心配するな!なんとかなる。

今起きていること、ちょっと立ち止まって考えてみよう。

外務省 鳩山由起夫元首相の日本再入国を認めるな 

2013-06-27 21:40:35 | 日記
2013/06/27

国際慣習法上、国家は自国籍の人間を入国拒否することはできないが、外国人の入国を認めるかどうかについてはその裁量に委ねられている(最大判昭和32年6月19日刑集11巻6号1663ページ等)。これは、仮に外国人の入国を自由に認めたとすると、国家の平穏・安全その他国家の利益(国益)が著しく損なわれる危険があるからである。


鳩山由起夫 彼はどう見ても日本人ではない。

日本人の筈がない。なぜなら彼の主張は中国独裁政権の代弁であり、とても日本の政治

家の発言 それも元公人 元首相の発言ではないからである。

彼は日本人の皮を被った中国人 いや宇宙人である。

日本人とは考えられない。

自分の発言の重さが理解できず、相手の深謀に易々と嵌る思慮のなさ。流石お坊ちゃ

ま。お伊達に何処までも乗る軽さ。



日本の恥 鳩山由起夫氏を同胞として受け入れることに強く反対したい。

鳩山由起夫 これほどの愚か者とは思わなんだ。恐るべき愚かさ。

正気の沙汰に非ず。

邦夫さん、拘りたくなかろうが、兄貴を何とかしてください。一族の恥ではないですか。

彼を出国させないでは反日マスコミが大騒ぎしたであろうが、ここまで酷ければ日本の恥

であることは万人の認めるところ。

遠慮は無用。

どうか、日本には戻らず、残りの人生 宇宙人として全うしてほしい。

終の棲家は 中国のつくる計画の宇宙ステーションか?

いや、それでは天上から何をするか判らず危険すぎるな。



彼国の実態実例を参考までにどうぞ!

これは「中国政府の恥」 帰国拒否され成田空港に留まる中国人


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 【大紀元日本11月6日】「中国政府の恥」「国あれども帰れず」。母国を批判する標語を掲げて、11月6日現在も成田の東京国際空港内に留まる中国人男性がいる。

 中国・上海に本籍をもつ馮正虎(フォン・ジェン・フー)氏は帰国のため、11月3日夜、日本の全日空機に乗って上海浦東空港に着いたが、中国入国は認められず、翌4日午前、日本へ強制送還された。同氏は、今回の中国側の不当処置を訴えるため、日本への入国手続きを取らず、空港内に留まっている。

 馮氏は今年4月1日から日本に短期滞在していたが、同氏の帰国を許さない中国側によって、6月7日から7月31日までの間に、すでに7回もの入国拒否を受けている。中国当局による同氏への「追い返し」は、今回で8回目。









2013.06.26大沢悠里の 女のリポートを聴いて

2013-06-27 07:00:13 | 日記
2013/06/26

71才 女性からの投書

昭和20年2月 父と母は渋谷駅前で小包受渡業を営んでいた。

春まだ遠い2月のその日、記憶ではぽかぽか暖かい日和であった。

戦時下であり、既に商店街のほとんどは疎開しており、人っ子のないがらんとしたアーケ

ードを二つ上の姉に手を引かれ、よちよち歩きで散歩の練習をしていた。

私に歩き方の手ほどきをしてくれた優しい姉であった。

幼くも残る戦時下の楽しい記憶である。


それから程なくして3月10日 東京大空襲 渋谷も例外ではなかった。

その前日より姉は咳き込みが激しかったが 医者も薬もない時代、父は私を、母は姉をお

ぶり、防空壕に飛び込み一夜を明かした。

防空壕に飛び込む時激しく泣いていた姉は 朝になり防空壕から一家で出るときには咳き

込みは止んでいた。

同時に息もしていなかった。

姉のお骨は小さなアルミの弁当箱に入れられて葬られた。



朗読した大沢さんも見城さんも泣いていた。

どうぞ、健康で長生きしていただきたい。

ご父母の想いは如何ばかりだったか。

正義の戦争と信じ戦う男達 銃後での無情も計り知れない。

帝国主義の時代 日本人は押し寄せる侵略に対抗すべく死に物狂いで戦った。

一等国目指し無我夢中に頑張った明治 花開いた大正浪漫 世界恐慌とともに押し寄せる

欧米からのプレッシャーに対抗して必死に守る既得権益 コミンテルンと連携する中国

国共合作 民主党の米国 対抗すべく連携する日独間との激しい争い 世界大戦の勃

発。

沖縄 広島 長崎 東京始め日本全国受けた代償も大きかった。


米軍の資料によれば、太平洋戦争下に米軍が日本本土に投下した爆弾( 焼夷弾) の総重量は約16万トンで、B29の延べ出撃機数は3万3000機に達した。内外の資料を統合した中日新聞の資料によれば、太平洋戦争下における国内人口の擢災率は、1000万人を越え、負傷者は約100万人、死者は約60万人と推定される。


福井大学工学部研究報告第43巻第2号1995年9月より

多くの先人の冥福を祈りたい。先人の辛苦のうえに今の我々がいる。

全力で復興に努め、平和外交に徹した戦後にも拘わらず、謝罪と賠償を求められ続ける

日本。

戦後68年 未だ進むべき道が整理されていないように見える。