秋田県道9号・秋田雄和本荘線の最初の区間である仁井田旧道(地図緑)をとりあげる。
(写真は最近はおろか今年でないのもあります)
前回は旧国道の重複部分まで。
バイパスができるのが1970年代前半なため、1964年からここまではこの部分が県道に指定されていた。
この菊地商店前角を右折。
このような通りに出るが、
ここが旧仁井田村役場のある目抜き通りであり、竪町といった。消防屯所や、地域センター→中央会館→コミュニティセンター(コミセン)もある。
ちなみにコミセン化は一番最後の2020年だった。
昔は駐在所もあったし、バス停「駐在所前」→「仁井田本町4丁目」があった。
【追記】1982年までは仁井田出張所。仁井田地域センターの一部機能は四ツ小屋地域センターと統合され御野場の南地域センターに。
コミセン近くにはこんな看板屋敷。
元は仕出し屋さん。
今に不謹慎なサラ金がある。
ちなみにキリスト看板は最近ついた。
そしてコミセンの敷地には…
仁井田村道路元標!
秋田市内では下新城とここしかないみたい。
目抜き通りは左折。直進すると幼稚園から下丁の13号に出る。
旧仁井田農協施設がたくさんあったが四ツ小屋に支店が移転してすべて解体された。
昔はこの近くにも看板屋敷があったり、酒屋も2つあった。
ある意味仁井田の商店街。
また、堰のたもとのお菓子屋さん「佐々常大進堂」も閉店していた。
大進堂先になにかある…?
かなりふるい警戒標識「つづら折りあり」だ!
道は右に折れる。はたしてどんなつづら折りか。
ちなみにここは目長田入口バス停があった。
こんなつづら折りだ!
ここは横町。曲がった先にも酒屋が昔あって、当時のマルホンカウボーイに移転してそのままなくなったような。
昔は酒屋の距離がうるさかったのに、なぜかこのあたりは酒屋がたくさんあった!
いいのか?まあ1つ残してみんな閉店したから時効だけど。
あとは13号までまっしぐら。
昔は農機具屋や床屋があった。
町内は堂回。
育てようのびゆく心と思いやり。
親向けな標語だ。
大久保古川橋を渡れば、現道へ。
レゼールは旧いとく仁井田店。
バス停「仁井田横町」もあった。
反対側には「焼肉フジヤ」っていう焼肉屋があったけど今はなくなってる。
ただし、店の形は残している。
肉もカルビスープも美味かった。
鍋もちこむと小売をしていた。
【追記】名前はテグタンスープと称していたが、カルビスープと違い骨・骨髄やテールなどを使っていた。
ちなみに川を渡ると堂回から昔は四ツ小屋与左衛門河原と四ツ小屋に入っていた。
今は交差点先が仁井田四ツ小屋の境目で学区界だが、昔は川で四ツ小屋と分けていて、バイパスまでの狭い範囲は仁井田小学校区。
つまり、むかしは四ツ小屋から仁井田小学校に通えた人がいた!
このあとは川を渡り、中野屋からまた旧道と別れていく。
郷土学習の絶好の教材になると思いますが。
最近、大曲町のものが再設置されたそうなので、機会をみて見に行ってみようと思います。
昔は24時間駐車場開放してましたが。
道路元標に関わらず、羽州街道や旧県道などの交通史文化史をまったく教えてもらえないんですよね…
フキ娘や撫で斬りの話、仁井田堰の話や農業ネタにいきやすく。
仁井田と下新城にしかないのをありがたみにしないと。
大曲はどーなる。
今は、南部SCになっていますね。他の地域センターもだいたいコミセンに転換されています。
SC及び別館があるからコミセンを作らないかどうかは定かでないですが、牛島、日新、広面あたりにはないです。
コミセンと児童センター・児童館は、小学校の学区ごとに設置したほうがいいような気もします(児童室は、条例上の児童館ではない)。
コミセンは、原則地元が設置した管理運営委員会へ指定委託して運営することを原則としますが、特定の役員のワンマンになるケースもあるので近づきがたいケースもあります。
コミセンと同じ建物の児童センター・児童館は、事実上はコミセンに一部のスペースを使わせてもらっている形式なので、ワンマンの管理運営委員会のコミセンだと、児童センター・児童館職員の胃がやられる状況だとも言います。
話を戻して、コミセン空白のところがもう何箇所かあるそうなので、SCと共用状態の解消を含め、なんとか整備してほしいと思います。
増やすどころかミニコミセンでさらなる再編されるんじゃないかと。
下新城、大正寺、仁井田、割山などは。