忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

宮本亞門氏、核保有や戦争に反対の姿勢示す「被爆国として世界中に『非核三原則』を訴える」

2022年03月06日 | 忘憂之物






久しぶりに職場に顔を出すと、これまた久しぶりに何人か、職場の人間と会う。元気でしたかー、太ったねー、また延長だねーなどの他愛もない会話の中、私は一人、いくつかの確認作業を済ませて、んじゃ、と帰ろうとすると止められる。みればコーヒーがある。飲めということか。

いまも飲んでいるが、インスタントは嫌いじゃない。昭和の貧乏人、東大阪の下町育ちからすれば、カルピスやミロには若干、臆するものの、インスタントコーヒーくらい無職のときから飲んでいる。舐めるな、と言いたい。

真面目な顔で飲んでいると、少し年上のマダムが「元気ないですね」と来る。そんなことないから、いや、べつに、と沢尻的に返すも「元気ないじゃないですか」と詰めてくる。私の元気がどうであろうと、このマダムの年金受給額は変わらない。それに本当にそう思ったのなら「そっとしておく」という選択肢もあるのに「なんかあったんですか??」と怯まない。さすが大阪出身だ。

少々、腹が立った私は「いや、実は・・・」と言った。マダムはカップを置いて座り直した。「思い出せないことがあって。ど忘れというか、なんか気持ち悪いでしょう」と言ったら、わかるーと元気になった。ところで、なにを、どんなこと、一緒に考えてあげるから、とミルクボーイみたいなことを言い出したから、私は正直に「遠藤周作の小説、深い河の第二章だったかに出てくる、インドの女神の名前がどうも・・・なんか、クラムチャウダーみたいな感じだったと思うんですけど、ご存じないですか?」。

そら、アレやがな、と続くかと思ったが、マダムは数秒固まってから、他の人に話しかけに行った。嗚呼、また嫌われた、と凹んでいたら、近くにいたアルバイトの文学部が「チャームンダー・・・?」と言った。それだ、と思ったが、そこはせっかくだから「いや、オレもそう思ったんやどな、オカンが言うには、その女神さん、大阪の串カツ屋の看板にもなってるって言うねん」と返したが無反応だった。言うまでもないが、そこは「ほな、チャームンダー違うかー。言うてもインドの女神やからね、あったとしてもココイチやもんな、ほな、チャームンダーちゃうやん、ほな他にどんな特徴言うてたか、教えてみてよ」だ。まったく、大阪に帰りたい。言わせるな、恥ずかしい。

ぶつぶつ言いながらインスタントを飲み、そういえば、遠藤周作はネスカフェのCMに出てたね、と言ったら文学部は驚いていた。「そんな時代にテレビあったんですか」だった。何百年前の作家だと思っていたのか。

あったわい、とか説教していると、さきほどのマダムが「ダバダー」とか言いながらまた来る。「自分らの世代は宮本亜門ですよねー」とのことだが、嘘つけ、リアルタイムで遠藤周作だったくせに、と思ったが言わなかった。

「違いがわかる男」だ。最近、このフレーズはダメなのか、まったく見なくなった。まさかこれもフェミの皆さんが「女は違いがわからないとでも言うのか」と苦情でも入れたのか、と思ったが、どうやらそうではなく、ネスカフェは「脱インスタント宣言」ということで、イメージを刷新していたらしい。

ほっとした。こんなとこまで「違いがわかる人間。いや、そもそも違いとはなんなのか。違っていたらなんだと言うのか。互いに違いを認め合うことこそ大切なんじゃないのか」などと持続可能されたら、ゆっくりコーヒーも飲めない。



前振りが長くていつも申し訳ないが、この宮本亜門は非核三原則をして「核を持つことは抑止力や防衛のためなどではなく、威嚇と独裁の証です」とか言う。頭がインスタントなのか、まったく違いがわかっていない。嘆かわしい。それではロシアや中国はともかく、それならフランスもアメリカも独裁国家になってしまう。

また「岸田首相の非核三原則堅持の姿勢を支持」とのことだが、これも最後までちゃんと読んだのか、ちゃんと調べたのかと心配になる。SNSでも「岸田がまたひよってる」とか聞こえてくるが、あの薄ら呆けたような顔で

「非核三原則について、これを守りながらも国民の命や暮らしを守れるのかというご質問ですが、これはわが国は従来から、今申し上げた自らの防衛力と、そして日米同盟の抑止力で日本の安全を守ってきました。今この現状の中で、こうした体制はしっかりと機能することによって、国民の命や暮らしを守れると信じております」

