A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

ハイビスカス

2009年05月24日 | デジタル
5月23日
「『断腸亭日乗』を読む」(新藤兼人 岩波現代文庫)を読んでいたら、大正九年五月二十三日永井荷風は、麻布市兵衛町の崖上の偏奇館へ引っ越してきている。約九十年前の今日である。以来昭和20年の空襲で、焼失するまでここに住みついた。
偏奇館は、土地九十九坪、建坪三十七坪の二階建て。外人が住んでいたのを買った家で、「ペンキ塗りにて一見事務所の如し」と書いている。アメリカの郊外型住宅のような家だったらしい。現在は泉ガーデンプレイスになっており、痕跡もなし。道源寺坂のみ当時の地形を残している。
映画監督の新藤兼人は、広島県の出身で、戦時中は招集されて、呉の海防団へ入隊しており、終戦直後は尾道に引っ込んでいたとある。呉海防団は、うちの父と叔父が入隊していたところで、ここだと外地の戦場へ行かなくて済むと言われていた。ところが昭和20年には度重なる空爆を受けて、多数の死者を出し、呉の町は完全に壊滅してしまった。

夕方、水道橋のアップフィールドギャラリーへ行き、企画展「Land Site Moment Element」を見る。3期に分けて、8人の写真作家が、風景写真を展示し、「現代において風景写真を撮るとはどういうことなのか」を考える写真展になっている。着いたときには、すでにギャラリートークが始まっていた。
聞いて理解したところを自分の言葉で解きほぐしてみると、どこか遠くに出かけて行って、フォトジェニックな風景写真を撮って来るということに、撮り手自身がすでに意味を見いだせないという現状の認識がある。そこから、むしろ身近の、見慣れた町の風景に視線が向かうことになる。発見されなければ、風景はただそこに存在しているだけで、撮り手が発見して始めて、風景は生起する。写真家の視線が引いた補助線によって、他者が風景を見るようになる。写真家の作業は、風景を見抜く眼力ということになる。(切り取るという言い方は、自分はきらい)だから場所はどこでもよくて、凡庸な(ありふれた)場所に、写真が成り立つ風景を発見することに意識的な努力が向かうことになる。ありふれた風景を、標準レンズで、水平に撮る。これは写真家がもっとも難しい(平凡な)条件を自分に課したことになるわけで、それが一般人が普通に撮った写真とどう違うのか。違っていれば、なにがしか写真家がそれを引き出したのである。それは写真を連続して繰り返し見れば、見えてくるはず。重要なのは、構図(もちろん構図をくずしたいという意図も含めて)、入り込んでくるもの、除外するものの選択。そういうことが、現在風景写真が置かれている状況と、作者の目線ということになろうか。
DIVISION-3に登場する予定の相馬泰さんが来場されていた。8x10写真展への参加をお誘いする。相馬さんとタカザワケンジさんとのトークセッションが行われる予定(7/4)で、必見である。