中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

鎌倉北部の梅を訪ねて(1);大船観音寺と玉泉寺の梅

2020年02月06日 06時00分53秒 | 鎌倉あれこれ

                                       <大船観音>

         鎌倉北部の梅を訪ねて(1);大船観音寺と玉泉寺の梅
               (某美術協会鎌倉散策会)
              2020年2月5日(火) 晴

<ルートマップ>


←クリック拡大

<大船駅から歩き出す>

■時節柄…
 この所、暖かい日が続いている.やはり季節ごとに相応しい寒さ暑さでないと社会、経済に何らか不都合が生じるだろうと思うが、私ごときロートルには暖かいいに越したことはない.とはいえ、季節が巡っていよいよ梅のシーズンである.今日(2月4日)は某美術協会の皆様と一緒に鎌倉観梅と洒落込む予定になっている.鎌倉の梅と言えば何と言っても絵柄天神など有名所を散策コースから外すわけにはいかないが、今回は例のコロナ何とやらのこともあるので、混雑するところは避けてのんびりと散策したいナと思う.
 こんなことから案内役の私は大船付近の名刹と日比谷花壇大船フラワーセンターをユックリ散策するコースを提案した.
 集合場所・時間は鎌倉駅南口ルミネ前、10時00分.結局、今回の参加者はたった4人(男性2人,女性2人)である.
 「人数が少ない方が、ユックリ回れますよ…」
と慰められながら、10時丁度に大船駅から歩き出す.

■丑堰跡から大船観音寺参道入口へ
 大船駅からまずは柏尾川を渡る、橋の上から丑堰跡があった場所が、多分あの辺でしょうというあやふやな説明をまず行う、内容はすべて『かまくら子ども風土記』の受け売りである.残念ながら今は丑堰の痕跡など全くない.
 川の右岸沿いの道路を渡って道幅が狭い路地に入る.この路地はほんの数十メートルで山沿いの路地に突き当たる.その突き当たりの右手に木泉寺参道入口、左手に大船観音寺参道入口がある(10時11分).
 「ご覧の通りの上り坂です…ユックリ登りましょう.桜木町駅から横浜市民ギャラリーまで登るよりも楽だと思いますよ…」 

<大船観音寺参道入口>

<大船観音寺>

山門を潜って境内へ
 坂道を登り切って、山門に到着する.山門脇の受付で拝観料を納めて、境内に入る.まずは順路に従って、境内を一回りしようということになる、
 境内は何となく華やいでいるが、同時に静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している.私は内心で、
 ”ああ…良い雰囲気だなあ…”
と幸せ気分になる.

<山門を潜って境内へ>

■幟旗と観音菩薩
 順路に従って、石段へ、数十段の石段の上に観音様が鎮座している.座像の観音である.ここは曹洞宗の寺.山号は仏海山.総持寺の末寺である.
 石段の両和賀には「南無観世音菩薩」の白抜き文字が鮮やかな赤い幟旗が立ち並んでいる.ここで観音様撮影タイム.青空に薄い雲が沸いている.この空と観音様の色とのバランスが実に微妙で美しい.
 ”それにしても、美しい顔立ちの観音様だなあ~”

<観音菩薩座像>

■胎内の観音菩薩
 観音様に向かって右手に回り込む.そして、鉄製の階段を登って、観音様の胎内に入る.ここが胎内かと思われるほどの結構な広さである.胎内左手には、立派な観音菩薩座像が祀られている.大船観音そっくりのお姿である.その脇に扉があるので、扉に先にも部屋があるに違いない.

<胎内の大船観音>

■折り鶴の大船観音と大量の小さな観音像
 大船観音像の隣の部屋に大量の折り鶴が供えられている.その隣には大量の小さな観音像を並べた部屋がある.


<折り鶴と大量の観音像>

■境内の梅
 胎内から外に出る.
 順路に沿って、鉄の階段を下る.続いて斜面に作られたコンクリート階段を下って、先ほどの山門近くの広場へ.階段の途中からもうすぐ見頃になる梅の木がある.梅の花とお堂の取り合わせが絵になりそうである.

<梅の花とお堂>

■原爆の火
 広場の奥に安置された石灯籠の中で小さな炎が見える.この炎は原爆の火が火種である.あの忌まわしい戦争から平和な今日まで絶えることなく燃え続けているという.