と言ったあと、ちゃんと、しかし―――と続いている。

「しかし、状況は変化する。技術は変化する。この変化を前にして手をこまねいて、何もしないというわけにはいかない。絶えずその体制やわが国の準備も、何が求められるのか、検証、検討し、そして努力をし続けることは大事であると思います」

これを「岸田首相の非核三原則堅持の姿勢を支持」とするには切り取り作業がいる。つまり「信じております」で切ってしまえばいい。宮本は意図的なのか、コーヒーを淹れていたのかしらないが、そこはちゃんと「違い」をわかってほしいところだ。


本当に違いがわかってない、のは、例えば立憲の代表だ。

昨日の5日、記者団に問われてこう答えている。

「何かの危機に乗じた核の議論はあってはならない。非核三原則を変える必要はない」「もはや核は使ってはならない兵器だ。核兵器を持っても通常兵器の攻撃を防げるわけではない」

法律案などを議論することを審議という。それを有権者の代表として国会で行う人のことを国会議員と呼ぶ。これ、公党の代表に言わねばならないことか。

しかも、幼稚な文言。とても言葉を大切にしている職業とは思えぬ稚拙ぶりだ。詭弁ですらない。反語にもなっていない。「あってはならない」「必要はない」「使ってはならない」「防げるわけではない」。これらは断定、決めつけによる言論封殺だ。つまり、この政党が権力をもてば独裁政権になる。救いは有権者のほとんどが支持しないことくらいだ。このままでいい。

岸田総理は検討検討で「検討使」とまでおちょくられるが、せめて議会制民主主義の建前を意識しているとわかる。嘘かどうかはともかく、国民を前にして最低限の振る舞いだとわかる。また、自慢の「聞く力」が単なる「聴力」ではないという証左でもある。問題は「何でも聞いてわけがわからない」とか「たくさん聞いて決められない」とか「最後に聞いたのだけが残る」という別問題であり、やはり、今現在の立憲共産党などよりはマシだという評価は致し方がない。残念ではあるが、違いはわかる、と思う。

ついでに本当に残念なのを書いておくと、例えば「浪速の剛腕(懐)」だ。

NATOがウクライナから「ロシアに対する飛行禁止区域を設定してくれ」と頼まれたが拒否したとして

「ロシアと軍事衝突できないなら協議するしかないだろ。ウクライナとともにあるというセリフは何なの?」

とツイートしている。それを受けたゼレンスキー大統領がNATOを非難すると

「ウクライナ頑張れ!ウクライナを支援する!プーチンを許すな!国際秩序を守れ!と言っていた日本人・西側諸国民はこれに対する回答は?」

とのことだ。

他にも「殴り合いの喧嘩したことないやつは戦争の話をしてもリアリティがない」みたいなことも言っていたが、もはや、面倒臭いので触れない。ちょっとキリがないが、ここに貼付した「何なの?」と「回答は?」だけに触れておく。

面倒臭い、とはいったが、リアリティが云々、文句言われたらイヤなので、念のために「殴り合いの喧嘩」くらいしたことある、と断ってから書くと、だ。

「何なの?」については「あ、いや、ウクライナを支援する立場です」と応えるほかないだろう。それから「協議するしかない」については、おそらく、言いたいことはテレビ朝日の玉川と同じかと思うが、先ず、当事者同士で協議はしていて難航しているということ、それから「相手の要求をすべて飲む」だけのことを協議とは呼ばない、ということは押さえておきたい。

橋下徹は「国外退去して、プーチンが死んでから戻り、それから復興すればいいじゃないですか」とウクライナ人に言った。玉川徹も「死者数を減らすにはどこかで引くことをしないと」とテレビでやった。要すればどちらの徹も「武器を捨てて速やかに降伏せよ」と言っている。これではロシア軍のセリフだ。また、偶然ながら、どちらも「徹」だが、ここに「違いがわからない」のは仕方がない。同じようなものだからだ。

で、続けて橋下徹の「回答は?」については「まあ、それは残念だが仕方ないですね」と言う他ない。というのもNATOの言い分もあるからだ。それに一理ある。ストルテンベルグ事務総長はこう言っている。

