魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

催眠術入門

2014-08-23 11:09:49 | Weblog

 いまや世界は思春期の混沌を生きている。思春期とは幼少期に安住していた家族的世界観が動揺する時期である。どんな催眠状態も解けるときが来る。それをもたらすのは心身の変化、動揺だだ。それは成長のときだ。

 催眠術の勉強のはじめは催眠誘導テストである。まず両腕が震えるテスト、次にパチンコ玉が大きく揺れるテスト、そして風船が膨らむ、しぼむテストであった。パチンコ玉テストとは、パチンコ玉のおもりで造った、30センチほどの振り子を被験者に親指と人差し指でつまませ、目の前10センチほどのところにぶら下げtまま20秒くらい凝視させ、それから「パチンコ玉が、まるで時計の振り子のように、左右に動き出したと思ってください」と指示する。被暗示性の高い人はすぐにパチンコ玉が動き出すという。続いて「ぐるぐる回る」や「大きく揺れる」と指示するとその通りに動く。
 催眠誘導テストは「心に思ったことが体に伝わると」いう人間の生理現象を利用している。「パチンコ玉が動き出す」と思うと手は無意識に振り子を動かすのである。
 僕の場合、家で予行演習したとき、動き出すのに数秒かかった。動き出したときは微妙だが意識的に動かしたような気がする。何度か繰り返すうちに自然に動くようになった。おかげで催眠教室ではすぐ動き出した。
 この現象を自分なりに理解してみた。すぐ動き出さなかったのは集中力が足りなかったのだろうか。いや、すぐ動き出すようになったのは動き出すという言葉と動くイメージが連動したからではないだろうか。動くと思うだけでパチンコ玉が動くのは不自然だという理性が働いていたのだが、繰り返しイメージしているうちに理性は眠り、習慣が勝ったのであろう。催眠になかなかかからない人も、何度も繰り返せばかかるようになるのは、この理屈だろう。 
 このテストでもう一つ重要な要素がある。30センチの振り子を目の前10センチに掲げていたら、肉体的条件によって違うが、20秒もすれば自然に手が震えるなどして重りが揺れ出すのは自然なことなのである。それを動くと思ったことによって動き出したというのは錯覚である。
 被暗示性と一概に言うが、様々な心の状態、性格が絡んでくるようだ。理性の弱い人、動くと思うだけでパチンコ玉が動くわけはないと思わない人もいるだろう。有名な先生が言うのだから動くのだろうと思っている人は、無意識に先生のいうとおりに動かしてしまうようだ。名利権勢に弱いのも被暗示性の高さの特徴のようだ。こういう人は詐欺師の催眠術にかかりやすい。 
 催眠にかかりやすい人は有名人の前に立つと緊張して理性が吹っ飛ぶ。一方催眠にかかりにくい、深い催眠状態に入りにくいのが弛緩タイプであるという。一体どんな性格の人だろうか。バカとひねくれ者は催眠にかからないといわれるが、それは言葉による暗示を受け入れられないからだろう。 
 一般的催眠といわれるのは言葉によるものだから言語能力に優れた人ほどかかりやすいという理屈になる。幼児はかからないが7,8歳から20歳くらいがかかりやすく、大人になると疑い深くなってかかりにくくなる。小学生のように素直な人多い現代っ子はかかりやすそうだ。ラーメン屋に並んだり、AKB48に群がったりする大人が多いのはそのためだろう。素直さのいい面は被災地のボランティアに向かう人が少なくないというところだ。

 それにしても催眠にかけられて力が抜ける弛緩タイプとはどういう人間だろう。 

 


