![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/93/f930e92c085bfc6dcfdabfc2a6c8101c.jpg)
ヨガのレッスンは公共施設に行く事が多い!そこで、このポスターと出会った
見て出てきた気持ち3つ
「あるある」だ
無意識で言ってることほど、可能性あるな~
自分が「そんなつもりじゃない」って思っていても、それが相手を傷つける事になるのは嫌だな
そもそも傷ってなんだろう
感じたままを口に出すまえに、言ったら相手がどう受け取るか考えなさいよってメッセージがポスターにはあるように思う。
言葉は言ったら引っ込めるのが難しい、相手に矢のように刺さってしまったものほど「無かった事にして」というのは言った側の都合だろう
とても大切なことだと思う。
話し手(自分)も自由しかし、自分が発する言葉も態度も
聴き手(相手)に、どう受け取ってもよい自由もある!!
悲しませたくない傷つけたくない
嫌われたくない
・・・・・・。
こういうのは相手を腫れもののように扱うことになり、接される人も感じとれるものだ!過剰に気をつかれてるって
大穴で一番これが傷つくんじゃないかなぁ
どう思って欲しいどう思われたくない
どちらも縛られる思考
なんじゃないでしょうか?そもそも傷つける・つけないの「傷」って何なんでしょうね
ここを考えないと「口に出す前に考えないと」「相手がどう受け取るか予測して当てなくちゃ」「嫌われたくない良い人アピールしなきゃ」
・・・コミュニケーションが禁止事項ばかりになり、人に合うのが苦痛になる
さて、私なりに考えてみました「傷」ずばり事実
いろ~~~んな種類の傷がある数え切れないでしょう!敢えてちょっと書くと
誤解された・・・そんな風にだけは思われたくないのに、ヒドイ
って感覚になりやすいが、言われた事の可能性がゼロ%トならサラっと「違うよ」と言えるのでは?
指摘された・・・言われなくても解ってるもん
知っているが出来ていない事を自分も知っている、自分がみたくない部分を相手に付きつけられ逃げられないから怒りを感じるのでは?
傷には過去のものも多かったりしますね時は「今」なのにまだ上手く付き合えていないもの!私にも、沢山あります。
更に事実は痛い
という特徴があるように思う、痛い痛い痛いイタタタァ~
自分をこんなに辛い目に合わせるなんて、と逆恨み?になりやすいのも痛みの衝撃が強いからだろう
誰から言われるかも多きなポイントだけれど、本当は頭か、体か心が知っている普段無意識の部分を目の前に「ホイ」っと出されることが辛い
まとめると、痛いものほど事実で、痛みを傷として感じる
という風に感じました。
自論なので正解ではありません。人の数だけ答えが在る、なのでただの、いち意見程度にご覧頂けたらと思います。
体の切り傷は必ず治ります。手術で切ってふさがります。
傷の大きさ、質、深さ、にもより治癒の速度は違うでしょう。でも必ずふさがります。
なにか言った事で不具合が起きた時に、自分の傷も相手の傷も必ず治ると信じて
寄り添えると治癒が早くなる気がします。「そう感じるあんたが悪い」など感情をブン投げない!
傷は悪くない、どう扱うかにかかっている。一人で抱えきれないから痛い、そんな人が身近にいたら
アドバイスいらないから、何が痛いのか聴いて上げて欲しい
聴いてもらえると思うから、話せる、話して出せる事で治癒される、治癒されて前を向ける覚悟が決まる・・・。
本音が言い合える、お互いを尊重しあえる関係が増えますように
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