アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅵ

2016-11-29 10:15:53 | 物語
六 ニューフジヤホテル

 熱海に来て初めての週末。
 その日、私は大塚から突然呼び出された。ニューフジヤの照明係りが病で倒れた為、助人に駆り出されたのだ。

 三浦芙美子ショーが始まった。ニューフジヤの舞台も客席も広く豪華だ、グレートホテルの客席が畳敷きだったのに較べ、ここのそれはテーブル席で、フランス料理がコースで出た。
 緞帳が上がると、芸者姿の三浦芙美子が板付きで居る。調光ルームからはまるで豆粒のようにしか見えない。その小さな豆粒をアークライトで抜くのだ。メインのライトが芙美子の顔から抜いて、スッと全身に広げて行く。
 日本人の技術は大変なものだ。欧米では、ライトは臍の辺り、丁度人の中心から抜いて行くが、なぜか日本では顔から抜く。中心から抜く方が随分楽だった、ライトを動かさずに羽を均等に広げて行けば良い。較べて、顔から抜くには、ライトを微妙に下方にずらしながら広げなくてはならない。熟練のライトマンのそれはもはや芸術と言っても良いくらいだ。
 メインのライトが芙美子を照らした、その後は私の番だ。芙美子の共演者は下手から登場する。勿論私は素人に近いから、メインのように出来る訳もなく、微かに羽を開いて対象者を待っていた、まあカンニングのようなモノだ。

 ショーが無事に終わり、私はニューフジヤを出た。右肩が軽いやけどでヒリヒリした。アークライトの高熱が、タオルとシャツを通して私の肩を焼いたのだ。
 パラパラと雨が降ってきた。肩に浸みて痛みが増した。増した後快感に変わった。
 大した雨でもなかったので構わずに歩いた。 
 少し歩いたところで、
「鬼太郎! 鬼太郎じゃないか」
 と、呼び止められたので振り返った。
「お前、今こんな所に居るのか」
 ミス東京の芸能課長・飯田さん、そして同僚だった新谷の二人だった。社員と社交の慰安旅行でニューフジヤに泊まっているという。強引に麻雀に誘われて渋々加わった。
 ミス東京時代、週に何度か徹夜で卓を囲んだ大のお得意さんだから仕方が無い。彼らからのご祝儀の方が正規の給料より遙かに多かった。まあ少し返しておいた方がここは無難。と割り切ってついていったのだ。
 
 部屋ではすでに一組が麻雀をしていた。芸能部長と料理長に桜と潮という源氏名のホステスが二人、それがメンバーだ。
 メンバーから外れた者が数人、芸者を相手に酒宴していた。
「まあ一杯」と、チーフの坂井が杯を差し出し、熱海一と云われる芸者の綾香がすかさず杯を満たした。
「この鬼太郎は去年までうちにいたのさ」
 飯田さんが綾香に私を紹介する。
「まあ、粋なお名前持っているのね」
 グッと酒を飲み干した。多分、苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。
「似ているだろう? ゲゲゲの鬼太郎に」
「そうかしら?」
「麻雀がプロ級でね、鬼太郎みたいに魔法を使う。・・・ところでいまどうしている?」
 この業界から足を洗うと言って辞めたので、本当の事は言いづらかったが、
「グレートホテルで舞監しています」
「なんだ。じゃあうちを辞めること無かったじゃないか」
 気まずい空気が流れた。
「グレートホテルだったら良く呼ばれるわ」
 綾香が絶妙のタイミングで助け船を出して呉れた。
「何度かお見かけした事が有ります」
「綾香と申します。よろしくお願いします」
「さあ、復讐戦、早速やろうぜ」
 飯田さんが急かすので、新谷と坂井を加えて卓を囲んだ。
 いつの間にか、小桜が私の後ろに座っていた。桜の妹だから小桜、親子ほど歳が離れている、小桜でなく子桜、本当は親子だったのかも知れない。
 麻雀をする時、私は後ろに誰かが座るのを嫌った。いかさまは殆どしない主義だが、万が一の為に、必ず壁際に座る習慣が身にしみていたのだ。
 この夜の麻雀は、最初から負けるつもりだから、誰に見られても構わないのだが、小桜だけは困る。
 
