奈良公園の鹿は野生動物(飼い主はいません)で天然記念物に
指定されてます。戦後の食糧不足で100頭以下に減少したが
現在は約千頭位いるそうです。
以下、鹿せんべいを売っているおばあさんから聞いた話です。
おばあさんの関西弁を再現しておきます。
「平城京の時代767年春日神宮さんが創建された時
鹿島神宮から主神様が白い鹿に乗って来られたということで
神鹿(しんろく)として大事にされるようなったんじゃ。
それに大和の国の守護だった興福寺さんからも神鹿として厳重に
保護されとったん。でもな過保護がすぎて大勢の人が罰を受けたんよ。
少女が市中引き回しのうえ斬首をうけたりしてな。
それから、三作とう男の子が習字を書いている時、鹿がその紙を
食べてしまったんよ。三作は思わず文鎮を投げるつけると
運悪く鹿が死んでしもうた。三作は穴に埋められて、
石を詰められ石子詰の刑罰(死罪)をうけたそうな。
母親が悲しんで明け七つ、暮れ六つに供養に努めたため
、興福寺に三作の塚がつくられたんよ。
今もあるから行ってみなはれ。」
とまあ、おばあさんの鹿にまつわる話。
指定されてます。戦後の食糧不足で100頭以下に減少したが
現在は約千頭位いるそうです。
以下、鹿せんべいを売っているおばあさんから聞いた話です。
おばあさんの関西弁を再現しておきます。
「平城京の時代767年春日神宮さんが創建された時
鹿島神宮から主神様が白い鹿に乗って来られたということで
神鹿(しんろく)として大事にされるようなったんじゃ。
それに大和の国の守護だった興福寺さんからも神鹿として厳重に
保護されとったん。でもな過保護がすぎて大勢の人が罰を受けたんよ。
少女が市中引き回しのうえ斬首をうけたりしてな。
それから、三作とう男の子が習字を書いている時、鹿がその紙を
食べてしまったんよ。三作は思わず文鎮を投げるつけると
運悪く鹿が死んでしもうた。三作は穴に埋められて、
石を詰められ石子詰の刑罰(死罪)をうけたそうな。
母親が悲しんで明け七つ、暮れ六つに供養に努めたため
、興福寺に三作の塚がつくられたんよ。
今もあるから行ってみなはれ。」
とまあ、おばあさんの鹿にまつわる話。