2013/06/11
大東亜戦争の目的である、欧米諸国からのアジア植民地解放は緒戦での奮闘により実現
したものの、昭和17年ミッドウエーの敗退から後、日米の国力差如何ともしがたく敗
色濃厚となっていった。物量に物を言わせる米国の攻撃に、日本は為す術もなく、特別
攻撃を組織化することとなる。
本来、特別攻撃は生還の可能性があるときに発令されるものと聞く。
将来有望な日本の未来を拓くべき若者の純粋無垢なる滅私の精神を利用しての作戦。
一命に代え存在する守るべき命とは。
親・兄弟・恋人・故郷が、大切と思えばこそ投げ出す命。
靖国で会おう。
聖戦と思えばこそ差し出す命。納得感。後に続くことあるを信じて逝ったはず。
信じた日本、守るべき国 日本の姿が今の日本か。
今を生きる我々にもできることは何かあるはず。
日本の勝利・復興・再生、残った者の無事を願い安寧の礎たらんと散った先人に、敬意
を表し感謝を捧げに今年も靖国に行く。
叔父 治郎 昭和20年5月29日 フィリッピンネグロス島 マンダラガン山中で
戦闘中に負傷し、爆死 享年22歳。
大東亜戦争の目的である、欧米諸国からのアジア植民地解放は緒戦での奮闘により実現
したものの、昭和17年ミッドウエーの敗退から後、日米の国力差如何ともしがたく敗
色濃厚となっていった。物量に物を言わせる米国の攻撃に、日本は為す術もなく、特別
攻撃を組織化することとなる。
本来、特別攻撃は生還の可能性があるときに発令されるものと聞く。
将来有望な日本の未来を拓くべき若者の純粋無垢なる滅私の精神を利用しての作戦。
一命に代え存在する守るべき命とは。
親・兄弟・恋人・故郷が、大切と思えばこそ投げ出す命。
靖国で会おう。
聖戦と思えばこそ差し出す命。納得感。後に続くことあるを信じて逝ったはず。
信じた日本、守るべき国 日本の姿が今の日本か。
今を生きる我々にもできることは何かあるはず。
日本の勝利・復興・再生、残った者の無事を願い安寧の礎たらんと散った先人に、敬意
を表し感謝を捧げに今年も靖国に行く。
叔父 治郎 昭和20年5月29日 フィリッピンネグロス島 マンダラガン山中で
戦闘中に負傷し、爆死 享年22歳。