ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「小説」

2017年08月25日 | 旅の豆知識
 旅をしていて、思いがけず小説の舞台に立っていたなんて経験はありませんか。何気なく見た文学碑にかつて読んだ小説の場面を思い出し、懐かしい思いが込み上げてきたなんてことが‥‥‥。そうでなくても、旅行計画に小説の舞台巡りを取り入れてみても面白いものだと思いますよ。夏目漱石、森鴎外、田山花袋などなど、旅のアクセントになるのでは?
 小説の中にはその舞台の情景をとてもよく描写していて、旅情を誘われるものがあります。フィクションであってもその背景となっている自然の景観や風土といったようなものはよく現状が描かれているものです。だからこそ作品の内容が心を打つのではないでしょうか。しかし、時代が立つに連れて状況も変化し、訪れてみると「雪国」の湯沢町(新潟県)のようにすっかり変わってしまってがっかりする場合も‥‥‥。
 
〇「小説」とは?
 広辞苑によると、「作者の想像力によって構想し、または事実を脚色した主として散文体の物語。古代における伝説・叙事詩、中世における物語などの系譜をうけつぎ、近代に至って発達、詩にかわって文学の王座を占めた。小説という語は、坪内逍遥が「小説神髄」中にノヴェルの訳語として用いたのに始まる。長さによって、長編・中編・短編、その内容によって、歴史小説・現代使用説・その他伝奇使用説・実録小説・心理小説・心境小説・私小説・大衆小説などに分ける。」となっています。
 今でも、有名な小説の場合は、ゆかりの地に文学碑が建てられていたり、ゆかりの建物などが残されていて、旅先でそれらを見ることも出来、小説の場面を彷彿とさせたりします。

☆「小説を彷彿とさせる場所」のお勧め

(1)塩原温泉郷の畑下温泉(栃木県那須塩原市)
 明治の文豪、尾崎紅葉著『金色夜叉』に「一村十二戸、温泉は五箇所に涌きて、五軒の宿あり。ここに清琴楼と呼べるは、南に方りて箒川の緩く廻れる磧に臨み、俯しては、水石の凛々たるを弄び、仰げば西に、富士、喜十六の翠巒と対して、清風座に満ち、袖の沢を落来る流は、二十丈の絶壁に懸りて、ねりぎぬを垂れたる如き吉井滝あり。東北は山又山を重ねて、狼かん玉簾深く夏日の畏るべきを遮りたれば、四面遊目に足りて丘壑の富を壇にし、林泉の奢を窮め、又あるまじき清福自在の別境なり。……」と書かれていて、この名文の中に、箒川沿いの自然豊かな宿の風景が目に浮かぶように感じます。実際に、尾崎紅葉は、1899年(明治32)6月上旬から1ヶ月余り逗留したとのことです。当時は、「佐野屋」という旅館名で、時の人気小説家尾崎紅葉が長期滞在していたにもかかわらず、旅館の方は気が付かなかったとのこと。ところが、読売新聞紙上に「金色夜叉」の続続編として上記のように掲載されたのを読んだ宿の主人が、これは自分の旅館のことにちがいないと、後で問い合わせてわかったという逸話が残されています。そして、旅館名も小説に出てくる「清琴楼」に変えたとか...。現在、本館は明治時代に建てられたままで残されており、尾崎紅葉の泊まった部屋が「紅葉の間」として保存され、見学でき、調度品や資料なども当時のままの物が展示されています。

(2)中山道の馬籠宿(岐阜県中津川市)
 江戸時代の中山道43番目の宿場で、島崎藤村著『夜明け前』の主人公半蔵の本陣があったところです。主人公半蔵は、作者の父正樹をモデルとして、明治維新期の動乱時代に中山道の木曽馬籠宿の本陣、問屋、庄屋を兼ねる旧家の主人青山半蔵の生涯を描く大作です。十曲峠から妻いて篭宿に至る街道は江戸時代の面影をよくとどめていて、小説の場面を思い出させてくれます。尚、馬篭宿本陣跡に建つ「藤村記念館」に関連する資料が展示されていて見学できます。

