日がな一日奈良の街を散歩して目についたのは
書道の道具を売っている老舗です。
なんの事はない、奈良は全国の墨の
95%のシュアを占めているそうです。
以下古梅園の店員さんに聞いた話です。
「墨は基本的には煤とニカワを職人さんが手でこねて
造ります。
墨は中国から入って来て、仏教が浸透し
写経が盛んになり墨の需要が追いつかず
飛鳥時代(推古天皇)には日本の国内で生産されました。
当時は松をもやした松煙墨でした。
平安・室町時代、墨は奈良の興福寺の燈明の煤で作られたで油煙墨が主流となり、
興福寺は墨生産の一大拠点となりました。
現在でも油煙墨が主流です。
南北朝時代に奈良が墨の主たる生産地のため南都墨と呼ばれる
ようになりました。
安土桃山時代、墨師が店舗を構えて商売をするようになり
”古梅園”が創業しました。約400年以上昔です。」
奈良市内には、古梅園、奈良市史料保存館、墨の資料館、永楽案、
がありますので興味のある方はどうぞ。
本店では墨の工程から販売まで見学することができます。
(資料 古梅園より)
書道の道具を売っている老舗です。
なんの事はない、奈良は全国の墨の
95%のシュアを占めているそうです。
以下古梅園の店員さんに聞いた話です。
「墨は基本的には煤とニカワを職人さんが手でこねて
造ります。
墨は中国から入って来て、仏教が浸透し
写経が盛んになり墨の需要が追いつかず
飛鳥時代(推古天皇)には日本の国内で生産されました。
当時は松をもやした松煙墨でした。
平安・室町時代、墨は奈良の興福寺の燈明の煤で作られたで油煙墨が主流となり、
興福寺は墨生産の一大拠点となりました。
現在でも油煙墨が主流です。
南北朝時代に奈良が墨の主たる生産地のため南都墨と呼ばれる
ようになりました。
安土桃山時代、墨師が店舗を構えて商売をするようになり
”古梅園”が創業しました。約400年以上昔です。」
奈良市内には、古梅園、奈良市史料保存館、墨の資料館、永楽案、
がありますので興味のある方はどうぞ。
本店では墨の工程から販売まで見学することができます。
(資料 古梅園より)