建築途中に、そのときはまだバーチャルな存在だった
縁側を紹介した。
この写真はリアルな存在となった縁側である。
上はガラス屋根。図面で表記されているように「デッキテラス」と呼んでもいいムードがあるが、私はあえて「縁側」と呼びたい。
ここに腰掛けて、庭と古屋(
* **)を眺めていると、「自分の座っている場所はやっぱり『縁側』だ」と思うのである。
縁側は、以前紹介したときに記した期待をしっかりかなえてくれている。
春と秋にはここで炭火焼パーティもこなした。幅が一間あるので、少人数ならそういうこともできる。
ウチの縁側もリビングの延長になっています。リビングを広く見せる効果があるんですよね。
そして、「えんがわ」という響きはなごめるでしょ。
chiezokunさん、
他に、「お茶にせんべい」というすばらしいラインナップもあります(笑)。
我が家も七輪購入したいなぁ。
先日の取材の際は、その親世帯デッキにみんな集まって団らんする風景なんて撮られました。一度もやったことないのに(苦笑)
縁側、その語感だけでゆったりとした気分になります。
たしかに、現代の家において縁側的空間は「特に必要のないもの」として切り捨てられてしまっているようです。
なんの役に立っているのかわからないけれど、なにか役に立っている、というようなものはいろいろあるはずなんですよね。経済性、合理性からは説明しにくいのですよ。
さすがに冬はじっと座っていることはありません。
しかし、ちょっと「ひなたぼっこ」くらいはできるんですよね。それができる空間なんです。
「ひなたぼっこ」や「夕涼み」などの心地よさは忘れたくない原日本人の私でした(笑)。
ウッドデッキも縁側的機能があるパーツだと思います。おおいに活用しましょうよ。なお、炭火焼は長方形(直方体)の卓上型七輪があるといいですよ。
ヤキトリとかスルメを焼きながらビール、もう最高です。
これは建築家から出されたプランになかったものを私が言ってお願いしたものだったのでした(笑)
某社会学者の説によれば「縁側」のような境界領域は人の中に潜んでいる善と悪の調節機能を果たすそうな、、それが現在の住宅の多くは効率重視でそういう領域がどんどん失われて行ってしまってますからね~。人の無意識の行き場というものがなくなりつつあるような気がします。
garaikaさん、冬も座ってるんですか?(^^;)
私も二部屋続きの和室にできたら縁側を作りたかったのですが。。。。間取り上無理でした。
まぁ、小さなウッドデッキで我慢することにします。
炭火焼パーティーって言うのもよいですね。