展望台で那須連山を観賞のあと、かやぶき屋根が残る町並みの「大内宿」と
「塔のへつり」に向かいました
「葺き屋根の連なる宿場風景が残ったのである。江戸時代の宿場の面影を
今に伝える町並、茅葺き屋根の連なる宿場町それが大内宿。
大内は江戸初期から下野(しもつけ)街道の宿駅であった。
下野街道は別名会津西街道・日光街道・南山通り・中奥街道・
今市街道とも呼ばれ、
会津若松から下野今市に至る街道である。
大内村は大内宿を持った宿駅村で。北は大内峠・氷玉峠を越して関山宿に、
南は中山峠を経て倉谷宿へ至る。
江戸初期には会津藩主の参勤交代路で、江戸への廻米路でもあった。
天和3年(1683)地震による山崩れで下野街道の五十里宿(いかり)が
水没し通行不能となったため、元禄8年(1695)南山松川通が開かれると、
下野街道の交通量は激減し大内宿も衰退した。享保7年(1722)
五十里湖の水抜きによって街道が復活したが、すでに会津若松からの
主要道は白河街道に移っていた。
そして明治17年会津三方道路の一つ日光街道が大川沿いに開通すると、
大内は宿駅としての機能を失い山間に取り残されて、昔日の宿場の面影を
留めた茅葺き屋根の連なる宿場風景が残ったのである。」
「↑」はネットより引用させて頂きました。
サムネイルスライドショーですソースはnon_nonさんにお借りしました
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「塔のへつり」は、奇岩怪石が塔のようにそそりたち
大川ラインの中でも最大の渓谷美である。
昭和18年8月24日に国の天然記念物に指定され、
百万年もの長い年月をかけて、
侵食と風化を繰り返し見事な景観を作り出した。
↑は画像8の案内板の文字より