仁井田地下道の話のつづき。
1982年3月30日に開通した仁井田地下道。
ここまででしらべたネタでは、さらに前は歩道橋の可能性があったと書いた。
Wikipediaにもあったし、確か前にどっかでもそんな資料や地図が。
コメントなども参考に、ひとつひとつ当たる。
☆秋田市史
コメントから秋田市史に全部の歩道橋が掲載とあり、しらべた。
1970年代後半の秋田市の歩道橋データです。
13号は牛島一本?
あとはぬかりがないみたい。
つまり、これは無かったとなるのか。
牛島は敷設の記事もある。
☆空から見た秋田
Wikipediaには「空から見た秋田」に写真がある!とあった。
前に見たがうろ覚え感もあり、やはり複写。カラー50円なり。
歩道橋は…?
無いじゃないか!
国道を広げる工事の最盛期。
↑の白い箱が地下道だろう。
それにしてもイエローラインが新鮮。
仁井田新田(今のローソン前)からあとはかなり先まで続いていたらしい。
ただ、横断歩道を塗っていた形跡が薄い?
☆ゼンリンを比較すると…?
※権利が厳しいから、コーポレートマークをつけてます。
次はあるオフ、土崎図書館でゼンリンに頼る。
1980年。市史通り、地下道や歩道橋は無し。
1985年。手書きから印刷に。地下道完成。
なんだ、やはりガセか。
と、1982年にあたる。
な、なんやこのハシゴ型の構造物は!?
1982年だが取材は1980〜1981年にやることが多く、さらに古いネタもある。
だから地下道ではない。
もっとも地下道は書いてないか別な記されを山王や秋田駅で確認している。
他の歩道橋も似たような描かれをしているため、これは歩道橋だろう。
☆架かっていたなら短命か?
んで、市史&地下道の歴史に戻ると、
・1979年 なし
・1980年代前半 あり
・1982年 すでに地下道
であり、相当短命な歩道橋であったことは間違いない。
1978年にはバイパス工事が始まり、すでに去就が決まっていたのに歩道橋ならかなりの税金をかけていて、敷設撤去に莫大な税金をかけたはず。
短命歩道橋でもかかった仮説が2つある。
①バイパス開通まで待ったなしな危険さ
この当時、仁井田・四ツ小屋新団地(御野場)の造成のほか仁井田各地がベッドタウン化し小学校の生徒が増加。当時は仁井田が御野場団地内でも幅広く指定されていたため大量の通学に安全が間に合わず暫定的に架けた可能性である。
中通にさらに増やす予定でつくった歩道橋の部品を反対で断念し、山本郡に移したという記事もあったため仁井田も断念橋や老朽橋から使いまわしたのではなかろうか。
②工事用の暫定歩道
このあたり、今よりも横断場所がなく工事すりにさしあたりなかなか渡れないし、危ない。
だから、工事業者専用のわたり道として足場を組んで仮設で作り上げたのではなかろうか。
いわば墨俣一夜城。
出来たらすぐ取り払ったとなる。
ただ、足場レベルが住宅地図に載るか。
どちらにしろさらなる追加調査が必要である。