僕の人生の今は何章目ぐらいなんだろう?

昨日に戻りたいと思うよりも、
今日を楽しみ、
明日が待ち遠しいと思える、
そんな人生を送りたい。

新旧の音楽界の交流の活性化

2008-12-17 19:56:35 | 拓郎さん・・・
森進一に提供した「襟裳岬」の大ヒットをきっかけにこれ以降、
楽曲を媒介にして旧勢力と新勢力の両者は交流を始め、
演歌界を含む歌謡界がニューミュージック系ミュージシャンの楽曲を取り上げることがブームになり定着していった。
またCMソング作家だった小林亜星が作曲した「北の宿から」が76年日本レコード大賞等を受賞するというようなケースも出てきた。
「襟裳岬」の前までは演歌系歌手は演歌系作家が作る、のようなはっきりした図式があった。
「襟裳岬」が世に送り出されていなければ、今日のJ-POP自体がかなり異なったものになっていた。
拓郎は同年、浅田美代子に「じゃあまたね」を小柳ルミ子にも「赤い燈台」を書き下ろし、シンガーソングライターとアイドルの蜜月という架橋を同時に築く。歌謡曲の進化をもたらした異業種混合のコラボレートの歴史は拓郎の偉業から始まる。

こうした楽曲以外にも多くのレギュラーを持ったラジオや雑誌のインタビュー等での自由奔放な発言、言動は多くの共感を呼んだが、それは芸能界全体にも影響を及ぼした。
70年代なかばのナベプロの凋落については、当時の幹部は「きっちり教育され、型にはめてつくられたタレントなり歌手なりが、視聴者に飽きられたからでしょう。拓郎もそうですが、型にはまらない自由で奔放なタレントや暗さがあるキャラクターが好まれるようになったのも一因だと思います」と話している。
暗さの藤圭子に対抗できるのは拓郎だった。
これだった。渡辺晋は拓郎の楽曲の実力を買ってキャンディーズなど多くの自社所属歌手への楽曲提供を拓郎に依頼した。

日本初の本格的ライブ・アルバム『たくろうLIVE '73』
『ぷらいべーと』は、オリコンで2週連続で1位を記録、カバーアルバム最初のNo.1ヒットだった。
『襟裳岬』で日本レコード大賞、日本歌謡大賞を受賞。

この男だったらと望みを託した。
コメント

他のミュージシャンをプロデュース

2008-12-17 18:45:03 | 拓郎さん・・・
72年以降拓郎はミュージシャン系プロデューサーとして多くの楽曲作った。
その一部が日の目を見たそれが「襟裳岬」
都橋のマスターがコメントしているように3番の歌詞が森進一と拓郎の通ずる部分であると言われている。
のちに作詞家の岡本おさみは「作詞に関して拓郎に大幅に手を加えられたので作詞も拓郎との共同作業だった」とも語っていた。
ここで現在までの拓郎プロデュースの歌手を列記すると
由紀さおり、あの仲の悪い布施明からキャンディーズ、
木ノ内みどり、小坂一也、松山省二、伊藤咲子、
五木ひろしや石川さゆり、イモ欽トリオ、
近藤真彦、アグネスチャン数え切れない。
中国語のウーロン茶のCMの「結婚しようよ」や
高木ブーなど、きわものもある。

77年、フォーライフは2年目の決算で8億円の赤字を出す。
拓郎はその埋め合わせのためカバーアルバム『ぷらいべえと』を発売。
レコードジャケットも拓郎が週刊誌でキャンディーズのランちゃんを見てクレヨンで書いたものだった。
しかし売れた。

この年夏、解散を発表したキャンディーズに「やさしい悪魔」と「アン・ドゥ・トロワ」他を提供。
ナベプロの創業者渡辺晋からの依頼といわれる“キャンディーズ大人計画”に応えた。

