家づくりにおいて、施主のほうがプロ(設計者や施工者)を上回っている知識がある。
それは「暮らし方」に関する知識である。
その知識は施主が日々の生活で蓄えてきたオリジナルのものである。あたりまえだが、施主家族こそ最も自分たちの暮らし方を知っているのだ。
暮らし方次第でハードとしての家の形・機能も変わってくるはずだ。
ところが、ネットや出版物の世界において、住宅の供給者側は自分たちの「家」哲学・理念こそが最高だと思っているせいか、個々の施主家族の暮らし方に言及せずに「こういう家のほうがいい」と断定してしまっていることがある。
施主はこうした言説をうのみにしてはならない。参考程度にとどめておくべきだ。その断定は、筆者が勝手な施主像を描いて一般論化している結果なのである。
腕のいいプロが建てたならば第三者的にはいい家と言ってもいい家ができあがるかもしれないが、その家に住む施主の暮らし方によっては「悪くはないけどしっくりこない家になった」なんてことだってあるのだ。
例えば、私も快適な家を望んだが、重要なポイントは「外が気持ちのいい時には窓を開けたくなる(いい)家」だった(関連エントリ)。
それがもし、「窓を閉めた状態での快適さを保証する(いい)家」を建てられたら、重点がずれて、どこかしらしっくりこなさを感じていただろう。
多くの人が「いい家」と思ってくれそうな家を目指すのではなく、何より自分の家族にとって「いい家」を目指したい。そのために施主は家族の持つ「暮らし方についての知識」をプロにどんどん教えるべきだ。
そしてその「知識」には自信を持っていい。その部分はプロもかなわないのである。
それは「暮らし方」に関する知識である。
その知識は施主が日々の生活で蓄えてきたオリジナルのものである。あたりまえだが、施主家族こそ最も自分たちの暮らし方を知っているのだ。
暮らし方次第でハードとしての家の形・機能も変わってくるはずだ。
ところが、ネットや出版物の世界において、住宅の供給者側は自分たちの「家」哲学・理念こそが最高だと思っているせいか、個々の施主家族の暮らし方に言及せずに「こういう家のほうがいい」と断定してしまっていることがある。
施主はこうした言説をうのみにしてはならない。参考程度にとどめておくべきだ。その断定は、筆者が勝手な施主像を描いて一般論化している結果なのである。
腕のいいプロが建てたならば第三者的にはいい家と言ってもいい家ができあがるかもしれないが、その家に住む施主の暮らし方によっては「悪くはないけどしっくりこない家になった」なんてことだってあるのだ。
例えば、私も快適な家を望んだが、重要なポイントは「外が気持ちのいい時には窓を開けたくなる(いい)家」だった(関連エントリ)。
それがもし、「窓を閉めた状態での快適さを保証する(いい)家」を建てられたら、重点がずれて、どこかしらしっくりこなさを感じていただろう。
多くの人が「いい家」と思ってくれそうな家を目指すのではなく、何より自分の家族にとって「いい家」を目指したい。そのために施主は家族の持つ「暮らし方についての知識」をプロにどんどん教えるべきだ。
そしてその「知識」には自信を持っていい。その部分はプロもかなわないのである。