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By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2022-02-14 更新:2022-02-14
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(2月14日放送)に元内閣官房参与で前駐スイス大使の本田悦朗
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本田 悦朗(ほんだ えつろう、1955年(昭和30年)1月 - 67歳。)は、日本の大蔵官僚、経済学者(国際金融・金融政策)。
財務総合政策研究所研究部部長、四国財務局局長、外務省大臣官房審議官(欧州局担当)、財務省大臣官房政策評価審議官、静岡県立大学国際関係学部教授、TMI総合法律事務所顧問、内閣官房参与、スイス駐箚特命全権大使兼リヒテンシュタイン駐箚特命全権大使兼欧州金融経済担当特命大使などを歴任した。
- 1955年 - 和歌山県にて誕生。
- 1973年 - 和歌山県立橋本高等学校卒業。
- 1978年 - 東京大学法学部卒業。
- 1978年 - 大蔵省入省。
- 1982年 - 証券局総務課企画係長[27]。
- 1983年 - 十和田税務署署長。
- 1985年 - 在ソビエト連邦日本国大使館二等書記官。
- 1987年 - 在ロサンゼルス日本総領事館領事。
- 1989年 - 大蔵省国際金融局総務課課長補佐。
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E6%82%A6%E6%9C%97
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が出演。緊迫するウクライナ情勢について解説した。
〇ウクライナ情勢で米露首脳が電話会談
緊張が続くウクライナ情勢をめぐり、アメリカのバイデン大統領とロシアのプーチン大統領は2月12日、およそ1時間の電話会談を行った。
会談後、アメリカ政府高官は記者団に対し、両首脳は対話を継続して行く方針を確認したものの、
「議論は平行線をたどった」と明らかにした。
飯田)ウクライナ情勢が緊迫しているなかで、アメリカも含めて各国、
自国民に「退避せよ」という呼びかけが進んでいます。
〇国際的な観点と歴史的な背景の両面で考える
本田)各国の大使館職員にも退避命令が出され、もちろん一般国民にも退避命令が出ていますけれども、かなり緊迫しています。この問題を考えるときには、「力による現状変更を許さない」という国際法の観点から人権、民主主義を守るという筋を通すような話と、「なぜそんな問題が起こったのか」という歴史的な背景の両方を考える必要があると思います。
飯田)その両面を考える。
本田)私もソ連時代
のモスクワに住んでいましたが、ウクライナという国は、ロシアの兄貴分なのです。先にキエフ公国ができて、そのあとにモスクワ大公国ができたのです。歴史的には、キエフの方が兄貴分なのです。
〇ウクライナの東側はロシアと一体化している
本田)しかし、力は遥かにモスクワの方が強いので、そこは複雑な感じになるのですが、文化が似ていて、言葉も似ています。ウクライナも東半分と西半分ではかなり文化が違いまして、キエフを含む西半分、ヨーロッパに近い方は、かなり西側に近いです。東半分は、完全にロシアと一体化しています。
飯田)ロシアと。
本田)今回、ロシアが侵攻するかも知れないと言われているのは、キエフまで入って来るかわかりませんが、主に東側です。
2014年にクリミア半島をロシアが占拠しましたが、そのときも単に占拠したわけではなく、まず住民投票を行って住民の考えを聞き、8割~9割の賛成を得たところで、ロシアの実効支配が入った。
もともとクリミアはロシアのものだったのです。というのは、ソ連崩壊まではソ連でしたから、どこの国に属していようとソ連はソ連ということで、フルシチョフ
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ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ(ロシア語: Ники́та Серге́евич Хрущёв、 発音[ヘルプ/ファイル]、ウクライナ語: Мики́та Сергі́йович Хрущо́в、ムィクィータ・セルヒーヨヴィチ・フルシチョーウ、ラテン文字表記の例:Nikita Sergeyevich Khrushchev、1894年4月17日 - 1971年9月11日。77歳死去)は、ソビエト連邦の政治家。ソ連共産党中央委員会第一書記、閣僚会議議長(首相)の職にあって、11年間に渡って同国の最高指導者であった。
民族的にはウクライナ人である[1]
生い立ち[編集]
1894年4月17日にロシア帝国のクルスク県カリノフカに誕生する。父親のセルゲイ・フルシチョフは炭坑夫で、母親はクセニアである。母方の祖父は農奴でロシア帝国陸軍に勤務していた。家族と共にウクライナ・ドンバス地方のユゾフカ(スターリノ、現在のドネツィク)に移り、15歳で鉛管工として働き始める。第一次世界大戦では工場で勤務していたため、徴兵を猶予された。
日本との関係
日本との関係については、日ソ交渉を行った時の最高指導者である(詳細は日ソ共同宣言にあり)。フルシチョフは晩年に記した回想記の中で、平和条約締結後とはいえ歯舞・色丹の引渡しに合意したのは、漁民と軍人しか利用していない島で防衛的・経済的にあまり価値が無く、これらを引き換えに日本から得られる友好関係の方が極めて大きいと考えており、戦後の日本の経済成長を羨んで「ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印しなかったことは大きな失策だった」「たとえ北方領土問題で譲歩してでも日本との関係改善に努めるべきであった」と述べていた。フルシチョフは「日本との平和条約締結に失敗したのは、スターリン個人のプライドとモロトフの頑迷さにあった」と指摘している。この件は結局フルシチョフ本人の政治的配慮によって回想記からは削除されたが、ゴルバチョフ政権でのグラスノスチによって1989年になって初めてその内容が公開された[6]。
