自己正常化への道 対人恐怖症、視線恐怖症、会食恐怖症、正視恐怖症が治った男のブログ

対人恐怖症・視線恐怖症が治った男のブログ。超腕利き心理セラピスト岩波英知先生(ありがとう!)の自己正常化プログラム体験記

対人恐怖症・視線恐怖症の思い出

2013-10-06 | 対人恐怖症・視線恐怖症・社会不安障害

僕の対人恐怖・視線恐怖の思い出と言っても、つらいことばっかりだった。
イライラ・落ち込み・悔しさ・劣等感・憂鬱・絶望がぐるぐるぐるぐると頭のなかをかけめぐっていた。
その感情しかなかった。
僕の人生の最悪な期間は、まさしく対人恐怖・視線恐怖の時期だったし、今後これを上回る最悪体験はないだろうなー。

そういう意味じゃ、今後僕は何が起きてもいいと思っているし、起きたところで、あれ以上最悪な日々はないのだから、大きな自信を手に入れられたと思う。
だけど、もし克服できなかったと思うと身の毛もよだつ!
世界で最悪の不幸な人間の一人だったに違いない。

今思うと、あっという間だった。
あっという間と言っても、いいことが何も起きていないから、苦しみだけだから、同じ色に染まっているから、そう感じるだけ。
つまり、非生産的なマイナスだけしかなかった。

地獄の日々だったんだけど、治りたい気持ちに反して、ちっとも改善もしないまま、ズルズルと対人恐怖症のキャリアだけを重ねていった。
はやく良くなってくれ!と願うけれど、無意識に住み着いた僕の対人恐怖症は時間で解決できるものじゃなくなっていた。
どんどん対人恐怖である自分がもとからの自分だったかのように、同化していった。
それが神経症の怖い所だ。

そうしたら、もう気力体力時の運や頭の良さで何とかできる問題じゃない!
時間だけがむなしく過ぎていって、未来を考えても、おぞましい未来しか想像できなかった。
だから考えたくなかった。
苦しみながら生きていくことが決定的だったのだから。
耐えて耐えて耐えて、それでも報われないなんてやっぱり地獄だ。

ネット上でも対人恐怖症で苦しんでいる人は非常に多いけれど、みんなそのまま苦しみ過ごしている。
自然に良くなっている人なんていない。

対人恐怖症の時期の僕を考えると、灰色という単色しか思いつかない。
神経症にかかった多くの人が灰色しか見ていないんだと思う。
この世の中に鮮やかな色やさわやかな色があるなんて想像できない。
心地よい風が吹いているなんて感じる余裕もない!

同時に僕が感じたことは、この苦しい時期は、なるべくしてなったんだということ。
あの頃は『なぜ?どうして? 僕だけ? なんで? なぜこんなに苦しまなくちゃいけないんだ! クソ!』しか考えていなかった。
冷静に考えられる方がおかしいけれど、なった原因と流れをまったく認識していなかった。
これじゃあ、頭がイカれていくのもよくわかる。
心の余裕がなく状態で『なぜ?どうして?』とやっても、ますます頭は混乱していくだけ。

僕がなるべくしてなったという思いに至った時から、少し対人恐怖症に変化が出始めたと思う。
岩波先生のプログラムでやったことだけど、僕の人生を幼児期から誰かが歩めば、対人恐怖症になるんだ、という考えに至った時、心にちょっと余裕が出た。
すっごくホっと出来た。
「ああ、僕は僕がおかしいからなっているのじゃないんだな、だれだって同じ道を歩めばそうなるさ」
この結論に至った時、それもただ考えただけじゃなくて、心の底から『思えた』時、つまり僕は対人恐怖症という症状を受け入れることができた時から、好転が始まった。

神経症に悩んでいる時期は、自分では気づかないけど、溺れている状態です。
あっぷあっぷと必死でもがいている。
冷静になれるはずがないんですね。
自分自身が一番、自分でどうにもできないのだから。
自分でどうにもできないから、神経症と言うんだけろうけどね。

話がそれてしまった。
今現在の頭で、僕が過去の苦しい状態を思い出すと、「よくあんだけ悩んだな」ということがまっさきに出てくる。
笑ってしまうくらいはまっていた。
そして、あの灰色の時代には決して戻らない!
僕に灰色が降りかかってきても、あの時の先行きのないどす黒い湿った灰色にはならないと思う。
あの失った時間を有効利用するには、あの苦しみを超える苦しみは一生ないという自信だけだと思う。

あの地獄の先行きのない苦しさに比べたら、あらゆることなど小さく見える!
現在はまっている人も、これを乗り越えた時、そう思ってください!
一番人生で辛い時、立ちはだかる障害が一番大きいのが今です!
自分自身を乗り越えたら、もうあとはスーイスーイと人生を進めますよ
普通に人生を歩めたらいいなんて思わなければ。

 


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