「ベトコン・エクスプレス1号 」の正体は新倉史祐だ。こんなのは日本の義務教育を受けていれば誰でも知っているが、そのタッグパートナーである「ベトコン・エクスプレス2号」の正体はトップシークレット。なにやら日本の政界が関係しているらしい。深堀は禁物だ。そこ、検索とかしない。
まあ、しかし、令和も4年になった。私なりに調べた結果を報告しておくと、ここだけの話「ベトコン・エクスプレス2号」の正体は元文部科学大臣だ。
2020年、ベトコン・エクスプレス2号(以下、2号とする)がセクハラでやられた。事の顛末はざっとこうだった。
自民党議員や新宿区議など10名ほどで、虐待や性暴力の被害に遭った10代の女性らを支える一般社団法人「Colabo」の視察に行った。事前に「5人まで」とされていたのに伝わっておらず、凶悪なオス共から被害に遭ったか弱き女性らの中に、にらにらした男性議員が勝手に10名も来たという。
それだけでも恐怖のズンドコだというのに、その中にいた「2号」はなんと、10代少女に対し、後ろを通る際に腰を触る、という大胆なセクハラをしたということだった。実に許し難い行為であると同時に実に恐ろしい。まさに背筋が凍る思いだ。
言うまでもないが「2号」が背後にいる、あるいは、腰に手を当てているという事実は「裏投げ」を喰らう可能性が高い。1998年4月4日の「アントニオ猪木引退試合」にて、当時まだ34歳の2号は既に55歳の猪木に対し、何発も何発も美しい放物線を描きながら裏投げを喰らわせた。見ているこちらがガチで心配になるほどだった。
老人虐待の疑いがある。というか半分くらい、マジで頭から落ちていたが、ちょっと笑ってしまった。それにつけても猪木の受け身の巧さよ。
ところで、この一般社団法人の代表は、みんな大好き仁藤夢乃さんだ。あの有名な報道番組「サンデーモーニング」に出演されていたり、ユーチューブで「シリーズキモイおじさん」などを絶賛配信中だが、念のために書いておくと、対抗して「シリーズキモイおばさん」でも作れば容赦なくハチの巣にされるので間違ってもやらないようにしてほしい。テレビで男性の生殖器はバカにしてもよいが、その逆はないのと同じ規則だ。洗濯物で汚れるのは男性のシャツ。布団も靴も口も臭いのは男性のみだ。持続可能的な意味でもそこは忘れないようにしたい。
当然ながら、この件で抗議文をもらった2号は謝罪。当時の安倍総理からも電話で叱られたとのことだ。2号は自身の公式HPで「私のセクハラ行為があったとの指摘もありますが、バスからの資材下ろしや、その資材を使ってのテント設営など、狭い空間で行き来しており、ご指摘のように、移動の際に後ろを通って、『ちょっとどいて』と言いながら腰に手を当てたかどうかは、全く意識に残っておりません 」などと述べてから「しかしながら、それが事実ならば大変申し訳ない事であり、心より深くお詫び申し上げます 」と政治家みたいに謝っているが、つまり「気にしてもいなかった」。
これがもし、いくぞ、おらー!と会場に響き渡る猛声で10代少女の腰を掴み、その後ろでリック・ルードのように腰をぐるんぐるん回してから足を掴んで引き倒し、仰向けに返してから両足をホールド、そのまま遠心力で、そう、ジャイアントスイングだ。会場は一体となり、回数がカウントされたなら、それはもう逮捕されていると思しき凶悪事件と言って大過ない。ちなみに回転数の最高記録は60回だ。ここも押さえておきたいところだ。
このとき、日刊ゲンダイは「コラボ側の告発によると、カフェ設営時に馳氏が「ちょっとどいて」と言いながら10代女性メンバーの腰をタッチ 」と書いている。「タッチ」である。なんとも昭和でエロチズムな表現ではないか。秀逸に過ぎる。言葉の響きも「エッチ」とか「グッチ」とか「マッチ」みたいでいい。しかも、タッチしたのが「ベトコン・エクスプレス1号 」、すなわち新倉史祐なら、何ら問題はなかったのである。
その可哀そうな被害女性の声だ。抗議文にはこうある。
「「安い女」として下に見られているように感じ、このような人が国会議員であることにも怒りを感じています 」