終戦記念日に当たって

2014-08-18 11:15:10 | Weblog

 地方議員のトラブルが相次いだ。特徴は幼稚さであり、逆ギレである。精神の幼稚なものは逆ギレしやすい。
 終戦記念日のたびに国会議員の靖国参拝が物議を醸す。つくづく日本人は反省しない民族だなと思う。欧米キリスト教国の人々には懺悔がたいせつな生活習慣だが、祖霊信仰の国日本人は禊ぎで済ませてしまう。それで罪はもちろん恨みも忘れてしまうのである。中国には懺悔も禊ぎもないだろう。悪に寛容なのであるが戦略的な罪の追及は厳しそうだ。韓国にも禊ぎ・懺悔はないだろうが、ハン(恨)がある。イスラム教徒には六信五行といわれる宗教義務があるが、信仰証明であり、それが罪の禊ぎのような感じである。礼拝は1日5回行われ、毎日禊ぎをしているようなものであるが、懺悔することは一切ない。日本人の禊ぎは祭礼などで年に何回かしか行わないのだからたいしたものである。
 ともあれ国際社会は欧米的懺悔精神という価値観によって動いている。日本人がこのまま禊ぎ感覚でいいわけない。しかし長い催眠期間を経た島国DNAは容易に変化するものではない。DNA変化のためにはさらなる破滅的体験が必要なのかもしれない。
 戦争をしない平和を守るためには大きな努力や代償が必要だが、沖縄を犠牲にして凌いで来のが日本だ。その沖縄の犠牲の上に立って築いた経済的繁栄を失いつつある現在、日本は高まる中韓の懺悔要求に逆ギレして、暴力による自己正当化に向かいつつある。日本の幼稚化の現れだろう。

 戦争によって何もかも失った僕にとって、靖国に兄が祀られていることは極めて遺憾なことである。 大日本帝国の催眠にかかったままの多くの遺族は、戦後の繁栄を彼らの犠牲のおかげと靖国をあがめ、感謝するが、僕はその気になれない。とはいえ全ては歴史の必然であろう。いま、アメリカの反共政策のために生き残った大日本帝国の亡霊たちが立ち上がったのもまた、、、


催眠世界

2014-08-09 10:26:51 | Weblog

 人間の考え方、社会のあり方は習慣によって成り立っている。それは長い歴史の産物である。韓国は大国の権威によって自己正当化を図ってきた歴史と、そうせざるを得なかった歴史への恨みが過激な内面を作ってきたようである。日本は島国であるが故に守られてきた万系一統の神統記によって歴史を積み上げて従順穏和な民を育ててきた。その代わり個人個人の自立的自信は希薄である。赤信号みんなで渡れば怖くない的人間が多い。先進国の中で自分に自信を持てない若者が最も多いのもその表れである。集団となると神国日本という誇大妄想に憑かれて突っ走る危険性がある。無縁社会といわれ人間関係は希薄になったが自立心がないだけ全体に流される。熱しやすく冷めやすいというお祭り根性もそれに拍車をかける。日本人がお祭り好きなのは祭礼という祖霊信仰という伝統のたまものである。鬱屈した日常からの解放を求めて軍国主義に走る可能性は大きい。

 歴史とは催眠術のようなものである。僕は従順穏和な人間ではない。社会的習慣の外側に放り出されて育ったから歴史の催眠にかからなかったからである。しかし孤立化を避けるために従順温和なふりをしてきたようである。催眠現象を学ぶことによってそれを自覚した。
 「入門催眠術」の冒頭に動物催眠術が紹介してある。ゴキブリ、鶏、蛸、ウサギへの催眠術のかけ方である。ゴキブリに対する催眠のかけ方はこうである。「裏返しにして、腹を割り箸のような平たい押さえやすいもので30秒から10分動かなくなるまで抑える。静かになったら割り箸をそっと離すとゴキブリはそのまま死んだように静かにしている。」これが催眠術だという。「同じゴキブリに、一週間くらい、毎日この催眠術をかけると、さっとひっくり返すだけで催眠状態になる。」という。おそらくひっくり返った状態はゴキブリの頭を麻痺させるのだろう。要するに催眠とは頭を麻痺させることであり、条件付け(暗示)の繰り返しでかんたんに催眠状態に入るようになるということ、習慣の積み重ねといえるだろう。動物相手の場合は気合いなど音声による条件付け有効な手段になるようだ。
 人間の場合にはさまざまな催眠現象がある。ある意味で人間世界は催眠現象であるといっていいだろう。「入門催眠術」にはさまざまな例が書かれている。芸能スポーツはもちろん政治も催眠現象で成り立っているのである。英雄やスーパースターは大暗示者であるという。しかし最高の暗示者はマス・メディアであるという。スーパースターたちはマス・メディアによって造られているのである。コマーシャルなど典型的な催眠術である。
 人間は生まれてからさまざまな催眠術をかけられて成長する。家庭では母親からの催眠は最も大きいだろう。学校教育も催眠である。催眠にかけられやすい子供ほど成績がいい。社会人となれば仕事場が催眠の場となる。長くつとめればつとめるほど、催眠状態は強まり、退職後もその催眠状態から離れられず、ワークホリックになってしまう。だから個人的趣味を持つ必要があるのである。