そう、大人計画だった。
コメント

プロデューサーとしての拓郎

2008-12-17 17:24:10 | 拓郎さん・・・
拓郎は74年松山省二、浅田美代子、小柳ルミ子らに楽曲を提供。
大晦日に、「襟裳岬」が日本レコード大賞受賞。
歌謡界きっての大セレモニーに拓郎が参加するのか注目されたが、拓郎は上下ともジーンズの普段着で登場した。
会場は少なからず動揺した。
何ごともなく壇上に上がり平然と賞を受け取った。
当時最も権威ある音楽賞を拓郎が受賞したことは、
それまでの『職業作詞家・作曲家』の楽曲プロデュースの時代から、
現役ミュージシャンによる楽曲プロデュースという、新たな時代の到来を予感させるものだった。
実際、小室哲哉やつんくのプロデュース活動が話題を呼んだ頃、ミュージシャン系プロデューサーの先駆者としても多く紹介された。拓郎自身、プロデューサー業を手掛け始めた1972年頃からすでにプロデューサー業に対する強いこだわりを持ち、1976年の自著『明日に向かって走れ』でも、プロデューサーとは何かとの持論が長く語られている。

日本歌謡界は74年以降
何故に大きく変わったのか。

これでいいでしょ都橋のマスター
コメント

襟裳岬

2008-12-17 16:26:45 | 拓郎さん・・・
今日は、森進一の襟裳岬の話からはじまります。
森は1973年最愛の母が50代を前にして自殺。一部ファンから心無い言葉や事実無根のイメージを被せられ、順調に昇り続けてきた歌手人生における一つの苦境に立たされることとなった。
しかし翌74年にフォーク全盛期の黄金コンビ、岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の「襟裳岬」を発表。この曲で日本レコード大賞、日本歌謡大賞など多くの音楽賞を獲得し、紅白歌合戦で初の大トリを務めることとなる。
この「襟裳岬」との出会い以降、彼の曲の世界は転換期を迎え、通常の演歌歌手には無い趣向を持ち始める。
演歌界を代表する人気歌手だが、固定観念にとらわれず様々なジャンルの作品を歌うことを信条としている。
一般的に形式を重んじ急激な変化を好まない演歌界においては森のようなスタイルは稀少である。演歌嫌いを公言して憚らなかった淡谷のり子からもその音楽性を賞賛された。森はこうした自身の多彩な活動について「僕が歌ってきたのは演歌ではなく流行歌です」と説明している。

さてなんでここに来て森進一の襟裳岬の話をしているか、この吉田拓郎が造った襟裳岬が日本歌謡界の大きなターニングポイントになったのからなのです。
コメント (1)

時にとどまり、時に進み、また時に後退

2006-12-12 02:21:50 | 拓郎さん・・・
くされ縁というものがこの世に存在するのであれば、
そのくされ縁を続けている友人関係を出来るだけやめる事にした。
中でも、「昔は良かった」という一点だけで、
毎度毎度同じように盛り上がってしまう友人関係というものは、
実に情けなく味気ないものなのだ。
しかし僕は現在二十一世紀を生きているのだ。
振り返る事もする。
懐かしみもするが、その事に埋没してしまうのはお断りである。
ましてやその事でしか会話がはずまないというのは、
残念ながら悲劇というしかない。
人間は時にとどまり、時に進み、また時に後退する。
そういうゆとりとか幅が必要なのだ。

わたしたちは一直線に進歩が続くというものの見方が崩れた時代に生きている。
それはグルグル回りするものの見方への回帰と違う。
そういう行き先不明な時代に「昔は良かった」で群れるのもひとつの心のよりどころなのかもしれない。
拓郎の意見はそういうものにとどまらず
「時にとどまり、時に進み、また時に後退」しても先に進もうとする意地がある。わたしはそのたくましさに共感を覚える。
コメント (2)

拓郎さんが出るわけない

2006-11-29 22:50:17 | 拓郎さん・・・
紅白の出演者が決まった。界隈で噂されていた拓郎さんはやはり拓郎紅白辞退
さっそく出場辞退について異例のコメントを発表した。
「つま恋はNHKさんの協力もあり、大成功に終わり感謝しています。ただ、自分の中では、ひとつの通過点であり、振り返ることはせず、また前に進んでいくことに集中したいという気持ちが強い」

出ないで正解だと思うよ。

その昔、ジュリーが「ピンクレディがレコ大獲るようなら、今後は出演辞退する」と言った。音楽と歌謡曲の違いを彼は言っていたんだけど、子供だった僕も「そうだジュリーの言う事が正しい!」と納得してしまった。