 小桜、去年の夏にミス東京を辞めていたので本名で呼ぼう。笑美子とは少し因縁があった。部屋に入った時、まったく気がつかなかったのは迂闊だ。来るのでは無かった、誰が来ているのか確かめれば良かった。店をやめた笑美子が来ているなんて夢にも思わなかった。
 勝負事というのは不思議なものだ。負けようとすればするほど牌が寄ってきてしまう。結局、最初の半チャンはトップだった。二着が理想で、オーラスまではピッタリとその位置につけていたのだが、トップ目の新谷が勝手に振り込んで、押し出されてトップになってしまったのだ。
 負けた三人が猛烈にファイトをむき出している。私は酒宴のメンバーを見回した。残念ながら麻雀のメンバーは誰もいない。だがその時、ボーイの吉川とホステスの三越が部屋に入ってきた。二人とも大の麻雀好きだ。私はホッと胸をなで下ろした。これで抜け出せる、後はなんとかラスをひけばそれで良い。
 次の半チャンは私が出親で、飯田さんが対面にいる。
 上積に三元牌を一枚置きに積め込んで、サイコロを振る。狙い通り三が出た。偶然ではなく、隅で三を造って中央に置いただけだ。いわゆるオキザイである。この方法で、面倒な修練無しに、賽の目を自在に操れるのだ。
 飯田さんが偶然に五を出した。これで序盤のツモは私の山になるので、飯田さんに緑牌が三枚、中牌が三枚、白牌が二枚行く、しくじらなければ最低小三元は上がるだろう。勢いを付けてやれば、ちょっとトスを上げてやるだけで、間違いなく飯田さんがトップになり、私が狙い通りラスを引けば企みは成功だ。
 出来るだけナキが入らないように慎重に牌を選んで切った。配牌で白が一枚私に来ていたので、後一枚の白を探した。大抵の場合白はガンパイになる確率が高いのだ。最初の半チャンで白のガンを三枚までしっかり憶えたが、後一枚はなかなか見分けられない。この時も見付ける事が出来なかった。
「ポン」
 大きな声で、飯田さんが北家から緑を泣いた。黙っていてもアンコになるのに、これだから素人は困る。仕方が無いので、手に持っていた三万をチイしてツモ順を元に戻した。
 笑美子が変な顔して私を見ているのが分かったが、気にも掛けずにゲームを続けた。
 いつの間にか綾香まで後ろにやって来ているのでやや慌てた。
「綾香さん、麻雀は出来るの?」 
「ほんのお付き合い程度。でも、随分変わった麻雀ね」
「鬼太郎の麻雀はメチャメチャで凡人には理解が出来ない」
 ツモが順調なので、飯田さんの口が滑らかで上機嫌だ。そろそろ天張ったのかも知れない。
「今度教えて戴こうかしら。いくらお付き合いでも、あんなに負けちゃお金が幾らあっても足りゃしないわ」
「止めた方が良いと思うよ。授業料の方が遙かに高くつく」
 無駄口を叩く割に、ツモに異様に力が入っている。テンパイだ。どうせ白と何かのシャボだ、白を切らなければせいぜいハネ満まで。だが、出来れば積もらせるか、他から上がらせたいものだ。
「ローン!」
 不用意に切った私の三万が当たったのだ。
「ヤクマーン! 大・三・元! 鬼太郎、その三万アタリィーッ!」
 私は倒された飯田さんの手牌を呆然と眺めた。中と白が三枚、そして三万の裸単騎待ちだった。
 上がらせる積もりで仕組んだが、こんな単騎に振り込むなんて許せるものか! カッとして熱くなった。むらむらと闘志が沸いてきた。
 次の局、私の序盤の捨て牌はこうだ。
 二ピン・東・西・四ピン・中・東・三ピン
 三ピンはツモ切りに見せながら卓に叩き付けた。これは被った振り、その事を印象づける為の小細工だ。次いで、六万、少し考えて三枚目の北でリーチ。
 あなたならこの手をどう読みますか?
 中級程度の打ち手なら、六万がキー牌だと思い、二五八と四七万が本命、七ピンが六七八か七八九の三色系で対抗、これが麻雀の定石だ。
 プロ級の腕を持っていたら、少なくとも七ピンは無印にする、たとえ当たってもくず手の確率が高い。大物手だったら、二、四と切らずに、四、二と切るからだ。この手は、六万ではなく、三ピンと北がポイントだ。三ピンが手出しなのか被ったのかで、随分読み方が変わる。この場合、手出しなので、配牌で二三四ピンと入っていた確率が高い。現にその時の配牌では一二三四と入っていた。北で考えたのはちょっとしたミスだった。この手は、ずばりチートイツと読むのが正解である。そう読んだ以上、北の地獄待ちで迷ったので、現物以外安全牌は無い。
「こわいねぇ、妖しいよね、前にこんな捨て牌で国士を振り込んだ」
「そんな事有りました? だけど、東が四枚切れていますよ」
 ベタ降りされるのが一番怖い。だから教えた。
 飯田さんは場の東を数えながら、
「ホントだ。国士は無か。・・・しかし、何か妖しげな切り方だね」
 と、慎重に真ん中から三枚右端に移して、その中の一枚、一ピンを切った。
 無言のまま、手牌を倒すや否や、裏ドラを見に行った。裏ドラが二枚、
「リーチ、一発、チートイ、ドラドラ、裏ドラが二つで倍万!」
「嘘だろう、あんこ落としだぜ、畜生ッ!」
 それを機に、猛烈な長打の撃ち合いになった。壮絶なノーガード戦だ。私は本来、打撃戦を得意としていたが、役満のハンデは重く、結局ラスを引いた。お陰でスムーズに卓を離れる事が出来たので、まあ良としなくてはいけない。
「済みません、明日早いものですから。休みの日にゆっくり復讐戦に行きます、又デスマッチしましょう」
「ああ、麻雀はいつでも歓迎するよ。だけど、又うちに帰って来いよ、熱海なんかで燻っていることないだろう」
 大きなお世話だ、と思いながらも、
「有り難う御座います。考えて見ます」
 と、我ながらしおらしい事を言って部屋を出た。

