koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

とりとめのない話・・・

2007年01月13日 23時13分55秒 | 歴史

京都と奈良とどちらが好きか?


非常に難しい質問である。
その時の気分で違うかもしれないし,見る場所によっても異なる。
京都は,洛中,東山,北山,高雄,嵯峨・嵐山,伏見・宇治・・・といった分け方が出来るだろうし,奈良は若草山山麓,西ノ京,斑鳩,天理・山辺の道,飛鳥,佐保路・・・等より複雑に分化しているようである。


京都が市域を中心にわりとシンプルに別れている(尤も大原,比叡山,鞍馬,栂尾のように離れた地もあるが・・・)のに対して,奈良は広大な奈良盆地全域に寺社や史跡が分布しており,京都のように凝縮された感じが少ない。
例えば,7世紀に我が国の中心であった飛鳥地方は奈良市街のずっと南の大和三山(耳成,畝傍,天香具山)の麓橿原市や明日香村(何と心地良い響きだろう,村とは・・)に位置するし,私が個人的に好きな室生寺はずっと東の宇陀市にある。


おそらくこれは,京都が9世紀末から我が国の中心となったのに対し,奈良の方は近畿圏で最も早く開け,上代より政権があちこちに移動したため史跡や寺社が散在しているのではないだろうか(前期難波京とか近江京というのもあったが)。
例えば,大化の改新といったクーデターが行われたのは飛鳥板葺宮と予測されているし,上述の大和三山の麓にあったのは広大な藤原京である。
そして紫香楽宮。
狸の置物(焼き物)で有名な信楽に聖武天皇が遷都した(というか行在所を移した,というべきか)。
尤も聖武天皇はしょっちゅうあちこち遷都を行ったことで知られており,その他に後期難波宮,恭仁京(山城国相良郡)といった地を転々とした。
「国分寺・国文尼寺建立の詔」と、「南都大仏建立の詔」はこの恭仁京で出されたが,民が疲弊したであろうことは想像に難くない・・・。


京都近辺だとこの恭仁京の他には桓武天皇の長岡京が知られている。
藤原種継暗殺事件と早良親王の怨霊伝説のあった曰く付きの地である。
ただ,こうして見ると奈良の方が圧倒的に広範囲に渡って寺社や史跡が広がっている感がある。
大陸の風気を感じる奈良と,あくまでも和風に完成された京都と好対照であるがために,いろいろと興味は尽きない。


・・・とこのようなとりとめのない話題になってしまったのは,実はこちらを見たからである。
麓に東大寺と興福寺という大寺のある若草山の山焼きが今夜豪快に行われた。
有名な五重塔や大仏殿を背景に一山が燃える光景は豪快そのものである。
鑑真や真備が,そして冬嗣や道鏡も往来し,安倍仲麻呂や井真成が夢にまで見て無念にも帰京を果たせなかった平城の都に遠く思いを馳せることは,今となっては訪れることもままならなくなってしまった自身の焦燥の裏返しでもある・・・。


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