正義のミカタ」は保守的で経済優先。コロナなど単なるインフルエンザだという見方
をする‥欧米に比べて患者も死者も少ないのに大騒ぎをするなという。現在収束に向かう気配であるとしている。緊急事態宣言など不要だという立場である。この派の代表はホンコン。非合理的、感情的、快楽主義的。衝動的、全体主義的、強権崇拝の傾向がある。
羽鳥のモーニングショー」はリベラルで疫病対策優先。救える命を救えないような社会ではいけないという。行動制限をしなければもっと多くの人が死ぬことになる。この派の代表は玉川だ。合理的、論理的で精神的。慎重、神経質、反権力的で個人主義。
経済と人の命と、そのバランスを取るのが政治だが、当然権力は経済を取る。しかし、人名軽視の印象を与えると選挙に不利である。日本人は感傷的で老人大国でもあるからスエーデンのように治る確率の低い高齢者や礎疾患者の重症患者は救わないなどということはできない。
しかし、変異コロナで患者数が爆発したら、結局命の選択はしなければならなくなるだろう。
コロナ禍で浮上した古くて新しい問題は、全体の利益と個人の命のせめぎ合いであろう。
全体と部分
さて、全体(社会)は個人の集まりであるか、個は全体の一部であるかという問いがある。全体のために個が犠牲になることはあっても、個のために全体が犠牲になることはない。いやある、戦争は権力者の過ちによって全体が犠牲になる例である。
を持つものである。
個を全部集めても全体にはならない。自動車は部品の集合体であるが、それで自動車の全てではない。自動車の能力は部品の能力の総合ではなく、別のものである。人を載せて走る能力はどこから来るのか。人の意思・思惟によるものである。こうして、世界は一なる何者かの意思・思惟によって動くのであるという結論が出る。部分は「一なるもの」の思惟する世界の部分である。世界舞台の背景や俳優である。
「一なるもの」は旧約聖書の神が「我ら」と自らを呼んだように、あるいは「多数の一なるもの」かもしれない。しかし、神は自然が生んだのであるか、神が自然を造ったのであるかで意見は分かれている。しかし、作られたものにしては自然は不可思議である。
「一なるもの」を精神的な存在とみなしたのが中世である。
現代は欲望の時代であるから、人間の命も有用性によって判断されるかといえば、そうはならない。どんな人間も自己を愛することは同じである。プライドも同じである。そして心の広いものは自分のように人を愛する。
矛盾相剋は済の本質、全体と部分は常に、永遠に、戦いの中、競合関係にあるだろう。
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