魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

一人で死ね

2019-06-04 11:18:23 | Weblog

「一人で死ね」論争はくだらない。そんなことをいえるのは人間に対する無知からだからだ。この発言に対する「非難は控えて」という藤田なにがしの意見に対して、「きれい事に聞こえる」「自分の家族が被害者でも同じ事をいえるか」などと非難の嵐が起こった。「一人で死ねはまっとうな意見だ」と被害者感情に個人的感情を重ねて、いかにもまっとうな意見に聞こえる。正義感の高ぶりである。しかし、その裏にある心は、自分のことは自分だけで解決してくれ、他人に迷惑をかけるな、といっているのである。川崎事件のあおりを受けて引きこもりの子供を殺したエリート官僚もこの手の意見の持ち主だったのだろう。だから自分一人で解決したのである。
 時代の逼塞感もあるが、閉じこもりはコミュニケーション能力の喪失ともいえる。それは先天的な発達障害だけでなく、幼児期の体験、虐待のみならず家庭不和によっても引き起こされるものだ。知的能力の発達も幼児体験によって阻害される。
 児童教育の現状は心理学的な知識によって発達障害の早期発見に努めているが、川崎事件の犯人やエリート官僚の息子の児童期は心理学とは無縁な時代だった。その結果、「うすのろ」だの「ダサい」などといじめの対象となった。その心の傷を負ったまま社会に出てもまともに生きられはずもない。その鬱積が爆発するまでの何十年間彼らは自分の殺意と戦ってきたに違いないと思う。そして敗れ去ったのだ。
 こうした犯罪者心理は、近年増えてきた無差別殺人や虐待死事件が起こるたびにマスコミの俎上に載っていたにもかかわらず、4割強の人々には伝わっていなかったようだ。こうした人たちは表面的にしか物事を見ることができないのだ。橋本なにがしという元政治家の弁護士も「一人で死ね」論を擁護したようだが、これほど馬鹿だったとは!である。しかし、日本人の半数近くならポピュリズムしてもいいと思ったのかもしれない。
 とはいえ、振り返ってみれば、「一人で死ね」発言に批判的な意見も半数近くいるわけだ。これは日本人の進歩と捉えてもいいだろう。