自我と同一化したとき、問題の無い所に問題を見ようとする。
だから、
自作自演であることを思い出す。
一者の私が過去に妄想した映像であり、無であるということを思い出す。
でも、自我は私が妄想した自作自演の夢物語の「一者」を、分離した個の「私」に引き下げ……
真の赦しではなく、破壊するための赦しをして、何とか目覚めを遅らせようとする。
奇跡のコースでいう決断の主体の一者まで戻らないと、意味がないことが分かる……
真理の防衛のために、破壊するための赦しを強烈に欲していることを見つめ続けて光に捧げる。
一昨日から2日間、現象レベルでは平和だったが、心のレベルでは、
真実を忘れた自我の私の虚しさ、惨めさがずっと起こってきていた。
私を諦めるために有り難いことだ。
イエス、聖霊、神さま
いつも、有難うございますm(__)m