死去と記念碑[編集]
7年間の年金生活の後に、フルシチョフは1971年9月11日にモスクワの病院で死去した。しかし歴代の要人が埋葬されている赤の広場脇には埋葬されず、モスクワにあるノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬された。
当局との数年に渡る戦いの末に、家族らは墓地に記念碑を建てることを許されたが、その設計を請け負ったのはフルシチョフがマネージ展覧会ホールで罵倒した彫刻家エルンスト・ネイズヴェスヌイだった。記念碑の黒と白のデザインは様々な憶測を呼んだが[注釈 2]、ネイズヴェスヌイはセルゲイ・フルシチョフに「白と黒の組み合わせは、統一と死に抗する生の戦いとを象徴する」と述べている。ネイズヴェスヌイはこの記念碑の仕事を引き受けたことが主として災いし、ブレジネフ政権下で様々な迫害をうけることとなり、1976年にスイスへの亡命を余儀無くされた。
1984年に死去したフルシチョフの妻であるニーナ・ペトロブナも、ノヴォデヴィチ修道院のフルシチョフの隣で眠っている。なおソビエト連邦が崩壊した後もフルシチョフの遺体は赤の広場に移されず、ノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬されたままである。
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がプレゼントしてしまったのです。
飯田)ウクライナがもともと自分の出身だったのですよね。
本田)ソ連が分割したあとで、しまったと。
あれはプレゼントしたけれど、戻って来ないかも知れないという状況になったのですが、住んでいる人はほとんどロシア人なのです。言葉もロシア語ですし。だから、住民投票でミンスク合意があって、停戦協定が結ばれたのです。
〇NATOが勢力を拡大すれば平和が構築できるという単純なものではない
本田)今回も東半分は、モスクワと同じ経済圏に入っていますので、ロシアの産業連関が密接に結びついているのです。
住んでいる人も多くがロシア人ですし、そこはうまい方法を考え出す必要があると。少なくとも、NATO勢力がロシアの国境を接するところまで来ると、なかなか平和構築が難しくなるかも知れない。
飯田)難しくなる。
本田)ウクライナの人には大変申し訳ないけれども、ある程度の緩衝地帯は必要なのです。それがベラルーシであり、ウクライナであり、グルジアなのです。あの縦の線は、平和を維持するための1つの装置ではないでしょうか。ただ、もちろん民主的にやって欲しいですけれども。そういうところがあって、直ちにNATOが勢力を拡大して行けば、それで平和が構築できるという考えは単純すぎると思います。
飯田)ロシアとしては軍勢を見せつけて、プレッシャーを掛けられるだけ掛け、獲れるものを獲って行こうという思惑があるわけですか?
本田)そうでしょうね。訓練をやっていますが、相当実戦に近い、激しい訓練をしていますので、デモンストレーション効果は期待しているでしょう。
〇ロシアのエネルギーを止めると西側も被害を受ける可能性が
飯田)一方、アメリカサイドは早々に経済制裁で行くのだという話を出していますが、これがどこまで効くかですね。
本田)経済制裁は本当に侵攻したら、絶対に行うでしょう。
いくら歴史的な事情があっても、国際法を踏みにじるものであることは間違いないですし、国境というのは、1回決めたものは大事にしなければいけないということで、経済制裁はやって行くでしょう。
飯田)侵攻したら。
本田)ヨーロッパは特にエネルギー、天然ガスをロシアに依存しています。
ドイツは55%以上の天然ガスが、パイプラインでロシアから来ています。いま、ノルドストリーム2がバルト海を通って来ていますけれども、もうすぐ操業が始まります。
飯田)そうですね。
本田)EU全体としても、4割近くがロシアのエネルギーを使っていますので、仮にエネルギーやドル払いの決済を止めた場合、かえって西側が被害を受ける可能性があります。かなりの返り血を浴びることになると思います。既に経済は密接に結びついているのです。
〇似て非なる中国とロシア ~日本はまず、中国との問題を解決するべき
飯田)そんななかで、日本を含めて何ができるのでしょうか?
本田)日本にとって、気になるのは中国です。日本の国益に資するという意味では、中国とロシアを結託させないことが大事です。
私も住んでみてわかりましたが、中国とロシアは似て非なるものです。
飯田)似て非なるもの。
本田)中国は無神論者です。だから、徹底的にやってしまうのです。
ロシアは一応、ソ連時代は無神論の建前でしたけれども、敬虔なキリスト教徒がたくさんいます。実は多くがキリスト教徒です。オーソドキシーですからね。プーチン大統領も敬虔なキリスト教徒なのです。
飯田)正教会と結びついていますよね。
本田)正教会です。ですから、その辺りのところが人間に対する態度の違いに反映される。ロシアも権威主義的な国ではありますけれども、中国のようなあからさまな独裁体制は取っていません。
一応、民主的な手続きは踏んでいます。ただ、権威主義ではありますけれども。
飯田)一応、民主的な手続きは踏んでいる。
本田)日本にとって、二正面作戦を取るのは難しいので、
まずは中国
に集中する。北方領土問題
は必ず解決しなければいけませんけれども、台湾問題、北方領土問題、尖閣問題を同時に解決するのは無理です。
いま、我々にとって大事なのは中国との問題だということです
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