(3)城崎温泉(兵庫県豊岡市)
 1913年(大正2)電車事故で重傷を負った志賀直哉が養生に訪れ、名作『城崎にて』を執筆したことで知られているのは、城崎温泉で江戸時代から続く老舗旅館「三木屋」です。後の代表作『暗夜行路』の中にも出てきて、主人公時任謙作が泊まって、すぐ前の“御所の湯”に入ったとあります。この湯は、堀河天皇の皇女安嘉門院が入浴したことにちなんで名付けられた美人の湯とのことで、立派な造りで、大理石で囲われた 湯船で旅の疲れを癒しながら、志賀直哉を偲んでみることもできます。また、この温泉地には古来より、多くの文人墨客が訪れていますが、そんな風情を感じられる所なのでした。また、志賀直哉の文学碑が城崎文芸館前にあり、小説「城崎にて」の一説が刻まれていますし、「城崎文芸館」内には、志賀直哉に関する展示があります。

(4)尾道(広島県尾道市)
 1916年(大正5)5月に、林芙美子は尾道に両親とともに降り立ちました。そして、しばらく落ち着くことになり、翌年、市立尾道小学校(現在の尾道市立土堂小学校)を2年遅れで卒業できたのです。1918年(大正9)、文学の才能を見出した教員の勧めで、尾道市立高等女学校(現在の広島県立尾道東高等学校)へ進みました。夜間や休日は働きながら、図書室の本を読み耽けったとのことです。教諭も文才を延ばすように努め、友人にも恵まれ、18歳頃から、地方新聞に詩や短歌を投稿しました。1922年(大正13)、女学校卒業直後、上京するまで尾道にとどまり、故郷としての印象を深く刻ませ、後年もしばしば「帰郷」することになります。小説『新版 放浪記』の中にも、主人公が居住した地として登場し、尾道の町並みや千光寺のことが詳しく書かれています。現在市内には、文学記念室(国登録文化財)、志賀直哉旧居、文学公園、中村憲吉旧居の4施設を「おのみち文学の館」として有料で公開した施設があり、内部に、林芙美子、中村憲吉、行友李風、高垣眸、横山美智子、山下陸奥、麻生路郎の書籍・原稿や遺品等を展示公開するなど、尾道ゆかりの文学者たちの顕彰をしています。千光寺公園の文学のこみちには、『放浪記』の一説を刻んだ石碑が立っていますし、本通り商店街入口には、和服姿でかがんだ林芙美子像もあります。また、像の近くの商店街に「おのみち林芙美子記念館」があり、その奥には芙美子が14歳の頃暮らした旧居が残されていて見学できます。

(5)道後温泉(愛媛県松山市)
 松山市は、夏目漱石著『坊ちゃん』の舞台となったところとして知られています。この小説は、夏目漱石が旧制松山中学校に勤務した経験をもとに、行動的で正義心がつよい江戸っ子の青年教師の姿を描いたのでした。道後温泉など松山の名所も登場し、漱石の小説の中でも、最も多くの人に愛読されている作品です。特に、小説にも登場する「道後温泉本館」は、明治時代後期の1894年(明治27)に建てられた、木造三層楼の温泉共同浴場で、その後何度か増改築されましたが現在に残されています。1階に「神の湯」、2階に「霊の湯」があり、皇室専用の浴室「又新殿」もあり、振鷺閣からは、朝6時の開館時および正午、午後6時に太鼓が鳴らされて、風物詩となっています。夏目漱石自身も入浴し、3階には夏目漱石の愛用した坊ちゃんの間が残されています。戦前に建築された歴史ある近代和風建築で、貴重な建物なので、1994年(平成6)に国の重要文化財に指定され、2009年(平成21)には、経済産業省によって「近代化産業遺産」にも認定されました。

(6)足摺岬(高知県土佐清水市)
 高知県の南端、太平洋に突き出したこの岬は、田宮虎彦著『足摺岬』で有名になり、自殺志願者が多く訪れるようになったと聞きました。しかし、この小説の主人公は、この絶壁を前にして、思いとどまり、光明を求めて町へと戻っていったのです。そんな生死の境を漂わせるような、隔絶の地といったムードがあります。足摺岬灯台下の園地には、田宮虎彦の石碑があって、小説『足摺岬』の一説「砕け散る荒波の飛沫が 崖肌の巨巌いちめんに 雨のように降りそそいでいた」が刻まれていて、感慨深く眺めることができました。また、近くには四国八十八ヶ所札所の一つ金剛福寺もあり、お遍路さんが訪れる所でもあります。