拓郎さんは今のままでいいじゃない。
コメント (1)

今日までそして明日から。

2006-11-20 00:47:28 | 拓郎さん・・・
最近まで少し病んでいた。
病んでるっていうと少し語弊があるけど、
なんとなく前向きでない自分がいた。

様々な人間関係でグダグダな状況に陥り、
その名残をいまだに引きずっているものさえあり、
もううんざりしている。

人との出会いはイイ出会いばかりではない。
俺の見る目がなかったと言えばそれまでだが、
「運」もなかったのかなと思ったりもする。

グダグダ考えてみたトコで何も始まらない。
ネガティブに考えていても、前には進まない。
でも悲しいかな、この時間が長ければ長いほど、
・・・悩んでしまう。

こんな俺でもまだまだこんなトコでは死ねない。
なんとか今日まで生きてきた。
そして、明日もこうして生きていくんだろうと。 

 私には私の生き方がある それはおそらく自分というものを
 知るところから始まるものでしょう
 けれど それにしたって どこでどう変わってしまうか
 そうです わからないまま生きて行く 明日からのそんな私です

 「今日までそして明日から」吉田拓郎(1971)

コメント (2)

君の髪が・・・

2006-11-09 17:53:56 | 拓郎さん・・・
風呂あがりの君の髪の香りが好き
君の後ろに座り まだ濡れてる君の髪を乾かしながら溶く
たまに後ろからギュッて抱きしめて
キスをする時の幸福感が
たまらなく好きだよ

愛してるよ

君の髪が乾いたなら
夜空の星と 素敵な夜景を眺めに行こうか

と、思っていた
7月23日から時々

もう寒くて夜空は見られない
駅の帰りに、ちょっと遠回りして帰ろう
コメント (2)

たどり着いたらいつも雨降り

2006-10-11 12:44:07 | 拓郎さん・・・
昨日も今日も波がない。
そして俺は昨日も今日も野暮用で疲れ果て。。。
といっても衣替えだったりしてね。
公私共にバタバタした1ヶ月が経った。
バタバタした割りには、ようやく落ち着いた感がある。

しかし・・・

俺は「長嶋」タイプ。ここぞという時に力を発揮するタイプで、
(チャンスになると燃えるのは、プライベートもそう(笑))
どーでもイイ仕事や仕事量が少ないと途端にやる気をなくすコトから、
自らのタイプをそう呼んでいる。
コンスタントに力を発揮できる「イチロー」タイプが理想だが、
なかなかそうもいかないのが現実である。

俺は元々、人に自分をわかってもらうまで少々時間がかかるため、
半年はとにかく我慢の連続だったが・・・

なんか・・・ばかりだな

俺ははっきり言って、昔から仕事人間である。
15の時からバイトを始め、学生時代は遊びもせず、黙々とバイトしてた。
社会人になってから、悪友が増えたコトもあり、
遊んでばかりいたが、それでも仕事をおろそかにしたコトは1度もない。

親が「超」がつくほど仕事人間だから、
それがモロに影響していると言えよう。

女には少々だらしがない(?)俺だけど(笑)、
仕事に関しては、「超」真面目なのだ。


♪疲れ果てているコトは 誰にも隠せはしないだろう
 ところがおいらは何の為に こんなに疲れてしまったのか♪

都橋のマスターのせいで疲れているのか!
彼が仕事しろよと急かすからなのか!

みんな30過ぎると体力が落ちる。
俺だけじゃない。友から言われた。
よかったよかった…って、ホントよかったのか?
なんの解決にもなっていないが(汗)。
コメント (1)

落陽 

2006-10-02 21:32:48 | 拓郎さん・・・
岡本おさみという詩人と組んだ
吉田拓郎の唄をときどき口ずさむ。
『襟裳岬』
『旅の宿』
『花嫁になる君に』
『世捨人唄』
『祭りのあと』に加えて『落陽』がある。
字余りな拓郎節も好きだが岡本おさみの歌詞も気に入っている。
この前のつま恋での字余りデュオは感激の一コマだった。
(9/23参照)

