いている.山頂の直ぐ下を一回りして,三叉路に突き当たる.ここを左折して,住宅地が迫る路地を南に下り始める.
<長勝寺墓地からの眺望>
<赤木圭一郎碑付近からの眺望>
■光明寺から裏山へ
観音寺山東側の山間の路地を下って,材木座4丁目から6丁目に抜ける.
『ビルマの竪琴』の作家として有名な独文学者,竹山道雄邸脇を通過して,千手院墓地脇を近道して,14時58分,天照山光明寺に到着する.念仏法要でも行われているのだろうか,沢山の人達が集まっている.境内に入る.枝振りの良い桜が正に見頃を迎えている.境内の隅で,数匹の猫が日向ぼっこをしている.野良猫か飼い猫か良く分からないが,ノンビリとして猫の仕草を見ていると,猫好きの私は大いに癒される.
この寺の創建は1243年(寛元元年).開山は然阿良忠,4代執権北条経時が開基.歴代執権が帰依していた大寺院.念仏道場の中心だという(小林,1996,p.114).良忠は法然上人弟子の聖光上人に学んだ.諸国行脚した後,鎌倉に住んで,光明寺を足場にして関東,東北一円に浄土宗を広めたという.
三門の「天照山」の扁額は,後花園天皇の直筆だという.
本堂左手には小堀遠州作の記主庭園があるが,靴を脱いで上がるのが面倒なので,見学は省略する.
<桜が素晴らしい光明寺>
※ブログ1回の掲載容量を超えるため,内藤家墓以降の写真は,
数日中に掲載予定の五十三次洛遊会の記事をご覧下さい.
■内藤家墓
本堂右手の網引地蔵を参拝する.つづいて,幼稚園脇から外に出る.
道順の詳細は省略するが,14時12分,神奈川景勝五十選の一つ「光明寺裏山の展望」を楽しむ.光明寺の大伽藍の向こうに材木座,由比ヶ浜の海岸が見えている.春霞が掛かっていなければ富士山も見えるのだろうが,今日は残念.
路地を少し入ると,開山上人記主禅師良忠上人の墓がある.一同に参拝を勧めるが,どうやら無関心.通過する.
鎌倉市立第一中学校前を通り過ぎ,トンネルを潜って材木座海岸方面に下る.途中,日向延岡藩主内藤家歴代墓を外から見学する.ここには江戸時代の巨大な宝篋印塔数十基,石造墓群200基ほどが立ち並んでいる.内藤家は光明寺の大檀家だったという.
■和賀江島
坂道を下って,15時25分,材木座海岸の和賀江島展望台に出る.海は荒れているように思える.大きな白波がお気から次から次へと押し寄せている.丁度,満潮の時間のようである.若江島は殆ど海の中に沈んでいる.飯島岬から200メートルほどの築港の筈だが,先端の部分が僅かに海面に顔を出しているだけである.
ここは現存する日本最古の築港遺跡である.国史跡指定.「和賀」は材木座の古い地名.
九州筑前で築港経験のある勧進僧,往阿弥陀仏が,1232年(貞永元年),幕府に船着場築港を申請,三代執権北条泰時が,相模川,坂尾側,伊豆から石を運んで築港した(鎌倉商工会議所,2008,p.32).
材木座海岸の付け根に,鎌倉青年団が建てた和賀江島石碑がある.ここへ行きたかったが,満ち潮のために近づけない.行くのを諦める.
■六角ノ井
再び道路に戻り,飯島岬を回り込むようにして,15時34分,六角ノ井に到着する.鎌倉十井の一つである.
その昔,弓の名手,鎮西八郎為朝が,保元の乱(1156年)で,父源為義とともに上皇方に付き敗戦.伊豆大島に流された.為朝が自分の腕力を試すために,伊豆大島から鎌倉に弓を射る.その矢が六角ノ井に突き刺さる.村民がその矢を拾い上げると,矢尻が地面に刺さったままになっている.その矢尻を抜くと,たちまちの内に井戸の水が涸れた.急いで矢尻を元に戻すと,再び水が湧いてきたという伝説がある.
■正覚寺
六角ノ井近くの正覚寺を訪れる.道路から幅の狭い階段を数十段登ると正覚寺境内に入る.境内は狭い.私達は遠慮がちに,そっと境内を拝見する.
ここは記主禅師が悟真院という庵を結んだ所である.機種禅師は,この草庵から念仏布教に努めた.1541年(天文10年),光明寺代18世住職により中興開山,寺号を正覚寺とした.ご本尊の阿弥陀仏は,徳川七代将軍家継のとき,尾張中納言宗春の側室が寄進したといわれている(小林,1996,p.113).
■住吉神社
正覚寺本堂の軒下を潜るようにして通り抜ける.そして,狭い石段を数10段登る.そして住吉神社に到着する.ここは,三浦郡の総鎮守であった.祭神は大綿津見命.本尊は運慶作の像高33センチの挫像.
向かって右側に「くらやみヤグラ」が健在である.ただ,残念なことに通り抜けが出来なくなっている. 途中まで入ってみるかと誘うが,ノシイカさん以外は首を横に振る.通過.
■住吉城趾
神社前の石段を途中まで下って右折,舗装された生活道路に出る.とても急な登り坂である.坂道を登りきると,高い所にある住吉隧道に到着する.短い隧道である.この隧道を潜ると,住吉城趾のほぼ中央に出る.馬蹄形に低い尾根が連なっている.この辺り一帯が住吉城趾である.
狭い石段道を姥子谷に向けて下る.直ぐに狭い自動車道に出る.西側にあるトンネルを潜ると,先ほど通った内藤家墓地近くに出る.
■材木座海岸を経て鎌倉駅へ
16時02分,再び光明寺入口に戻る.ここから,材木座海岸に出る.柔らかな春の陽ざしが降り注ぐ.沖からそよ風が吹いてくる.大きな波がうねりながら,海岸にうち寄せている.海が夕日に光っている.海岸を散策する人影がシルエットになって見えている.
砂浜をノンビリと歩く.
16時18分,若宮大路の端に取り付く.
若宮大路を北上する.途中,咳止めの「六郎さま」として,地元の人の信仰を集める畠山重安墓を通過する.
16時43分,鎌倉駅に戻る.解散.
[ラップタイム]
10:00 鎌倉駅歩き出し
10:25 妙本寺(10:30まで参拝)
10:42 上行寺
10:54 大宝寺
11:20 釈迦堂口切通
11:28 田楽辻子
11:50 衣張山山頂(12:42まで昼食)
12:48 浅間山山頂
13:05 子ども自然観察の森(13:11までトイレ休憩)
13:18 パノラマ台(13:22まで休憩)
13:42 まんだら堂脇
13:58 名越切通
14:13 日蓮乞水
14:17 長勝寺
14:32 赤木圭一郎碑
14:58 光明寺
15:17 内藤家墓地
15:32 和賀江島展望台
15:34 六角ノ井
15:36 正覚寺
15:45 住吉神社(15:50まで見学)
16:02 光明寺前から材木座海岸へ出る
16:18 若宮大路
16:43 鎌倉駅
[散策記録]
■水平歩行距離 11.0km
■累積登攀下降高度 385m
■所要時間(休憩時間を含む)
鎌倉駅発 10:00
鎌倉駅着 16:43
(所要時間) 6時間43分(6.72h)
水平歩行速度 11.0km/6.72h=1.64km/h
[参考文献]
小林伸男,1996『神奈川ぶらりーウォーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書
鎌倉商工会議所,2008『神奈川観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7df7fa08d65406e6513296ae352ffabd
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f9061649d637f1ff6908998be436388a