 案の定笑美子がついてきた。偶然なんかじゃない。彼女は私が熱海に居る事を突き止めて会いに来たのだ。いまさら会ってどうするというのか!?
 小走りで追いついて私に並ぶ笑美子。
 構わずに歩を早めた。
「私、私、結婚するかも知れない」
 か細い声で笑美子が囁いて立ち止まった。
 無言でエレベータに乗り込む私。
「申し込まれたの」
 今にも泣きそうな顔で笑美子が言い、縋るように私を見続けた。
 私は聞こえていない振りをしてドアを閉めた。この時の笑美子の顔を私は一生忘れる事が出来ないだろう。出逢った頃の笑美子は、名前のように、笑顔の美しい娘だった。ころころと無邪気に良く笑う明るい娘だった。笑美子から笑顔を奪ったのは何を隠そうこの私なのだ。
 外では激しい雨が降っていた。
 電柱の陰に黒メガネの男が居たので近付いていった。
 タバコをくわえて、
「火、有りませんか?」
 と言った。
 男は無言のまま、ライターでタバコに火をつけて呉れた。
 軽く会釈をして、ホテルのタワーを見上げた。見上げた途端、タバコの火が土砂降りの雨で燻って消えた。
 ニコチンが口に流れ込んで来た。口が曲がるほど苦々しい味と臭いだ。
 客室の窓辺に佇む女性の影が見えた。
 笑美子が私を見続けているのだろうか?
 結婚するかも知れない。どうして女は皆、同じ言葉を言うのだろう。「止めろよ」と言わせて見たいだけなのだ。言えば、哀しいまでに幸福感を味わって、そのあげく、結局結婚するのだ。悲劇のヒロインを演じて見たいだけなのだ。
 だが、一度は愛を感じた女なのだから、それ位の事は言っても罰は当たらない。まして笑美子の場合、不幸にしたのは私なのだ。せめてもの罪滅ぼしに、たった一言、言ってあげるべきなのだ。笑美子の為で無く、自分自身の為にもそうすべきだった。
 喉から胃の中まで耐え難いほど苦々しく、激しい嘔吐が私を襲う。右肩が焼け付くように痛んだ。だが、一番痛んでいたのは、傷ついていたのは私の哀れな心だった。
 貴様など滅んでしまえ! この世から消えるがいい! 死んでしまうがいい! 私はこの時ほど己を呪い、嘔吐を憶える程おぞましく思った事は無い。
  2016年11月29日  Gorou

