魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

自由平等友愛

2015-01-13 09:32:24 | Weblog

デモの参加者が多様性の容認がフランス文化の特徴だといった。370万人というデモには無知や欺瞞もあるが、根底には自由平等友愛の精神が流れていると見るべきだろう。
多様性の容認において重要なのは表現の自由であろう。漫画や言語で自分の考えを主張することである。単なる自己表現ではなく他者とのバトルである。容認とはその存在を認めるということであって、それを批判しないということではない。非暴力的な表現手段で戦うことも容認される。容認できないのは非人間的な暴力だけだということだろう。多様性の容認における自由平等友愛とは表現の自由と、主張し表現する権利の平等、主張・表現というバトルによって生まれる友愛ということだろう。他人のことに無関心ではなく積極的に関わることが友愛なのであろう。

世界生命の法則は多様な際の間の葛藤にある。知と無知、美と醜、強と弱、幸と不幸など多様な差異が多様な悲喜劇を生む。それが人類の成長をもたらすのである。それが世界というものであろう。

さて世界の法則はそれとして、僕自身は世界に対してどのように対処するべきか、それが問題である。僕の世界生命意識は時代精神とあまりにも離れている。思想的な主張に興味を持つ人は近辺には皆無である。もちろん既成の倫理的思想に関心を持つ人はいるだろう。しかし新しい思想を求める人は見当たらない。また世界生命論は多様性の全肯定である。すべては自由で平等であり、愛であるということであった、何ら特別の価値観を主張するものではないからほとんどの人の関心を引かない。そこでインターネットで世界生命論という表現を流している訳である。ネット世界に主張の押しつけはない。読むも読まないも自由である。僕としては偶然にでも読んでくれる人があれば幸いと思っている。 


テロリスト

2015-01-10 14:50:07 | Weblog

テロリストとは絶望した者ということだろう。不遇を恨み世界に絶望した者は自分や他人を殺そうとする。殺すにもそれを美化できる大義名分があったほうがいいい。それを社会悪のせいにするのが一般的だが、唯一絶対なる神のための聖戦にはインパクトがある。ちなみに唯一絶対神教とは縁の薄い日本のテロリストは理由なき無差別殺人者で終わる。

イスラム国はアメリカに追従するイスラム世界に絶望した者たちが立ち上げたのだろう。そこに欧米のテロリストたちは自己犠牲の死という価値を見いだしたのだろう。信仰のために殺すのではなく殺すために信じるのだ。その点でムハンマドへに対する信仰心の厚いイスラム教徒になってムハンマドを揶揄する欧州人は格好の標的といえるだろう。

フランスでテロ反対の史上最大規模のデモが行われたという。言論の自由への攻撃がフランス人をおこらせたのだろう。イスラム教徒も参加したというが、肌の色が違っても同じ人間だと叫んでいた姿が何か痛ましい。隣にいたいた白人女性の視線は冷たかった。フランス人のどれだけがイスラム教を理解しているだろう。テロリストの生まれる理由も、、、西欧の右傾化はさけられないようだ。

ある意味で、イスラム教徒を多数抱える欧米は、植民地支配、奴隷制度のつけを払わされ時がきたともいえる。しかしそれをまともに反省するよりも、ユダヤ人に対してそうであったように、理性は沈黙し反動的に蔑視、差別に走るだろう。EU経済の破綻がそれを加速するだろう。

と、新年早々つい悲観的な予想をしてしまった。予想の外れることを祈ろう。