≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

橋本晋哉 セルパンリサイタル01 "La lettre S" に行った。

2024-08-02 16:56:56 | 音楽

桒形亜樹子 フランソワ・クープラン 第1オルドル全曲演奏、第2オルドル全曲演奏リサイタル に続いて、スタジオ ピオティータ ではこれが3回目だ。
今回は夫も一緒なのだが、桜上水駅からではなく西永福駅から行った。
西永福駅からの道順の方はさらに難しかった。夫と一緒じゃなかったら始まるまえにたどり着けたかどうか。

さて、セルパンだ。 なんじゃそりゃ !?
セルパンというのはフランス語で蛇という意味で、古楽器です。上の写真のように曲がりくねっているので、蛇だ というのは直感的に分かる。
「16世紀後半にバス・コルネットから発展したと考えられるセルパンは、17-8世紀を通して教会の楽器として、特にフランスで広く用いられた」とパンフレットにある。
歌口を見れば分かるが、いわゆる金管楽器の仲間だ。といってもクルミなどの木製なんだそうだが。
コルネットというと同名の楽器があって紛らわしいが、別名が ツインク といえばもう少し特定しやすい木製の金管楽器の古楽器がある。少しだけ湾曲した縦笛のようにも見える。コルネットの語源が角笛なので腑に落ちる。それの音を低くしようと管を長くしつつ 孔に手が届くようにした結果 曲がりくねったのだ、という説明が分かりやすかった。
現在の金管楽器はバルブやロータリーで空気の通り道を迂回させて音程を変えるが、昔はリコーダーのように孔を開けてそこを塞いだり塞がなかったりする方式だったので、よけい木管楽器っぽいのだ。

セルパンの重さ当てクイズ! 1kg?2kg?3kg?? と橋本晋哉氏が持ち上げて見せているところ。
たった2㎏しかないそうだ。ひょいと片手で持ち上げられるわけだ。
半割りの木管を貼り合わせ革でぐるぐる巻いてあるらしい。

「その特徴的なS字型のフォルムから当時の絵画や彫刻にしばしば現れるものの、教会以外で用いられた資料、特にこの楽器のために作曲された当時の協奏曲の類は、今の所みつかっていない。ただし当時は楽器指定も寛容だったことから、同じ低音楽器のための作品をセルパンで演奏することが、(取り敢えずは)現代のセルパン奏者の古楽への入り口となる。」とパンフレットにある。
というわけで、多くの曲が書かれたチェンバロのリサイタルに比べると、演目の工夫が違う。ありていにいえば、セルパンのための曲が少ないんですよ。


パンフレット。
プログラムの内容は 24/06/16 橋本晋哉セルパンリサイタル01プログラムノート で読める。

最初の曲は、ジャック・ルボチエ 作曲、『S』。S は "La lettre S" と読み、つまりそれはフランス語で「Sという文字」という意味です。b.1937 というのは 1937年以前という意味だろうか。
セルパンの音色は不思議だ。ざっくりいってしまえば雑音が多いんだけれども、それが暖かみになっている。チューバとはずいぶん違う。
セルパンを鳴らしながら声を出したり、橋本氏は循環呼吸を駆使して長い音を出したり、なんとも不思議な曲だ。
そして合間にフランス語で何かを語る。悲しいことにフランス語はちっとも分らない。
分からないのでよけいにケムに巻かれたかんじで、呪術的に聞こえてしまった。

その次はミシェル・ゴダールの作品、『Serpens Secundo』。 secundo は英語だと second で、2番目や秒という意味がまず思い浮かぶけれど、刻(とき)という意味が題名にふさわしいんじゃないか、と橋本氏は言っていた。
ゴダール氏は現代にセルパンを復興させた立役者で、橋本氏の先生でもあるそうだ。
ちょっと調べると、チューバでクラシック曲のアルバムを発表したり、セルパンとチェンバロで古楽のスタイルのオリジナル曲を発表したり、敢えていうならジャズのジャンルで エレキベースを弾いてルーパーで鳴らした上にセルパンを吹いたり 、ジャンルを軽々と越える方のようだ。

ちょっと話がそれた。リサイタルに戻る。
『Serpens Secundo』の次は、古楽のジャンルの ディエゴ・オルティスの 『レセルカーダ第1番、第2番』を演奏する。

そのあと飯塚直氏を加えて、鈴木広志氏の作品、『百歳になって』を演奏する。谷川俊太郎氏の詩だ。一気に400年を往復してクラクラする。
飯塚氏は日本語の歌を歌い、でっかいリコーダーを吹いた。