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅴ

2016-11-29 10:08:19 | 物語
五 太公望

 胡蝶一座の稽古は、朝十時からの二時間ばかりと、午後二時から夕方までの四時間だった。稽古は順調に進み、週末を待たずにほぼ完成した。
 この日も午後の稽古を見に行こうとした時、キッチンの隅で釣り竿を見付けた。
 私は稽古はやめにして、桟橋で釣り糸を垂れる事にした。もはや、稽古で私がすることなど何もないのだ。
 晴れ渡る青空に、紺碧の海、まだ二月だというのにポカポカと春のようだった。

 釣り糸を垂れながら、一応ウキの辺りを眺めてみる。実は、ウキなど見る必要はまったく無いのだ。私の針には餌が付けてないのだから。魚を釣るのではなく、釣りそのものが目的なので餌など必要無い。
 小さい頃からこんな具合にして釣りを愉しむのが好きだった。とてつもなく贅沢な趣味、と私は自認している。実際、こうして海面を眺めやっていると、不思議に心が落ち着き、様々な想念が沸いて来る。
 小魚が海面付近に群れて遊び、春の陽に照らされてキラキラと煌めいている。
 私は海面を心の鏡にして、ミズエを想った。記憶が甦り、私の想念と混じって、その鏡に像を結んだ。ミズエが微笑んでいる。その微笑みが水面に揺れて散った。
 ミズエの面影が、小魚の群の集散とともに、現れたり消えたりするのだ。
 ミズエが現れ、また消えた。再び現れたかと思うと、それはコズエだった。いつの間にかコズエが私の傍らに佇んでいたのだ。
「鬼太郎は釣りが下手ネ。一時間以上経っているわ」
 ミニスカートのコズエが私の左に座った。
「私、手伝ってあげる。きっと釣れるわ」
「それは無理だろう?」
「大丈夫、まかせて」
 海面に向かって垂れるコズエのサンダルが外れそうだ。だが決して落ちなかった。まるで体の一部のように、際どくも足と繋がっているのだ。
「ずっと見ていたの?」
「まさか、あたしじゃないわ」
 その時、奇跡が起きた。
 餌のない釣り竿で、魚がつれたのだ。
 ほんの数メートルしか離れていない所で、ミズエが立って私を見つめていたのだ。
「お早う。・・・稽古は終ったの?」
 ミズエに声を掛けたのだが、
「午後の稽古、今日は休みになったの」 
 コズエが答えた。
 サブリナパンツのミズエ、今日は髪を編み込んで頭の上で束ねている。そんなミズエが躊躇いながらも、おずおずと近付いて来る。
 私は下駄を揃えてミズエの足下に置いた。
「座ったら?」
「有り難う」
 歌と台詞以外でミズエの言葉を聞いたのはそれが初めてだった。
「岸壁に座るのなんてミズエには無理かも」
「どうして?」
「水が怖いの。私たち全然泳げないの」
「コズエは怖くないの?」
「わたしは平気、怖いものなんかないわ。沢山人もいるし」
 コズエが私を覗き込んだ。
「喜太郎泳げるのでしょ」
「ああ、そこそこ、にはね」
コズエがミズエを振り返って言った。
「大丈夫。落ちたって喜太郎が助けて呉れるわ」
 迷っていたミズエが私の右隣にそっと腰を掛けた。そよ風が私の右頬を掠め、梅の花の香りが漂った。まるで佐保神のような、なんて爽やかな娘なのだろう。
 私は、珍しくも長い髪を束ねたミズエの項を見つめた。が、有るかもしれないと期待していたホクロは見当たらなかった。
 ミズエの頬が微かに膨らんで、唇が僅かに開こうとしている。何か私に言いたいのだろうか?
 私はミズエの言葉を待ち望んだ。
「釣れたらいいネ。きっと釣れる。私が祈ってあげるから」
 こう言って、コズエが海中のウキの先を凝視している。
「ムリムリ、餌なんかついてないのだから」
 ミズエの耳元でそっと囁くと、ミズエが驚いたように私を見つめ、コズエはムキになって、更に海を凝視し、何やら呪文を唱えた。
 私はミズエの顔を覗き込むようにして微笑みかけた。
「ホント?・・・本当に餌がついていないの?」
「ホントさ」
「でも、引いているわ。ホラ!」
 ミズエの指さす先でウキがピクピクと動いている。
 慌てて竿をあげると、小さな小生意気なフグが針に掛かっていた。
 指で軽く腹を弾くと、プーッと体が膨らんだ。
「まるで、コズエちゃんみたいだネ」
 クスッと笑ったミズエが大きく頷いた。
「かわいそうだから今度だけは許してあげよう」
 と言ってフグを海に放すと、今度は、フグに例えられたコズエの頬がプーッと膨らみ、私から視線を外した。その項にホクロが三つ、まるで梅の花のように息づいていた。

