魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

春うらら

2019-04-06 10:53:14 | Weblog

4月1日のことだが、庭を歩いていたとき、チチッチイーッという鋭い鳴き声に振り返ってみると、芽吹いたばかりの榎の小枝に鳥がが止まって周囲を見回していた。茶色く尾羽の先の白さが目立った。見たことのない鳥だったので図鑑で調べてみるとシメのようだ。シーと鳴くメ(鳥の意の接尾語)といわれる。現代人にはチーだが、古代人にはシーと聞こえたのだろう。

そのままなかなか動かなかった。ビデオを取りに行っている間に柿の木に移っていた。あまり鳴かないがしばらくするとピーピチョピチョと鳴いた。木の芽をついばむわけでもなく何をしているのか、あたりを見回しているだけだった。5分くらい録画して、用があったので10分くらいして戻ってみるともういなかった。ピーもシーと聞こえるだろう。

次の日の朝は庭を歩いて何かをついばんでいた。くちばしはこの美を砕いて食べるに向いた形だから、冬に樫の木から落ちた木の実を食べていたのかもしれない。3日以後見ることはなくなった。温かくなったからだろうか。シメは冬鳥として渡来するものと夏鳥として渡来するものがあるらしい。くちばしが肉食でなく灰色だったから夏鳥だろう。色が国、顔つきからしてオスだっただろう。

1月にはシメと同じアトリ科のイカルが榎木のみをついばんでいた。去年まではなかったことである。近年我が家の樹木に来る小鳥が多くなった。近隣では薮や林、高木の伐採が進んでいる。葉っぱが飛んでくる、虫が落ちる、などと住民がうるさいからである。庭まで舗装する現代の住宅だから、葉っぱは邪魔者でしかないのだろう。新年号が万葉集からということで、万葉集ブームだそうだが、万葉の心から遙かに遠い現代日本だ、すぐ消え去ることだろう。

4日からぐんと温かくなった。三寒四温も終わりに来たか。
 冴え返り 冴え返りつつ 春なかば 西山泊雲
 そして僕も一句 シメ鳴きて 去りにしあとの 春うらら


改元に寄せて

2019-04-05 13:56:45 | Weblog

「令和」とはなんと堅苦しい!令は令嬢のように美しい、つまり冷たい美しさだ。一流?の知識人がこれを選ぶとは開いた口が塞がらない。それでも号外に人が群がり、歓迎ムード一色だった。日本社会の劣化もここに極まる、といったところだろう。

象徴天皇とは何だろう。重荷に耐えかねて背が曲がっている姿は哀れだった。明治天皇、大正天皇は背筋がまっすぐだった。敗戦後、戦時中からかもしれないが、自由を奪われた生活が忍ばれる。大正天皇は病弱で、知的障害の傾向も見られたらしい。そこから軍部を初めとする官僚たちの専横が始まったのかもしれない。それはともかく、人間の自由より社会を重んじる文化は健在だ。我が町の八幡宮の土地が神社庁の所有ということの違憲性を問う者はいない。皇室の儀式が違憲かどうかなど気にする人は少ない。
 権力階級においては親の仕事を継ぐことを強制されているようだ。親からだけではなく、世間からもである。世間のために勤めるのが「先生」の役目なのである。先生は社会奉仕に専念する聖人君子でなくてはならない。天皇家が自由に振る舞ったら、天皇廃止論が生まれることだろう。僕は、天皇家に生まれるくらいなら乞食の子の方がいいとさえ思う。
 しかし、天皇がはじめて自分の意思を表明したことは評価していいだろう。

天皇の退位表明、秋篠宮の大嘗会発言発言に覗われるように、皇族も自らの意思表明をするようになった。人間宣言を真実のものにしたいという志だろう。
 平成天皇も退位して人間らしい生き方がしたいのだろう。しかし、人間的経験をするには遅すぎるし、皇族である限り人間的経験の機会はほとんど無い。本当の人間的経験とは生死を賭けた自己との戦いにのみあり、隠居生活の自由にあるのではない。
秋篠宮は象徴天皇から宗教色を排除したいのだ

ろうが、宮内庁を初め神社庁につながる、明治以来の権力階級がそれを承認するわけはない、彼らの権威の源泉だから。
 象徴天皇とは何なのだろう。日本人以外には理解できないだろう。人間を人間で無いものに押し込めるこの制度を当たり前のように思っているのが日本人だ。
統合の象徴とは、政府への不満もこれによって薄められるという、ありがたい存在なのである。スポーツ・芸能もしかり、古来権力が民衆を現実から目をそらさせる手段であった。しかし、民衆がそれを必要としているのだから仕方がない。