日々是口実~引っ越し版~

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勾当台公園の谷風

2009-12-29 23:37:45 | 大相撲
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朝10時に目が覚め、仙台市の勾当台公園に行ってみた。ここには横綱谷風の像がある。
最盛期の体躯、6尺2寸5分(189センチ)、47貫(176キロ)を再現した立派な銅像だ。

わしが国さで見せたいものは、むかし谷風、いま伊達模様・・・と里謡でも有名な第4代横綱、谷風梶之助は、寛延3年(1750)8月8日、仙台市若林区霞目に生まれる。
巡業中の強豪力士関ノ戸に見初められ、白石片倉家が抱え、「看板大関」として西の大関「仙台 達ヶ関森右衛門」と付け出される。
「達ヶ関(だてがせき)」の名は仙台藩主伊達重村からもらったという。

看板大関だった達ヶ関は、徐々に力をつけ幕内上位に定着。
名を谷風に改め、天明元年(1781)に実力で大関になる。
寛政元年(1789)には好敵手、小野川とともに横綱免許を受け、相撲界は空前の黄金期を迎える。

谷風はまさに天下無双で、10年間にたった1敗。これは63連勝し、負けを1つはさんで、さらに43連勝という大記録を打ち立てている。
この63連勝は、のちの双葉山の69連勝まで約150年間破られることはなかった。現在も史上2位を守っている。

25年間、44場所に出場。258勝14敗16分16預5無。
負けなし31場所、優勝(相当)21回。勝率94.9%。
寛政7年、江戸に蔓延した流感により現役没。享年46歳。墓所は霞目の生家近くにある。

ちなみに出生地は秋田県小坂町余路米(よろまい)という説もある。
ここで谷風が生まれ、母親が弟(後の達ヶ関)を連れ仙台に逃げたというのだが・・・。
いくら秋田びいきの私でもこの説は支持しがたい、いかんせん証拠が弱すぎる。

当地では谷風の里として活動し、見事な四本柱の土俵もあったのだが、今はどうなっているんだろう?