 その後二人は私のアパートについてきた。
 自慢のオーディオセットの正面に座ったミズエが、マッキントッシュ(オーディオアンプ)のエメラルドグリーンのロゴに魅入っている。
 コズエは立ったまま、遠慮なく部屋中を見回している。
 コズエの視線が隅のバイオリンケースの上に止まった。
「鬼太郎のバイオリンが聴きたい」
「中は空っぽ。・・・ただの飾りさ」
「お願いだから聴かせてよ」
「本当に弾けない」
 コズエの目がキラリト光った。意味ありげに微笑んでいる。
 私はコズエを無視して、バド・パウエルの『クレオパトラの夢』を選んでターンテーブルに乗せた。エアダスターで埃を吹き飛ばし、静電気を除去した後、鹿皮のクロスで丹念に拭い、アームを盤に運ぶ。いい音で聞くための儀式のようなものだ。
 軽快にスイングするパウエルのピアノが飛び出して来た。
 やっとコズエが腰を下ろし、ミズエを少し端に追いやって、私がミズエの為に用意した特等席を独占した。
 バド・パウエルのクレオパトラの夢を聴きながら、
「パウエルは凄いパラノイア、偏執病に掛かっていて、躁の時と、鬱の時の差が酷かった人でね、黒人プレーヤーとしては当然のように麻薬に溺れた。好不調が激しくて、このレコードを吹き込んだ時も酷い状態だったと言われている。だから、ミスタッチがかなり目立つ」
 コズエもミズエも良い耳を持っていた。私の解説に見事に反応した。正直私には良く聞き分ける事が出来なかったのに、ミスタッチを殆ど見つけては顔を見合わせて頷き合っている。
「そんなモノを跳ね返すような、唸るような熱演で、パウエルで一番好きだな、この演奏」
 二人とも初めて聴くジャズの、それも飛び切りの名演にかなり興奮していた。
 この姉妹のように、耳が良く、感性の豊かなリスナーを手に入れるなんて、オトキチ冥利に尽きるというものだ。
 私は次々と秘蔵の愛盤を掛け替え、二人は夢中になって聴いてくれた。
 そして今、グレン・グールドのバッハを聴かせているところだ。

 この日から、ミズエもコズエも、たびたび私のアパートに入り浸った。
 それは良いのだが、意外な付録、小道具係りの健一という若者まで仲間に加わって来たのは余り有り難く無かった。健一は漁師の息子だがグレートホテルでアルバイトをしていた。いつもジーパンに半袖のТシャツ、真冬でもペラペラのジャンパーを羽織るだけだったらしい。
コズエと健一は出来ていた。というより、コズエが健一を子分か家来のように従えている、つまりバシリと言った方が正しいのかも知れない。
  2016年11月29日    Gorou

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅳ

2016-11-29 10:03:13 | 物語
四 花と蝶

 アパートで今、私は胡蝶一座の構成を書いている。窓外でコズエの白い裸身が私を誘う。目を瞑れば、なお一層鮮やかに甦る。湯を弾く玉の肌、生命そのもののように弾む乳房。湯煙の中で妖しく揺らめく若萌。
 二つの肉体。他人の顔。ミズエとコズエ、この一卵性の双子は、顔を除けば、総てが一つ、同じ乳房、同じ女性器に、一つの心を持っているのだろうか?
 邪念を振り払って原稿に向かうのだが、無駄な抵抗だった。夜の静寂の中では、コズエの魔性に勝てる勇気も、強い精神力も、残念ながら私は持ち合わせてはいない。
窓の外の暗闇で二つの光る目が浮かんでは消えた。その光が誘ったのか、東の空がようやく白み始めた。

 海は大きくうねっていた。
 海岸通をジョギングする女性がいた。
 新聞配達の少年がいた。
 少女が自転車で牛乳を配っていた。
 お宮の松の陰で、黒メガネの男が海を眺めていた。
 風が囂々と鳴っていた。
 波が坂巻き、海が荒れていた。
 重く垂れ込めた雲を裂くようにして朝日が射し込んで来た。と思うと、見る見るうちに鮮やかな朝焼けが熱海の海に現れた。
 朝焼けに誘われて、私は海岸通りを散策し、岸壁に凭れて海を眺めた。
 桟橋の先で、紅白の布が風にはためいてクルクルと舞っていた。目を凝らして見ると、それはコズエが舞っていたのだ。白衣に紅袴、紗の長い肩布を靡かせ、鈴を鳴らしながら、三度回って旭日を拝祈している。
 神を降ろしているのだろうか?
 神懸かりの儀式なのだろうか?
 それとも何か呪詛しているのだろうか?
コズエは跪いて敬虔な祈りを捧げている。
 祈りが終わったかと思うと、踊るようにしてその場で跳ねた。
まるで十メートル程も跳ねたように私には見えた。旭日に向かっていたコズエの身体がゆっくりと回転しながら空中を漂っている。紅白の肩布がまるでコズエの宿命を縛り付けるようにして、風にはためきながら彼女の肉体を、細頸と腰に巻きついていった。華麗で可哀想な蝶の標本のように見えなくもなかった。
朝日を受けて黄金色に虹んでいたコズエは、まるでスローモーションのようにして片膝をついて着地し、瞑想していた眼を瞬かせながら開いて行く。極鮮色に煌めく閃光が拡散していた。
コズエは大きな眼を見開くといきなり走り出した。私を見つけたのだ。
 黒メガネの男が慌てて松の陰に隠れた。海を眺めていたのではなく、コズエの様子を窺い、ずっと見つめ続けていたに違いない。
「鬼太郎は一体 いつ寝るの?」
 初めはセンセイ、次が鬼太郎さん、夜が明けたらもう鬼太郎と、遠慮なく呼び捨てにする。
「鬼太郎!」
 一声高く叫んで、
「おはよう!」
 今度はひどく無邪気に笑った。その美笑が顔一面に広がって行く。目眩ましにあったように私の意識が、ただでさえ寝不足で朦朧としていた私の意識が混沌とした。その後のことは藪の中、私はただ、波間に漂う小舟のように夢を流離った。
 
 巫女、神子とも書き、巫などとも言う。
 有る意味では、コズエこそ真の巫女に相応しい娘だった。その時、小学校高学年程の学力さえ持ち合わせていなかったが、北から南、西から東へと、彷徨ボヘミアンの旅芸人の娘に生まれてしまったのだから、それはコズエの罪では無い。
 何を見ても、何を教えても、必ず一度で憶えた。興味をひくと、全てを知り尽くすまで、目を見開いて見続けて飽きない。グルグルと廻り、あらゆる角度から知ろうとする。コズエの目がことさら大きく感じたのは、きっとその所為だ。
 対してミズエは、やはり同じ様な能力を持っていたのだが、コズエに較べて余程控え目で、他人に対して閃かす事など決してしない。
 初め、この娘は精神薄弱気味か、或いは口か耳が不自由なのかと、錯覚した程喋らないのだ。何を言おうとしても、慎重に考え、言葉を選んでいる内に、機会を失ってしまうのだ。
 コズエは生まれてくる時代を間違えたのかも知れない。もしも、前世と言うものが有ったなら、栄耀栄華を誇った民族の王女であったに違いない。私はコズエを戴く民に生きることを望み、夢見るだろう。現にそんな夢を見た。

