先日、パーティーの主催をした
前日
お店の方に打ち合わせで電話をしたら、お店の者が少なくなったので、照明や音響は自分達でしてください
それも料金に入っていますから!と言われて、
夏のパーティーの時と違うじゃないか!
しかも1日前に言われても!!とジャッジする自我の思考を掴んでいる事に気付いた
私は退きイエスと共に、その自我の思考を光に捧げ続けた
そして、もう既に終わっている映像が表れては消えていくのみなのだから、
私は何も出来ないのだ
イエスと共にその自我の妄想映像が通りすぎるのを静かに見送るしかないのだと降参が起こってきた
そして
パーティーがスタートし自分達ですることを準備していたが
お店の人という形をした聖霊が全てを完璧にして下さった
そして、形のレベルでお店の方がして下さらないという映像が起こってきても
私が退けば、神の祝福が在るだけなのだと感じた
どの様な映像が起こってくるかは全くもって関係ないのだ
私が退き、イエスと共に静かにしていることが重要で
中心に戻ることが出来たならば平安でしか居られないのだ
パーティー会場のお店の方という聖霊が、私の本性を教えて下さったのだ
私が退き真実を歪めなければ、神の愛を常に受け取り延長しているだけなのだ
神の愛を歪めることを辞める
神の愛を否定することを辞める
神の上に立とうとすることを辞める
神を抹殺し続けることを辞める
私は負けを認めひたすら降参し続けるのみなのだ
神さま
永遠の愛を与えて下さり有難うございます