![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/97/967e5a049b5d950bfaf8e44e553872e1.jpg)
予算とスペースの関係でフィクションは単行本ではなく文庫や新書になってから買うほうなんである。
というか、単行本の新刊をろくにチェックしていないので、というか本屋には行くがそこらへんは素通りしているので、文庫になって知った。ええまあ、文庫の新刊コーナーはチェックしてますね。
で、『プロローグ』は文春文庫で奥付には2018年2月10日第1刷と、『エピローグ』はハヤカワ文庫で奥付には2018年2月10日印刷 2月15日発行、とある。
カバーのイラストはどちらもシライシユウコ氏で、腰帯も色が反転しているけど同じトーンで、こんな風に並べても違和感がないんである。その腰帯には出版社の違うもう片方の宣伝が書いてあるんである。
そりゃ両方買いますわな
さて、どちらから読もうか?
ふつう、プロローグ・エピローグ、とあればプロローグからいくべきよね。あれっ、プロローグとエピローグにはさまれるべき本体は?と思わなくもなかったがそれはさておき、なんかより馴染みのあるハヤカワに手が出てしまった。
ハヤカワの『エピローグ』はしっかり SF しておった。最近めっきり SF から離れてしまって最近の流れをろくに知らなかったりするのだが、インターネットが発達しそれがない生活を想像できない人が増えた昨今だと SF における世界をこういう風に構築するかあ、と感慨にふけりながら読んだんである。
そりゃもう円城氏はたいそう優秀な方だからわたしにはチンプンカンプンな世界なんであるがしかし、文章そのものがじゅうぶん美味しいので分からないなりに読み進められてしまう、というのがすごい。
例えば p.34「五劫はもう来ていたのだなと思う。グーリンダイのポンポコピーだなと思う。」あたり。
とはいえ、p.116 で 経糸(たていと)と緯糸(よこいと)をルビも振らずに出すのに、それらで「編む」というのは残念である。「織っ」ていただきたかった。
しっかりした SF を堪能して、お次に『プロローグ』を読む。
出版社が違うとこうも本の感触がちがうことに驚く。いやどちらも文庫本だし文字の大きさもそんなに変わらないんだけれど、ちょっとした文字の太さの違いとか1行の文字数の違いとか紙の感触とか、なんかさっきまで読んでいた本とは世界が違う、というのを内容より先に五感で知ってしまう。
で、内容だ。
なるほどハヤカワで SF に対して文春ではこうなる、と納得する。一見こちらのほうが私小説の体の文学っぽい。もちろんそうは問屋が卸さないんだけど、とりあえず入口はね。
原稿を書いて出版社に渡すのにどういうデータにするのか、というくだりは妙におもしろく読んでしまった。テキストデータがシンプルでよいだろう、と門外漢のわたしも思うのだが、そのデータをレイアウトして紙に印刷する用のデータを作り、単行本から文庫本を作るにあたってそのレイアウトしたデータからまた素のテキストデータに戻してそこからまたレイアウトしなおしてデータを作る、というのを読んでうんざりしてしまった。こりゃ大変だわ。
バージョンアップする話とか、なるほど微妙に『エピローグ』にリンクしてにやりとさせられる。うまいなあ。
雑学というか教養というか、あっちこっちに話がとんでいちいちにやにやさせてくれるけれど、鮮やかに話は収束する。 うひょ~!
円城氏すごい
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます