A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

東電OLとニコンSP

2005年06月17日 | 東京23区
「東電OL殺人事件」の被害者W.Y.を語ることは難しい。何故W.Y.がこういう二重生活を送るようになったかについて、佐野氏の調査ですら壁に突き当たっていて、彼女の実像はほとんど明らかにされていないからだ。
 W.Y.とニコンSPの共通点とは何かなどと、カメラ好きにしか分からないようなことを云ってみてもしょうがないのだが、答えは昭和32年の生まれということである。ひとつ年下では、山口百恵がいた。つまりW.Y.は私の同級生ということであって、それを知った時、愕然とした。これは、同じ教室にいた女生徒の誰それが、学校を卒業した後、一流企業に就職したが、ある時から売春婦となって、秘密の二重生活を送るようになり、最後は無惨な殺され方をしたということに他ならない。
 私の同級生で、国立大学の工学部電気学科を卒業しても就職ができず、実家の電気店を手伝っていた女性がいた。東電の総合職で、研究職のエリートOLといっても、W.Y.には決して切り開かれた職業生活とは云えなかったであろう。男も女も、厳しく峻別されるのが企業の宿命であるが、われわれの年代では、まだ女性にとって今よりももっとプレッッシャーが大きかったはずだ。
 彼女は高学歴の両親の下で育ち、早世した父を敬愛していたが、父の亡き後は、母、妹とは折り合いがよくなく、家庭内で孤立していたようだ。彼女は自分で自分にノルマを課し、非常に生真面目に売春生活をこなしていた。生活に困っていたわけでもないのに、異常に金銭に執着した。拒食症もあったようだ。しかし世間一般の動機とは全く異質なものを感じさせる。彼女は明らかに病んでいたが、その病いは深く時代と結びついたものであったようだ。
 今気が付いたが、W.Y.というイニシャルは、女性そのものの記号的な表象でもある。この事件に感応した女性は多かったと云われているが、女性と時代との間に生じた象徴的な事件と呼ぶべきであろう。

 ニコンSPは、戦後の混乱を脱して、高度成長経済を用意した工業製品の到達点のひとつであったが、画期的であるとともに、古めかしさも多く残していた。今の若者が見れば、古さのみが目立つカメラであろう。この年代の生まれの人間が、社会に出てきてからもう随分時間がたったが、意外にその出自は、ニコンSPのような古めかしいシッポをどこかしらに持った世代であったのだ。