7月の末に、聖霊からのメッセージかもしれないとデイケアの面接へ行った。
心臓は、自分でも驚くくらいバクバクしている。
なぜ、面接に来ているのか分からない。
ただ、自我はずっと私には無理だ!と言ってる声を認識する。
そして、デイケアの場所へ着いて、お年寄りが集まっている所を通り、面接をする場所へ案内された。
お年寄りが集まって職員の方がお世話されている姿を見たとき、
強烈な恐れが上がってきた。
それは、老いと死に関して、リアルにしたいという欲求だった。
それは、本当に起こっており、老いと死は恐れるべきものなんだ。
と脅している。
そして、それをリアルにして、分離維持の欲求を保持し続けたいと思っている。
それから、面接では私がやる事は、食事の介助、下のお世話、送迎だと言われた。
私は、その中で出来るのは、送迎だけだと思った。
それのみしかやりたくないと自我は言っている。
そして、面接が終わり8月の末に1回入らせていただき、9月からは取り敢えず週1回入るという事に決まった。
まだ、それでもデイケアの社長がその間に、他の人を採用したからあなたは採用できませんとの連絡があるのではないか
又は、イエスからやっぱりそれはあなたが今するべきことではありませんとガイダンスが来るのではないかと期待している。
ただ、面接の時に社長が、自分は若いときからいろんな会社でトップに立ってきた。
そして、ヘッドハンティングもされ、会社の常務取締役までなり、お金も地位も名誉も受け取った。
でも、そこに立つと何もないのが分かった。
だから、その全てを手放し、ある場所でおばあちゃんがトイレに何回も行く姿を見た流れからこれをやることになった。
そして、今は感じるけど、社長も従業員もお年寄りの方も、一切序列はない。
立場に関係なく、頭を低く下げる謙虚さは大切です。
などと言われている時、社長が聖霊に見えてきて、涙が溢れそうになった。
でも、ここで泣きまくるのはおかしいよねという思考が起こってきて、涙をぐっとこらえた。
だから、その社長とのやり取りは本当に感謝でしかなかった。
ただ、本当にこれは、聖霊のガイダンスなのか?
聖霊が本当に私にさせたいことなのかは、まだ確信がない。
実際にやってみるまでの期間はあるので、祈り続けたいと思う。
イエス、あなたが私にさせたいことのみを受け取り従いたいです。
私の命をあなたにお捧げしますので、あなたの良きようにお使い下さい。
神の計画のみに、私を使っていただきたいと意志します。