泥水(争い・嫉妬)はある、ぬけて、と書かれているが
通過して、って事なんじゃないかな
泥が悪いってよりも、泥を通過する時に磨かれて
初めて綺麗な花を咲かせる。
自分に泥水がある事を知り、泥の渦中にいて辛くとも、大成する為には必要な事
忘れがちになるけれど、押さえておきたい言葉です。
蓮の花が綺麗なのって泥水の上に咲く『ギャップ』が、より美しさを増していると思いました
だから泥と共存がしたいなぁ忌み嫌うのではなく、泥ごと自分を受け入れる・・・・。
頭ではこう思う、気持ちがまだ伴わない
私という蓮の花も、まだ咲きそうにない、泥とも折り合いつきそうにない、ってことは
何が今の自分に出来るだろう・・・そうね~継続でしょうね、気長に気長に生きます。
そのうち、泥ごと受け入れられるようになる光(コツ)が見つかりますように
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