仕事で腹が立つことがあって😡 😡 、少々飲み過ぎた酒が抜けたので真面目に書くと、この「Colabo」という一般社団法人の代表、仁藤夢乃さんは例えば、
「日本は戦時中、兵士の士気を高め、欲求を満たし、軍隊をまとめるための国策として慰安所を作り、アジアや沖縄の女性たちを日本軍従軍慰安婦として連行し、逃げられないように囲って性奴隷にした」
「たくさんの女性たちが小さな部屋に囲われ、毎日何十人もの兵士から性暴力を振るわれたこと。性病が蔓延しないために女性たちは検査され、性病にかかっていたり、慰安所から逃げようとすると殺されたり、「野犬に食べさせるぞ」と脅されたりした 」
などと高校生に教えているとのことだ。そういえば最近、慰安婦問題と女子高生の売春問題を関連付けた展示会「私たちは『買われた』展 」を主宰して話題にもなった。八百屋のおっさんが「ニンジンは『買われた』展」を開催するみたいな感じか。買ったのがいるなら「売った」のもいる。無理矢理売られたのなら悪いのは「八百屋のおっさん」だが、女子高生は人間だ。ニンジンと違って意思表示もできるだろう。2号に対して「このような人が国会議員であることにも怒りを感じています」と言うだけの感性もある。
困ったなら犯罪行為である売春に手を出す前に相談するところもある。それこそ、この一般社団法人にでも駆け込めばいい。無下にはされまい。悪い八百屋がいるなら警察に駆け込めばよろしい。法治国家、日本は伊達じゃない。
ま、いずれにせよ、いままではこういう類、つまりジェンダーフリーとかフェミニストの人らの「言い分」を、触らぬナントカに祟りなし、距離を取って触れぬよう、触らぬよう、刺激せぬよう、絡まれぬように振る舞ってきた人も多くいるが、もう、いいんじゃないか、と思う。
ジェンダーフリーとは元々、アメリカの性科学者だったジョン・マネーによる「性自認の出産自白紙説」に基づいていると言われている。つまり、生まれたときはジェンダーフリー、ジェンダーアイデンティティの決定は「生得上のものではなく環境による」という学説だった。
マネーは生後8か月で包皮切除手術に失敗して男性器を失った赤子の両親に「女の子として育てたら女の子になる」と説得、その子が1歳8か月のときに性転換手術をしている。その記録をして「成功例」として発表、1972年のことだが、もちろん、結果は悲惨なものだった。マネーは隠し通していたが、雑誌の「ローリング・ストーン」が取材して暴露。その中身は「ブレンダと呼ばれた少年」として日本でも翻訳されて本になった(絶版)。
ブレンダ、と女の子の名をつけられた少年は、ずっと違和感を覚えていた。自分は本当は「おとこ」なんじゃないか。その後、双子の弟も「ブレンダは女の子らしくなどなかった」と述べているが、14歳の時に両親が告白、ブレンダは男性器の再生手術を受けて結婚もしている。女性とだ。
このブレンダ、ではなくデイビット・レイマー氏は2004年に自殺している。母親は「あの惨たらしい実験がなかったら・・・」と悔やんだとのことだが、つまるところ、この「生まれたときはジェンダーフリー」の説は破綻している可能性がある。というか、恐竜の化石でもオス、メスの区別がつく場合もある。アメリカのモンタナで見つかったティラノサウルスは骨髄骨の化石から「メス」と断定された。プロケラトプスでも「どっちがどっち」の区別は不明だが、ちゃんと周飾頭類としての突起部分に差異が見られる。当たり前すぎて困るが、要するに人間も「男か女」どっちかで生まれてくる。
キャンセルカルチャーとは「当たり前」を壊す。その目的は「新しく当たり前をつくる」という驕り高ぶった優越主義だ。伝統や歴史を破壊し、新たな文化、慣習を広めようとする。都合の良い固定観念を植え付けるためには虚偽も圧力も厭わない。そもそもいま、目の前にある「当たり前」は我々が作ったものではない。連綿と続く先人らが懸命に、あるときには命を捨ててでも護ってきた「国柄」である。心を折らず、決して投げ出さず、黙々と護ることが肝要だが、もう、そろそろ、反転攻勢の時期かもしれない。
ということで、酒が抜けたのでまた飲んでくる。今日と明日は仕事しないと決めた。女の敵は女、ジェンダーの敵はジェンダー。私の敵は私だ。