「われわれはウクライナに部隊を派遣しないと明確に表明している。地上にもウクライナ上空にも。当然ながら、飛行禁止区域設定を実施する唯一の方法は、NATOの戦闘機をウクライナ上空に派遣してロシア軍機を撃墜することだ。絶望的な状況は理解しているが、NATOが飛行禁止区域を設定すれば、より多くの国を巻き込み、さらなる苦しみをもたらす、欧州における本格的な戦争につながる恐れがある 」



徹くんらよ。

経済制裁は宣戦布告ではない。軍事介入でもない。日本はすでにロシアは元より、シリアにも北朝鮮にもソマリアにもリビアにもイランにも、とっくに経済制裁はしている。日本に9条があっても経済制裁はしてもよろしいわけだ。

だからプーチンですら「制裁の強化は宣戦布告のようなものだ」と言っている。どちらの徹も「~のようなものだ」の意味、違いははわかると思う。

「タダみたいなもの」はタダじゃない。「娘みたいなものだ」は娘じゃない。「ペットみたいなものなんですよ」はペットじゃない。いま現在そうではない状態で、今後もおそらく、そうはならない状態のことだとわかる。つまり、制裁強化は宣戦布告ではない、ということをプーチンはわかっている。

しかし、だ。飛行禁止区域を設定して「実施」するには部隊の配置、且つ、禁止区域を通過するロシア機に対して警告、攻撃して撃墜することを意味する。「飛行禁止区域を設定することは宣戦布告のようなものだ」ではない。撃墜しておいてから軍事介入もヘチマもない。「この猫はまるで猫だ。いや、むしろ猫のようなものだ」とは言わない。なにかと心配になる。

NATOの事務総長の言い分を「詭弁だ」として誹るのは勝手にすればよろしい。武器供与はいいのか、もしらない。プーチンも織り込み済みだろう。


ちなみに、何故に私が「チャームンダー」のことを思い出そうとしていたかというと、この女神は西洋の女神などと比して「違いがわかる」からだ。西洋の女神は往々にして美しく、ふくよかで慈愛に満ちているが、チャームンダーは痩せて汚れており、墓場に住んで病気で醜い。ましてや元々は破壊と殺戮の神「カーリー」だ。

西洋の神が「共にある」なら、チャームンダーは「同じ苦しみを負う」ことになる。つまり、病気の人がいれば「共に」病気になる。痩せて汚れた人がいれば「共に」痩せて汚れるからだ。一緒にいてくれるだけではない。

西洋の女神のように銀の大皿にパンや果物はない。チャームンダーは瘦せて枯れ果てるしぼんだ乳をぽたりと垂らす。それを飢えた人々に与えるわけだ。

どちらの徹だったか、現在のウクライナの状況をして、ウクライナの現状を憂い、ロシアの軍事侵攻に憤り、祖国防衛のために奮闘するウクライナ人を応援する日本人らに対し「自分だけが安全な日本で威勢のいいこと言って、ウクライナと共にあるなら戦場に行け」と安全なスタジオから威勢のいいことを言う。

すなわち、日本の政治家を含む西側諸国どもは、西洋の女神の如く、自分らは「与えたもう」立場に身を置いて、切迫するウクライナの民にだけ「自由と独立のために闘いなさい」と上から言うのではなく、共にある、と本気で言うならチャームンダーになれと言うことか。そして「そんな自分は違うから、ウクライナに行かなくてよい」という免罪符を持っているつもりか。

単純明快な勧善懲悪を振り回し、西側諸国のプロパガンダに面白いように乗せられている人々もしんどいが、こういう安易で無責任、且つ、幼稚なリアリズムを振り回し、死ぬのが嫌なら敵の軍門に下るべき、それは早ければ早いほうがベター、とか、まるで敵国を利するかの如く、敵軍の投降の呼びかけの如くたち振る舞う連中は有害ですらある。こういうリーダーシップを履き違えたのが中にいると、その組織のモラルは著しく下がり、故にパフォーマンスも落ちる。軍隊なら全滅を意味する。



ここに来てくれている読者諸賢には釈迦に説法だろうが、日本もいよいよ、なかなかのアレだ。上から横から下から、もはや、アメリカがどうのでもない。

「今日は人の上明日は我が身の上」という言葉がある。「明日は我が身」だ。それから「一寸先は闇の夜に」。京都の「いろはかるた」の「い」だ。しょうもないテレビで下らぬことを言う「無責任なコメンテーター」よりも役に立つ。「違い」はわかると思う。






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