<原爆の火>

■戦没者慰霊碑
 原爆の火の右隣に戦没者慰霊碑が安置されている.
 私には特攻隊でなくなった従兄弟が居る.こういうのを見るとどうしても戦時中のことを連想してしまう.何が何でも戦争だけはダメという気持ちが高ぶってくるけれども、同行の人たちにはそんなこと悟られないように振る舞う.

<戦没者慰霊碑>

<気になる食事処と玉縄首塚>

■気になる食事処「大船軒」
 10時50分、大船観音寺の参拝を終える.先ほど登った山道を今度は下る.同行の皆さんも大船観音寺には深い感銘を受けたようである.案内した私もうれしくなる.山裾に沿って続く参道入口前の路地を再び歩き始める.
 T字型のバス道理交差点を横切ってから、すぐ先にある三叉路を右に曲がって裏通りに入る.この裏通りはすぐに突き当たって左に曲がる.もう何年も前になるが突き当たり左側に台湾料理のお店があった.このお店は元々鎌倉駅前のビルで営業していたが、私はその頃からの馴染み客の一人であった.ここを通るたびに仲間と一緒に楽しく食事をしていた頃のことを思い出す.
 路地を先に進むと右手にビルが建っている.大船駅の駅弁で有名な「大船軒」の工場である.そのビルに隣接して大船軒の喫茶ばある.ここで出来たての鮎の押し寿司やカレーライスが逸品である.今日は同行者が4人と少人数なので、ここに立ち寄るのに最適な人数である.私たちは、ここも昼食の候補にあげて置くことにする.

■玉縄首塚
 11時03分、玉縄首塚に到着する.同行の皆さんに、『かまくら子ども風土記』から受け売りの説明をするが、ここでは冗長になるので記述の下りは割愛しよう.
 玉縄首塚のところで柏尾川沿いの道に一旦合流する.

<玉縄首塚の六地蔵>

■トンネルを潜って玉縄小学校前へ
 柏尾川に面した通りへ出たところに、もう一軒の気になる食堂がある.「山猫料理店」である.例の宮沢賢治の童話を連想させるお店である.私もここを数度訪れたことがあるが、特に山猫御膳がお気に入り.今日の皆さんとも是非一緒に食事したいなと思うが、それには営業時間内にここまで戻らなければならないし、どこかで予約の電話をしなければならない.
 さてどうしよう?
 山猫料理店の少し先で、小さなトンネルを潜って、岡本と玉縄の間にある小道を北へ進む.そして小さな交差点を越え、玉縄小学校沿いの桜道を北上する.そして、尾根沿いの道に突き当たる.突き当たりを左折する.

<玉泉寺>

■玉泉寺に到着
 11時18分、玉泉寺に到着する.ここは真言宗の寺、山号は聖天山.
 まずは本堂前で合掌.本堂に向かって右手に御大師様の立像が安置されている.
 境内には全く人の気配もなく静まりかえっている.静かなただずまいに圧倒されながらも、境内を拝観する.

<玉泉寺本堂>

■梅が見頃を迎えている
 本堂左手に回ってみる.梅がチラホラと咲き始めている.お寺の雰囲気と調和して実に良い.絵になりそうである.
 いかにも春を体現したような梅の姿に感動する.
 
<玉泉寺の梅>

■よくばり地蔵
 墓地入口に「よくばり地蔵」が祀られている.どんな願い事でも叶えてくれる有り難いお地蔵さまのようである.

<よくばり地蔵>

■将軍のお墓
 山際の「やぐら」の中に「将軍の墓」がある.入口には一対の立派な石柱が立っている.お墓は一見坊主墓のようにみえる.ここの将軍とはいったいどなたなのだろう? 良くわからないが、まあ、分からなくても良いことにておこう.



■見事な紅梅
 本堂の裏手に回ってみる.見事な梅.お寺の屋根とよく似合っている.2~3分咲きという所だろうか.実に美しい.
 11時22分、玉泉寺の参拝を終える.



<見頃を迎えている梅>

つづきの記事
  ↓
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/36b2ab2ede7b3ece0f581b75d894b611

「鎌倉あれこれ」の前回の記事

https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4715c7144cd181ff02f6596febd2d6c3

お断り;
 これらの記事は,私のボケ防止と趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
 また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
 
なお,古い記事には顔写真が掲載されていますが,すべてご本人の了承を得た上で掲載したものです.













 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。