秋田市内スーパーシリーズ。
いとくも例にもれず、こんな感じに。
今回は「いとく」。
いとくは1890年に藤里の伊藤徳治が設立した個人商店が出発。
大館でなく、藤里なのは意外。
藤里、鷹巣、二ツ井と設立し1962年に法人化。
1970年に楢山登町店を設立して秋田市内に進出。
その間に県北や青森にも進出。
平成初期は、次の店があった。
・楢山登町店
・泉店
・港北店
・将軍野店
・広面店
・手形店
・仁井田店
当時、ロゴはいまのでなく、花みたいな図にひらがなでいとくだった。
仁井田に開店した時は、小さいゲームセンターや本屋やト一屋でも取り上げた「第一薬品」やパン屋が入居。
徒歩圏内で、どれほどお世話になったか。
しかしながら、景気の問題があり21世紀からどんどん秋田市内の店を減らしていった。
仁井田は2008年に閉店。
同年はト一屋とジェイマルエーもなくなり仁井田のスーパー暗黒であった。
これでいとくは秋田失敗か…とだれもが思ったが…
なんとリベンジ進出をかましてきた!
・手形店→秋田東店
・将軍野店&港北店→自衛隊通り店
・泉店→新国道モール
と、潰れた店のちかくにでかいのを進出。
さらに川尻、土崎にも進出。
さて、平成中後期の秋田市のスーパーといえば…
ファサードが特徴的なこと。
いとくも例にもれず、こんな感じに。
中には不二家とかが入居する率が高いようだ。
ちなみに、リベンジ進出はみんな行われておらず、楢山は失敗扱いらしく楢山にはリベンジが無し。
仁井田にもリベンジが無いのは、うまみがなかったんだろうか。
それにしても、いとくは秋田市内では一番広いイメージがある。
立派だ。
広く浅く「伊徳」
仁井田の場合は、ナイスに挟まれた上にマルダイまであることがやりづらいところなのかもしれません。
バスや渋滞を見ると、現28号の裏と旧28号の間に一本片側1車線の道を中通1〜柳原もしくは登町までありゃとも。
仁井田は立地は良かったはずですが。
立地ではなく、競合が多すぎるということだと思います。
楢山は、近隣では難しかったので川尻という考え方ができるかと。
広い通りが必要なんでしょうが、農業試験場跡とか仲谷地の新幹線あたりとかでもいいかな。
今はこのエリアにはビフレもありますしね。
らしいのが大正寺しか無いですから。
WAONが使えないのは、イオン系と競合した経緯からか。
ナナコ ナイス(ここは7とかなり距離を縮め中)
楽天 いとく
このあたりのすみわけが決まってまいりました。