先日、珍しい試みをした演奏を試聴しました。
[演目]ヘンリー・パーセル:メアリー女王のための葬送音楽は、パーセルが終生仕えたイングランド女王メアリー(1662~1694)の死去の際に作曲されました。女王に対する作曲家の敬愛と哀しみが表現された美しい名曲で、第1曲「行進曲」第2曲「女より生まれし者はその日短し」第3曲「カンツォーナ」第4曲「我ら生命の半ばにても死に臨む」第5曲「カンツォーナ」第6曲「主よ、汝はわが心の秘密を知りたもう」第7曲「行進曲」)、グスタフ・マーラー:交響曲第6番イ短調『悲劇的』(2003年国際マーラー協会版)
[指揮]ダニエル・ハーディング[演奏]バイエルン放送交響楽団及び同合唱団[合唱指揮]ヨルン・ヒンエルク・アンドレセン
[収録]2014年3月21日フィルハーモニー(ガスタイク内、ミュンヘン)
[映像監督]ベアトリクス・コンラッド
最初に驚いたのが、パーセルを演奏するのにしては、異様に楽団員が多いのです。おそらく必要な人数の五倍位はいたと思います。
ファンファーレに合わせて合唱隊が葬儀参列者の如く入場し、金管アンサンブルと美しい合唱(オルガン伴奏)が交互に演奏されて行きます。
行進曲のあとは合唱です。
女から生まれた者は 命の日は ごく短く 悩みに満ちている
どこかで聞いたような・・・? そうです、マクベスの魔女の予言ですよね。
シェークスピアもパーセルも聖書から引用しているに違いありません。
マクベスは one of woman borne(女が産んだ者)には倒されないという予言を受け、自らの不敗を確信する。この種の言い回しは新約聖書にも them that are born of women として現れる慣用句で、通常は「あらゆる人間」を意味する。しかし born (borne は古い綴り) には「自然の」という意味もあり、one of woman borne は「女が(自然に)生んだ者」とも解釈できる。
美しいパーセルが終わると間髪を入れずに始まるマーラー6番目の交響曲『悲劇的』。ハーディングは国際マーラー協会版(第2楽章「アンダンテ」第3楽章「スケルツォ」)を採用。パーセルを前奏曲として考えると、より一層第1楽章の悲劇的サウンドが際立ちます。また、この曲はさまざまな打楽器も見どころで、特に第4楽章で打ち落とされる大きなハンマーは必見です。
激しさと美しさのメリハリ、圧倒的な音楽の推進力、オーケストラ圧巻のアンサンブルを映し出すカメラワーク、そしてパーセルは指先で、マーラーは指揮棒で指揮するハーディングの普段は見ることができない表情など、オーケストラコンサートの醍醐味をさまざまな角度から目と耳で体感できる番組。日本ではクラシカ・ジャパンでのみ、このコンサートの全貌を知ることができる唯一の映像。だそうです(クラシカジャパンホームページ参照)。
決して誇張のない賛辞ですね、パーセルは哀悼溢れた名曲で素晴らしい演奏でしたし、マーラーの悲劇的も、数々有るこの曲の名演奏に加えるに足るものでした。私はマーラーの六番はもっぱらアバド・ルーツェルン祝祭管弦楽団盤を愛聴していましたが、アバドに劣っているとは思いません。むしろ、こちらの方が好きかも? 打楽器の使い方が斬新なのと、全体的に迫力が有るように気がしました。近いうちにアバドを聞き直して確認したいと思っています。
メアリー女王について調べてみました。イングランドのこの時期にはメアリーだらけで混乱を極めましたが、矢張り、プロテスタントへの厳しい弾圧で、ブラディメアリーと言われたメアリーで間違いないようです。メアリーの妾腹の妹が、イングランドにゴールデンエージをもたらしたエリザベスです。因みに彼女はプロテスタントでした。プロテスタントで妾腹のエリザベスがメアリーの跡を継げたのは何故でしょう? 私も興味を持っています。参照する文献は多く、オペラ(アンナボレーナ)、映画(ブーリン家の姉妹、エリザベス、エリザベスゴールデンエージ、恋するシェークスピア)も参考にしようと思います。
メアリーとエリザベスの父親はヘンリー八世で、とんでもない暴君でした、愛妾アン・ブーリンと結婚する為にローマ教会と決別しました。更に、アンへの愛情が冷めると、ジェーン・シーモアを王妃にする為にアンを処刑しました。冤罪と言われています。
この辺りの話は別の機会に展開するつもりです。
