A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

9月1日

2007年09月01日 | 越中八尾 おわら風の盆
 朝遅く起きだしたが、深夜の町流しの余韻が残っていて、それを反芻していたら、あっという間に昼過ぎとなった。急いで高山線に乗って越中八尾へ向かった。十三石橋あたりで、ガイさんの携帯へ電話をかけたら、すでに曳山会館のステージの最前列真ん中の席にいらっしゃるとのこと。下新町、今町、西町、上新町と坂を上って行って、曳山会館へ至り、今夜のおわら演舞のチケットを譲っていただいた。感謝。
 おわらのこと、写真展のこと、喫茶明日香のこと、バラの撮影のことなど、話しているうちに、ステージの時間が近づいたので、失礼した。東新町、上新町の演舞を聴く。上新町は、喫茶明日香のご主人の大西さんが三味線を弾かれていた。その後、西町の一行を探したが見つからなかった。今町が井田川沿いを流して歩いていたので、坂上の通りに戻るまで、それに付いて歩いた。東町の町流しにも遭遇。萌黄色の地にクロアチア格子のすそ絵の着物、黒と銀の格子縞の帯が美しい。
 今にも雨が降りそうな、曇り空で、気温はすずしいくらいである。歩きつかれたので、八尾小学校の体育館で横になって休憩。(17:30)

 ガイさんに譲っていただいた演舞会場の指定席は、ステージの真ん前で、非常によく見える上席だった。福島、上新町、下新町、西町、東新町を見た。もちろん町流しに付いて歩くのが基本だが、ステージの演舞は、唄、演奏、踊りも非常にしっかりまとまっていて完成度が高いので、これはこれで堪能した。
 下新町、天満町の夜の町流しをちょっと見て、疲れたので、早く切り上げて、富山のホテルに帰参。臨時バスに乗ってみた。40分かかった。雨が降りそうで、降らず、傘や雨具が重いばかりで、邪魔になってしまった。
 あまり大きな声では言えないが、今日は小生の誕生日であった。だからガイさんのおわら演舞の指定席券は、はからずも誕生日プレゼントとなった。感謝。ある方からいただいたグリーティング・メールも、ありがたし。
 おわらが、9月1日から始まることや、おわらの創始者の名前が小生と同じということも、今考えると、おわらに惹かれる要因になったようだ。
 週末に本当は、写真展に在廊するべきなのだが、風の盆はちょっとはずせないので、欠席。見た人の感想を聞く機会を逃しているわけで、もったいないのであるが・・・(23:30)


9月1日未明

2007年09月01日 | 越中八尾 おわら風の盆
 いろいろ迷った挙げ句、31日のうちに、はくたかの最終便で、富山まで来てしまった。ホテルのチェックインを済ませて、タクシーで八尾の今町に降り立ったのが、0時半くらいだった。今町の地方衆と男衆、2、3人の女性が町流しをしていた。女性は浴衣だが、男性陣は普通の私服である。見物人は数人しかいない。三味線と胡弓の音がよく響く。リラックスして、楽しみながら流しているように見える。本番とはずいぶん違う。
 今町に別れて、すぐに東町の町流しに行き会った。女性の中に昨年先頭で踊っていた人を見かけた。今年もご苦労様です。一行について歩けるし、余裕で前に回って写真を撮ったりもできる。贅沢なり。明日の本番になれば、立錐の余地もない見物人に取り囲まれて、身動きもとれなくなるのだ。
 揃いの浴衣の華やかな女性陣はいないが、地方の演奏、唄をじっくり聴くには、こっちの方がずっといいかもしれない。「ウルおわら」という感じがする。観光客が爆発的に集まるようになる以前の「風の盆」はこうであったのではないかと思わさせられる。通りによく響き、家の中にいる人の耳にもよく届く音である。八尾の人たちは、古い形もよく残したということじゃないだろうか。
 さらに坂を上がって行くと、上新町の大所帯に出会った。ISO3200のT-MAXで写真を撮影しながら付いて歩いていたら、若林美智子さんのグループと遭遇。この時は、彼女は胡弓は弾いていなくて、踊りながら坂を降りてきた。一緒に歩いているのは、女性のお弟子さんやシンパの人たちなのであろうか。
 しばらく上新町の一行に付いて歩き、諏訪町の通りに抜けた。少人数鵜の町流しが坂を上ってきて、新しい公民館前で散開した。午前2時ちょうどであった。
 八尾の町は、雪洞が灯り、本番の準備は万端である。奇跡的にタクシーを拾えて、富山のホテルまで戻って来た。ベッドに潜り込んだのが、2:55である。