 神殿に祈るコズエがいた。
 傍らに雄々しく佇む王がいた。
 夥しい数の民がコズエを拝んでいた。
 民衆の歓呼の中を征戦につく大軍が行進していた。
 夢の中で、私は王では無かった。将軍でもなく、兵士でもなく、民でも、奴隷でさえなかった。
 泥田の畦に咲く、名も無く見窄らしい花でしか無かった。例え召使いでも奴隷でも良い、人というモノに成りたい、麗しいあの娘を、人として拝んでみたい。焦がれるように望んでいた。
 そんな私の心をからかうかの如くに、蝶が舞っていた。
 望むが良い。願うが良い。
 例え花でも虫でも、生命有るものは皆、望めば人になれるのだ。生命に貴賤は無い。
 蝶がそう囁いて私を唆すのだ。
 白く大きく棚引く雲から、太陽が燦々と輝いて、花である私を照らした。

 そこで私は目を覚ました。
 窓から眩しいばかりの陽が射し込んで、私の顔を照らしていたからだ。
 もう午後一時を過ぎていたので、惜しい気がしたものの、跳ね起きて、頭から水を被るようにして顔を洗い、目を覚まさせた。
 原稿に向かった私の筆は、不思議なほどスムーズに動き、一気に構成を書き上げた。





 五 太公望

 胡蝶一座の稽古は、朝十時からの二時間ばかりと、午後二時から夕方までの四時間だった。稽古は順調に進み、週末を待たずにほぼ完成した。
 この日も午後の稽古を見に行こうとした時、キッチンの隅で釣り竿を見付けた。
 私は稽古はやめにして、桟橋で釣り糸を垂れる事にした。もはや、稽古で私がすることなど何もないのだ。
 晴れ渡る青空に、紺碧の海、まだ二月だというのにポカポカと春のようだった。

 釣り糸を垂れながら、一応ウキの辺りを眺めてみる。実は、ウキなど見る必要はまったく無いのだ。私の針には餌が付けてないのだから。魚を釣るのではなく、釣りそのものが目的なので餌など必要無い。
 小さい頃からこんな具合にして釣りを愉しむのが好きだった。とてつもなく贅沢な趣味、と私は自認している。実際、こうして海面を眺めやっていると、不思議に心が落ち着き、様々な想念が沸いて来る。
 小魚が海面付近に群れて遊び、春の陽に照らされてキラキラと煌めいている。
 私は海面を心の鏡にして、ミズエを想った。記憶が甦り、私の想念と混じって、その鏡に像を結んだ。ミズエが微笑んでいる。その微笑みが水面に揺れて散った。
 ミズエの面影が、小魚の群の集散とともに、現れたり消えたりするのだ。
 ミズエが現れ、また消えた。再び現れたかと思うと、それはコズエだった。いつの間にかコズエが私の傍らに佇んでいたのだ。
「鬼太郎は釣りが下手ネ。一時間以上経っているわ」
 ミニスカートのコズエが私の左に座った。
「私、手伝ってあげる。きっと釣れるわ」
「それは無理だろう?」
「大丈夫、まかせて」
 海面に向かって垂れるコズエのサンダルが外れそうだ。だが決して落ちなかった。まるで体の一部のように、際どくも足と繋がっているのだ。
「ずっと見ていたの?」
「まさか、あたしじゃないわ」
 その時、奇跡が起きた。
 餌のない釣り竿で、魚がつれたのだ。
 ほんの数メートルしか離れていない所で、ミズエが立って私を見つめていたのだ。
「お早う。・・・稽古は終ったの?」
 ミズエに声を掛けたのだが、
「午後の稽古、今日は休みになったの」 
 コズエが答えた。
 サブリナパンツのミズエ、今日は髪を編み込んで頭の上で束ねている。そんなミズエが躊躇いながらも、おずおずと近付いて来る。
 私は下駄を揃えてミズエの足下に置いた。
「座ったら?」
「有り難う」
 歌と台詞以外でミズエの言葉を聞いたのはそれが初めてだった。
「岸壁に座るのなんてミズエには無理かも」
「どうして?」
「水が怖いの。私たち全然泳げないの」
「コズエは怖くないの?」
「わたしは平気、怖いものなんかないわ。沢山人もいるし」
 コズエが私を覗き込んだ。
「喜太郎泳げるのでしょ」
「ああ、そこそこ、にはね」
コズエがミズエを振り返って言った。
「大丈夫。落ちたって喜太郎が助けて呉れるわ」
 迷っていたミズエが私の右隣にそっと腰を掛けた。そよ風が私の右頬を掠め、梅の花の香りが漂った。まるで佐保神のような、なんて爽やかな娘なのだろう。
 私は、珍しくも長い髪を束ねたミズエの項を見つめた。が、有るかもしれないと期待していたホクロは見当たらなかった。
 ミズエの頬が微かに膨らんで、唇が僅かに開こうとしている。何か私に言いたいのだろうか?
 私はミズエの言葉を待ち望んだ。
「釣れたらいいネ。きっと釣れる。私が祈ってあげるから」
 こう言って、コズエが海中のウキの先を凝視している。
「ムリムリ、餌なんかついてないのだから」
 ミズエの耳元でそっと囁くと、ミズエが驚いたように私を見つめ、コズエはムキになって、更に海を凝視し、何やら呪文を唱えた。
 私はミズエの顔を覗き込むようにして微笑みかけた。
「ホント?・・・本当に餌がついていないの?」
「ホントさ」
「でも、引いているわ。ホラ!」
 ミズエの指さす先でウキがピクピクと動いている。
 慌てて竿をあげると、小さな小生意気なフグが針に掛かっていた。
 指で軽く腹を弾くと、プーッと体が膨らんだ。
「まるで、コズエちゃんみたいだネ」
 クスッと笑ったミズエが大きく頷いた。
「かわいそうだから今度だけは許してあげよう」
 と言ってフグを海に放すと、今度は、フグに例えられたコズエの頬がプーッと膨らみ、私から視線を外した。その項にホクロが三つ、まるで梅の花のように息づいていた。

