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日本各地で・・・「玉屋」「鍵屋」って何?    1119

2010-07-16 12:51:26 | 日々の出来事 その1
07/16 金曜日     刺すような陽ざしに・・・梅雨明けは・間近だろう・・・東京の空の下から発信です。

西日本は・・・各地で大雨の傷跡が、トラックまでが流される濁流のテレビの絵は、驚きそのものだ。
夏に開かれる・・・花火大会の開催も、死者が出たり、行方不明と、花火大会どころではないだろうが!!??

千住宿・駅で・・
花火の弾だ。

慶長18年(1613年)8月6日
……徳川家康が日本で初めて花火を観賞。日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展しました。家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だといわれ。その後花火は急速に発展し、江戸で開花する。

ポスター・・

享保18年(1733年)5月28日
……両国の大川(現在の隅田川)にて川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)開催。そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛です。    

もともと「鍵屋」は葦(アシ)の管に火薬を詰めて星が飛び出す花火を開発し、商才もあって花火市場をほぼ独占していました。しかし、花火が火事の原因になるため町中では花火禁止令が出され、隅田川の花火だけが許されます。当時は納涼船を出して「鍵屋」に花火を上げさせるのが、豪商たちの贅沢の象徴だったのです。

なかなか・・
二つ・プレゼンテーションされていたが、大きい。

文化5年(1808年)
……「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗る。やがて川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となる 。これを応援するための掛け声が「たまや~」「かぎや~」だったのです。

レバ刺し・・
食したい・禁断症状がでたため、千住宿に途中下車。
花火の歴史を披露・・・今年の花火観戦は、ひと味違うものになるのではないだろうか!!??
・・・ちなみに!!

天保14年(1843年)
……「玉屋」の出火で大火事となり玉屋市兵衛を江戸から追放。廃業する。

つまり、「鍵屋」から暖簾分けした「玉屋」が存在したのはたった35年間だったのです。しかし、昔も今も花火の掛け声といえば「玉屋」のほうが断然多い!
・・・またまた勉強させてしまったようだね(^3^)

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