日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

雷電 秋田に来る その2

2010-03-18 23:59:09 | 大相撲
イメージ 1

雷電来秋、第2弾です。文化元年(1804)の記述、山形は天童から秋田入りします。
 
(7月)14日秋田久保田へ到着した。場所は85両で契約 ~ 8月4日まで相撲をとった。
 
宿は秋田のやばせというところ。やばせよりみなとまで40丁もはなれていて、馬の足代が25文かかった。
女郎屋に通うのに馬代が金2分かかった。
 
馬に60貫ほどの うり なす すいかを積み、毎朝6~7里、海辺から城下まで通い、朝6時に来て9時前には売り切っていく女馬方がいた。
 
この女は自分でも40貫ほど背負ってきていた。馬も女もなかなか強いものだ。大きなうりを一本食べながら商売をしていた。帰りには馬の上に横になってタバコをふかして帰っていった。早朝2時には荷物を馬に積み終わっているという。
 
8月5日に出羽ヶ岡へ出発した。途中、六合から本庄、塩越を通ったところ壁は壊れ、家は倒壊し、石地蔵は壊れ墓石も倒れていた。塩越についたときには家はすべて倒壊し寺の杉の木は倒れ、地面深く逆さまに突き刺さっていた。
 
喜サ形では、以前来たときには陸地であったところに海水が膝までつかるようになり、満潮には首までつかるようになった。
 
九十九島といわれた景勝地も大地震で隆起し、丘になってしまった。
6月4日夜9時のことだという。
 
 
今回は秋田市内だけの巡業です。「やばせ」は八橋、「みなと」は土崎港です。豪傑な女の売り子に大変関心している様子が面白いです。
 
で、問題はその次の項。
出羽ヶ岡は山形県の鶴岡。道中、六合(岩城町?)から本庄(本荘市)、塩越(象潟町)、喜サ形(象潟)では、「文化の大地震」のあとを通っている。
 
詳しく描写しているところを見ると、前回通った頃には「東の松島、西の象潟」と比較されるほどの景勝地だった象潟が、地震により一変した様子がわかります。
 
このあと、象潟から酒田までも地震すさまじさが書かれています。この「雷電日記」は地震の研究でも重要な資料になったと思います。