 このように人間が生きるとは催眠であると言っても過言ではないだろう。それゆえに催眠を知ることは幸福な人生につながるだろう。



またぞろ田舎の選挙

2014-08-06 10:34:04 | Weblog

 モーニングバードのタマペディアで韓国の反日感情についてのインタビュー放送をしていた。インタビューの相手は日本語を知っている学生や大学教授、作家だから信頼を置けるものではない。日韓友好の政治家に対するインタビューは嘘が専門の政治家だから話にならない。しかし、学生たちが「日本文化は好きだが、韓国人としての民族意識となると複雑だ」と言っ、ているのが印象的だ。反日教育はないと言っているが、あからさまに日本は悪の国だと教えるわけはない。彼らには歴史問題について聞くべきだったのだ。韓国の歴史教育は正しいと思っているかどうかである。作家の言っていた反日システムが未だ厳然として存在するというのが正しいだろう。それに反抗して親日を語るのは不可能に近いだろう。
 それにしてもテレビ朝日が従軍慰安婦問題における朝日新聞の虚偽報道について検証しないのはおかしい。ま、誰しも自分の身はかわいいということか。 

 日本社会にも旧弊のシステムがまだ存在している。統一地方選が近づいてきて、またぞろ田舎の選挙システムが動き出した。市会議員候補の後援会への自民党からの入会勧誘がきた。地域代表として選ぶのだから加入しないことは許されないという雰囲気である。同級生でも元教育長Yが後援会長だという。同級生の男どもからはエゴイストとして嫌われているが、女性に取り入るのがうまいという評判の男である。市会議員などこれ以上いらないと言って断った。それでは困ると勧誘役の自民党員に泣き付かれた。勝手に名前を書いて出してもいいと言って妥協した。郷に入っては郷に従えで、意地を張ることもないのだが、会費や応援運動への予防線を張ったのである。実は、僕は市民派のO議員の応援をしているのである。といっても後援会に入って活動するほどではない。

 わが市は、昔から農村地帯の常として、政治屋は地域代表という認識がある。もともとは水利、土木など地域農業の利益確保のためであっただろう。兼業農家ばかりで純然たるサラリーマンも増えた現代では時代遅れのシステムだろう。しかしこの自民党支配のシステムは、有力者がその党員であるが故に消えることはない。特に僕の住むD町は特にその保守性が高い。専業農家などいないのであるが、戦前は舟運で栄えて豊かだったので政治的権力も強かったようである。 町村合併でT村が出来たときの初代村長は舟運会社の一族であった。彼は後に県会議員から国会議員になり長くその席にあった。そういうことが政治的保守性が高くしただろうと思う。未だに舟運会社の子孫が(現在は地質検査、測量の会社をやっている)、腐っても鯛と陰口をたたかれながらも、強い影響力を持っている。
 地域代表と言えば聞こえがいいが、実体は有力者の走狗となって役人に圧力をかける役なのである。地域問題に対しては市内に地域ごとのコミュニティーセンターがあり、地区選出の役員による話し合いで決めるシステムがあるのだが、住民の意識は低く形骸化していた。しかしサラリーマン家庭が増えるにつれ少しずつ意識が高くなってきたようである。とはいえ我がD地区の意識は未だ低い。自民党議員からは団結力が市内で最も高いと褒められて喜んでいる。おかげでサラリーマンたちは労組推薦や会社推薦と地域推薦、双方の顔を立てなければならない。はっきり拒否できるのは共産党員と創価学会だろう。ノンポリはどちらへもいい顔をするしかない。