去年だったか、「一生懸命に生きている」という言葉に出会った。僕は愚かでずるい人間を憎むところがあったが、そこではっと目が覚めた。どんな人間も一生懸命に生きているのだということだ。邪悪の人も、狂う人も、平凡な人々も、みんな一生懸命生きているのである。エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」を著したが、現代人はますます自由からの逃走を深めている。しかし彼らは一生懸命逃げているのである。暗い未来や現在の屈辱、生活苦など、なかんずく孤独から自由になろうとして逃げているのである。
平成2年(1990年)、僕は尾関のつてで「半身」という東京の同人誌に参加した。「季節のない風景」という小説を書いた。そんな小説を書いたことがあったのかと、今日「半身」集を取り出して思い出したのであった。実は、後に気がついたことだが、同居していた母は「半身」に参加した頃からアルツハイマーの傾向が出ていたのであった。「半身」は平成17(2005年)年を最後にやめている。平成3年(1991年)に母が没してから、知的障害の姉の施設に入れ面倒を見ていたが、平成14年(2002年)施設から引き取ったので、文学的思考に時間を割けなくなったからである。知的障害とつきあう葛藤のため書くという精神的余裕がなくなったのである。
文学時代は昭和56(1981)年から 平成17年(2005年)という長きにわたっているわけだが、その間、実生活的にも実に多くの経験をし、多くの人間と出会い、裏社会を垣間見たりして多くのことを考えさせられた。
初期は心理学的な精神論の色調が強かった。その頃愛読したフロイト心理学を社会に適用し、社会・歴史分析をしたエーリッヒ・フロムの著作も精神論的に解釈していたように思う。それを人間批判、社会批判に適用していたのである。攻撃的な精神心理主義者だったといえる。それが徐々に欲望的心理学から生命論的世界観が強くなっていったのである。
文学時代の経験はある意味で混沌としていてどのように表現するか難しい問題であった。それが僕の文学におけるテーマだったといえるだろう。しかし、魂の暗闇にも入らなければならない小説の創作は姉の介護という状況で挫折した。そこで魂の思想、心の思想に焦点を当て思索することにした。瞑想的思索は精神に安定をもたらすものである。特に『無』に興味を持ち道元の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう、正法眼藏)を読んだりした。そして『無』イコール『混沌』に至った。思えば僕の人生全体が混沌であった。結果、生命論的世界観、『世界生命』に至ったともいえるだろう。
以上、僕の精神発達史のあらましを振り返り、それを記述してみて、何か憑き物が落ちたようなすがすがしい気持ちである。今は改めて過去の読書や自分の作品を振り返ってみたいと思っている。とはいえ、 現在ホームページ上で『半身』に掲載した小説『Hの思想」を校正、掲載中だから、そちらを早く進めるべきだろう。