 その後二人は私のアパートについてきた。
 自慢のオーディオセットの正面に座ったミズエが、マッキントッシュ(オーディオアンプ)のエメラルドグリーンのロゴに魅入っている。
 コズエは立ったまま、遠慮なく部屋中を見回している。
 コズエの視線が隅のバイオリンケースの上に止まった。
「鬼太郎のバイオリンが聴きたい」
「中は空っぽ。・・・ただの飾りさ」
「お願いだから聴かせてよ」
「本当に弾けない」
 コズエの目がキラリト光った。意味ありげに微笑んでいる。
 私はコズエを無視して、バド・パウエルの『クレオパトラの夢』を選んでターンテーブルに乗せた。エアダスターで埃を吹き飛ばし、静電気を除去した後、鹿皮のクロスで丹念に拭い、アームを盤に運ぶ。いい音で聞くための儀式のようなものだ。
 軽快にスイングするパウエルのピアノが飛び出して来た。
 やっとコズエが腰を下ろし、ミズエを少し端に追いやって、私がミズエの為に用意した特等席を独占した。
 バド・パウエルのクレオパトラの夢を聴きながら、
「パウエルは凄いパラノイア、偏執病に掛かっていて、躁の時と、鬱の時の差が酷かった人でね、黒人プレーヤーとしては当然のように麻薬に溺れた。好不調が激しくて、このレコードを吹き込んだ時も酷い状態だったと言われている。だから、ミスタッチがかなり目立つ」
 コズエもミズエも良い耳を持っていた。私の解説に見事に反応した。正直私には良く聞き分ける事が出来なかったのに、ミスタッチを殆ど見つけては顔を見合わせて頷き合っている。
「そんなモノを跳ね返すような、唸るような熱演で、パウエルで一番好きだな、この演奏」
 二人とも初めて聴くジャズの、それも飛び切りの名演にかなり興奮していた。
 この姉妹のように、耳が良く、感性の豊かなリスナーを手に入れるなんて、オトキチ冥利に尽きるというものだ。
 私は次々と秘蔵の愛盤を掛け替え、二人は夢中になって聴いてくれた。
 そして今、グレン・グールドのバッハを聴かせているところだ。

 この日から、ミズエもコズエも、たびたび私のアパートに入り浸った。
 それは良いのだが、意外な付録、小道具係りの健一という若者まで仲間に加わって来たのは余り有り難く無かった。健一は漁師の息子だがグレートホテルでアルバイトをしていた。いつもジーパンに半袖のТシャツ、真冬でもペラペラのジャンパーを羽織るだけだったらしい。
コズエと健一は出来ていた。というより、コズエが健一を子分か家来のように従えている、つまりバシリと言った方が正しいのかも知れない。
2016年11月29日   Gorou