『落陽』の
♪土産にもらったサイコロふたつ
手の中でふれば、またふりだしに、
戻る旅に、陽が沈んでいく♪

旅で出会った老人が別れにくれたサイコロと人生をたとえた唄だ。
バクチは苦手だが、進学・就職など節目節目に、
目をつぶり、サイコロを振ってきた。

人生は何度も行き止まり、
♪戻る旅に、陽が沈んでいく♪
状態に陥った。
そのたびに新しい発見もあって、捨てたものではない。
歌詞のままならスッカラカンのじいさんになってしまうだろう。
やけっぱちになるのは唄をガナルだけでとどめている。

コメント (1)

越えてゆけそこを

2006-09-25 22:04:48 | 拓郎さん・・・
弱音を吐くのは、決して逃げてる訳じゃない。
人に助けを求め、一人では進めなかった前へと歩み出す第一歩…
一人で悩みを抱え込んで動けなくなるくらいなら、
弱音を吐きながらでも一歩前進できた方が良い。

悩みは、ため込むためにあるんじゃない。
悩みは、後退するためにあるんじゃない。
悩みは、自分のためにあるんだ。
自分を見つめ直し、前へ進むためのハードルのようなもの。

僕の歩む道は、決して平坦じゃない。
だけど、だからこそ楽しいって思えるんだ。

また新しいこのハードル越えてみせるぞ!ってさ。
コメント

つま恋

2006-09-23 23:26:40 | 拓郎さん・・・
「永遠のうそをついてくれ」で中島みゆきが登場した時は凄かった。
まさに、 キター!って感じ。
最初、出だしを拓郎が歌い、中島みゆきが登場。
スポットライトは中島みゆき。拓郎は横でギター。
中島みゆきの歌う「永遠のうそをついてくれ」をまともに聴いたのは初めてだが、いい歌だな。
実に贅沢な1曲だった。 
中島みゆき、一種、神がかってたな。
コメント

気持ちいい風を魂に吹かす

2006-09-17 11:31:30 | 拓郎さん・・・
よかれ悪かれ言いたいことを全部言う
気持ちいい風を魂に吹かす
今はどの辺りだろう どの辺りまで来ただろう
僕の人生の今は 何章目ぐらいだろう

いつまでも 図々しく
どこまでも 明日はつづく
・・・・・

まだまだ
コメント (1)

つま恋まであと10日

2006-09-13 13:53:59 | 拓郎さん・・・
やっと駐車券が来ました。
一安心

さて22日深夜、23日早朝、旅立ちだね。
コメント

こっちを向いてくれ

2006-09-10 13:35:40 | 拓郎さん・・・
昔は同棲イコール結婚だったりしたので、
「一緒に住む」イコール「結婚」であった。
恋愛の延長に同棲はあるような気がする。
結婚は恋愛の延長ではないのだろうけれども。。
いや、この曲は、はっきり言って「結婚を渋った」ことが
発端となった曲なのだろうか?

この曲をひとり聴きながら、「好きだ」とか言い合ってても
それは決して単純に長く続く物ではなく、
ズレというものが、多かれ少なかれあるのだなぁ
などと考えたりしていたような。。。

♪一緒になれないからといって
愛してなかってなんていうのは
とても困るんだ こっちを向いてくれ
僕は君を愛しているに違いない
でも愛するってどういうことなんだろう
今 言える事は 縛られたくないということだけさ
他人からみれば 愛しあっているようにみえて
そうなんだ僕らはキスもしても
落ち着ける場所を 捜し続けたけど
だからといって 一緒になるというのは
君の嫌いな者たちのいい草だったろう
僕はもう少し このままでいたいんだ

一緒にすむという事が
とても気軽なのか 苦痛なのか
それは そうならなきゃ わからないにしても
一緒になれないからといって
愛していなかったと泣いたりするのは
罪を責められる そんな気がする
僕には君だけしかいないんだし
君にも僕だけしかいないにしても
一緒になろうよと 今は言いたくないんだ
たのむからこっちを向いてくれ
でないとこれっきりになりそうだから
このまま別れたくないから こっちを向いてくれ
コメント (1)