前半の最後は、ジャチント・シェルシの『マクノンガン』。これも現代もの。
低音の楽器指定がない曲だととにかくマイナー楽器がむらがる、と橋本氏は言っていた。チューバやファゴット、バリトンサックスあたりは納得できるが、音域の広いアコーディオンまで来るのか。


橋本氏のセルパンの話は面白かった。
ヨーロッパはトルコと何度も戦争をしているが、トルコの軍隊の音楽隊には大きな影響を受けた。
そういえば、ヨーロッパではトルコ風の音楽が流行したりティンパニを導入したりしたっけ。
マーチングバンドも導入したが、低音がちょっと困ったらしい。トロンボーンはスライドが邪魔だしリコーダーの大きいのも邪魔だ。
セルパンがいいじゃないか! 横に構えれば歩くのにも邪魔にならない。
ということで、教会関係じゃないセルパンの使いどころが新たに出来たらしい。
しかし金属加工の技術が向上し、セルパンの金属版とでもいうべき オフィクレイド が現れ、その後はバルブのついたチューバに座を奪われ、セルパンは衰退したそうだ。

橋本氏がセルパンを吹いている短い動画がXにあるので貼る。
ニョロニョロとファミマに入って出て行く楽器』、という曲名でいいのかな?
セルパンのために書かれた曲が少ないので、セルパンをやるのには 作曲/編曲能力や 抜け目なくチャンスを掴む能力が発揮されるんだなあ。


休憩のあとは、一番最初に演奏したジャック・ルボチエの『S』を、今度は飯塚直氏も交えて演奏する。
フランス語の詩のかわりに飯塚氏が日本語で言うのだ。彼女はメドゥーサとおぼしき、ヘビをいくつも生やしたカチューシャを頭にはめ、ヘビのぬいぐるみを手に持って朗読した。日本語になっても、ワケワカラン。
なんでも元の詩は S の発音が多いんだそうで、その中でも人前で言うには勇気のいるある言葉を 日本語で何というか、橋本氏はすごく悩んだらしい。飯塚氏は上手く表現したなあ。


一番上の写真でセルパンの後ろにチェンバロがあるのが見える。そのチェンバロとセルパンとリコーダーでの演奏が、バルトロメオ・デ・セルマ の『カンツォン第1番 』だ。17世紀にファゴット用に書かれた曲をセルパンで演奏する。チェンバロ演奏は桒形亜樹子(くわがたあきこ)氏です。
オーボエと合わせるチェンバロの演奏は見たことがあったものの、もうちょっと多い人数のアンサンブルでのチェンバロというのを見たことがなかったので、興味深かった。楽しそうだ。いつか通奏低音のチェンバロも勉強してみたい。

セルパンの曲がないなら作ってもらうしかない、ということで大熊夏織氏に『口寄せエンターテイメント』を書いてもらったそうだ。
大きなリコーダーを、歌口だけ外して、それの底を手で覆ったり開いたりして音を出して、なんというかワケワカラン。現代曲っぽいっていうんですか。口寄せ というだけあって、呪術的。
今回のセルパンリサイタルはこういうテイストがずっと通っているようだ。

そして、前半で演奏したディエゴ・オルティス の続きと思しき『レセルカーダ第3番、第4番』をソロで演奏する。

その次は、大御所ヨハン・セバスティアン・バッハの『地獄の蛇よ、畏れはせぬか?』。
BWV 40 カンタータ第40番『神の子の現れたまいしは』には8曲含まれるが、その中の5曲目のレチタティーヴォなんだそうだ。
たくさんあるバッハの曲を片っ端から調べたが、蛇 が出てくるのはこの曲だけだったそうだ。

鈴木純明 『ヨハン・セルパン・バッハ』。大バッハの蛇のあとにはこれを演奏する決まりでしょう。
大バッハっぽいフレーズが現れてニヤリとする。

桒形氏によると、このリサイタルには演目の曲を書いた作曲家が幾人も見に来ていたらしい。

アンコールは、武満徹 作曲 川島素晴 編曲『死んだ男の残したものは』。谷川俊太郎作詞の反戦歌だ。
これは3人で演奏した。
アンコールにしては重い内容の歌詞だったかも、と思わなくもなかったが、ウクライナやパレスチナで起きていることをを思えば、今の時分に相応しいな。

歌や声との距離の近いプログラムだった。


☟ 休憩中にチェンバロをチューニングする桒形亜樹子氏。





 
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