茨島環状線の話などででてくる「柳原経由」という言葉。
このへんである。
実は、柳原は1990年に大字として消えている。
ここも21世紀過ぎてからも柳原と書いてあったがいつのまにか卸町に。
一体何がなんだかわからないという方もいるでしょう。
んで、柳原というのはどこなのか。
このへんである。
要するに太平川左岸の卸町、茨島、牛島あたりのこと。
しかし、柳原という名前はない。
実は、柳原は1990年に大字として消えている。
本名は柳原新田といい、全部を卸団地のある「卸町」に変えてしまった。
現在残るのは国道の交差点、古川添と後述するバスのみ。
ここも21世紀過ぎてからも柳原と書いてあったがいつのまにか卸町に。
だが、それ以上に柳原の印象が残るのがバスだった。
1978年に太平川の太平大橋が開通し、牛島からの県道が切り替わりした時にここを通るバスが設置。
国道に出て南部へ行く「柳原経由御野場線」。
これは住居表示や造成前は仁井田で終わる「柳原経由仁井田線」だった説も。
その「柳原経由」が令和になってもまだ生きており、市民から柳原の名前が忘れられてない。
最近はイオン秋田中央店経由など別な表記(大住線など)もあり消えないか気がかりだが。
ちなみに柳原というバス停は存在しなかった。
一方、古川添から国道を渡り新屋に行く路線は「卸センター経由新屋線」と柳原の名前はない。
ただし、市営時代は柳原経由御野場線と同じフォーマットの幕を用い、帰りは御野場線と同じ幕であったしたまに柳原経由と表記が出るなどもある。
別にこれで良かったようにも思うが、柳原新田御鷹野橋字道脇などというのがわかりにくいからか。
なんか京都の地名みたいであるが。
ただ柳原卸町n丁目とかでも良かったのではと。
古川添はラウンドワンがあるが、柳原可奈子がCMに出ていたためオオタニサンのドジャースみたいな効果も出来たはず。
ちなみにこの住居表示では太平川右岸も変わった。
サティのあるあたりは川尻町となんと川尻だったのだ!
これが楢山に変わった。
当時はサティすらなく衛生興業というし尿処理場があり、それが移転して一気に街が広がる。
サティ前は「若草団地」。
そして割を食って廃止になった名前が楢山御島町。
川口デイサービスセンター近辺のせまい街だったが、なぜか吸収され消えている。
南部生まれとしては「市内の入口」という都会の始まりのような場所だったのがこのあたり。
近くに越してきたし、もう少し勉強してみたい。