2016年11月28日 Gorou
[演目]ヘンリー・パーセル:メアリー女王のための葬送音楽は、パーセルが終生仕えたイングランド女王メアリー(1662~1694)の死去の際に作曲されました。女王に対する作曲家の敬愛と哀しみが表現された美しい名曲で、第1曲「行進曲」第2曲「女より生まれし者はその日短し」第3曲「カンツォーナ」第4曲「我ら生命の半ばにても死に臨む」第5曲「カンツォーナ」第6曲「主よ、汝はわが心の秘密を知りたもう」第7曲「行進曲」)、グスタフ・マーラー:交響曲第6番イ短調『悲劇的』(2003年国際マーラー協会版)
[指揮]ダニエル・ハーディング[演奏]バイエルン放送交響楽団及び同合唱団[合唱指揮]ヨルン・ヒンエルク・アンドレセン
[収録]2014年3月21日フィルハーモニー(ガスタイク内、ミュンヘン)
[映像監督]ベアトリクス・コンラッド
最初に驚いたのが、パーセルを演奏するのにしては、異様に楽団員が多いのです。おそらく必要な人数の五倍位はいたと思います。
ファンファーレに合わせて合唱隊が葬儀参列者の如く入場し、金管アンサンブルと美しい合唱(オルガン伴奏)が交互に演奏されて行きます。
行進曲のあとは合唱です。
女から生まれた者は 命の日は ごく短く 悩みに満ちている
どこかで聞いたような・・・? そうです、マクベスの魔女の予言ですよね。
シェークスピアもパーセルも聖書から引用しているに違いありません。
マクベスは one of woman borne(女が産んだ者)には倒されないという予言を受け、自らの不敗を確信する。この種の言い回しは新約聖書にも them that are born of women として現れる慣用句で、通常は「あらゆる人間」を意味する。しかし born (borne は古い綴り) には「自然の」という意味もあり、one of woman borne は「女が(自然に)生んだ者」とも解釈できる。
美しいパーセルが終わると間髪を入れずに始まるマーラー6番目の交響曲『悲劇的』。ハーディングは国際マーラー協会版(第2楽章「アンダンテ」第3楽章「スケルツォ」)を採用。パーセルを前奏曲として考えると、より一層第1楽章の悲劇的サウンドが際立ちます。また、この曲はさまざまな打楽器も見どころで、特に第4楽章で打ち落とされる大きなハンマーは必見です。
激しさと美しさのメリハリ、圧倒的な音楽の推進力、オーケストラ圧巻のアンサンブルを映し出すカメラワーク、そしてパーセルは指先で、マーラーは指揮棒で指揮するハーディングの普段は見ることができない表情など、オーケストラコンサートの醍醐味をさまざまな角度から目と耳で体感できる番組。日本ではクラシカ・ジャパンでのみ、このコンサートの全貌を知ることができる唯一の映像。だそうです(クラシカジャパンホームページ参照)。
決して誇張のない賛辞ですね、パーセルは哀悼溢れた名曲で素晴らしい演奏でしたし、マーラーの悲劇的も、数々有るこの曲の名演奏に加えるに足るものでした。私はマーラーの六番はもっぱらアバド・ルーツェルン祝祭管弦楽団盤を愛聴していましたが、アバドに劣っているとは思いません。むしろ、こちらの方が好きかも? 打楽器の使い方が斬新なのと、全体的に迫力が有るように気がしました。近いうちにアバドを聞き直して確認したいと思っています。
メアリー女王について調べてみました。イングランドのこの時期にはメアリーだらけで混乱を極めましたが、矢張り、プロテスタントへの厳しい弾圧で、ブラディメアリーと言われたメアリーで間違いないようです。メアリーの妾腹の妹が、イングランドにゴールデンエージをもたらしたエリザベスです。因みに彼女はプロテスタントでした。プロテスタントで妾腹のエリザベスがメアリーの跡を継げたのは何故でしょう? 私も興味を持っています。参照する文献は多く、オペラ(アンナボレーナ)、映画(ブーリン家の姉妹、エリザベス、エリザベスゴールデンエージ、恋するシェークスピア)も参考にしようと思います。
メアリーとエリザベスの父親はヘンリー八世で、とんでもない暴君でした、愛妾アン・ブーリンと結婚する為にローマ教会と決別しました。更に、アンへの愛情が冷めると、ジェーン・シーモアを王妃にする為にアンを処刑しました。冤罪と言われています。
この辺りの話は別の機会に展開するつもりです。
2016年11月28日 Gorou